ショパンの指先
私が聞き返すと、バーテンダーは「ああすみません、桐谷洵、ピアニストの名前です」と穏やかな微笑みを見せた。

私は咄嗟にピアニストの名前を頭に焼き付ける。

「彼の曲を聴きにきたの。悪い?」

「いいえ、うちとしてはありがたいことです。でも……」

バーテンダーは一瞬、言うのをためらってから、私の真剣な眼差しを見て決心したように一息に言った。

「もしも洵自身に対して興味があるのなら、やめておいた方がいいですよ」

私は驚いて、バーテンダーを真正面からまじまじと見詰めた。

「……それは、あなたが彼のことを好きだから? もしかしてあなた達ってできているの?」

バーテンダーは一瞬眉をひそめて、言っている意味が分からないというような表情をした。

「僕と洵が? 僕は男ですよ」

「男だけど、ゲイでしょ」

私の言葉に、バーテンダーは固まった。

「最初の言葉のイントネーションでもしかしてって思ったの。それであなたを注意深く見てみたら、右耳にピアスをしているし、男にしては爪が綺麗だし、あなたゲイでしょ」

バーテンダーは一瞬青ざめた顔をして、それから豪快に笑った。

笑い声が少し甲高かった。

「初対面で気付いたのは、ノンケではあなたが初めてよ」

顎髭を生やした筋肉質な男は、すっかり口調がオネェ言葉になっていた。

「ノンケ?」

「異性愛者、つまり普通の恋愛をしている人のことよ」

バーテンダーは、鼻歌まじりに機嫌良くグラスを拭き始めた。

最初は無骨で無口に見え、近寄りにくい雰囲気をまとっていたけれど、今は明るく親しみやすいオーラを放っている。これが彼の素なのかもしれない。偽りの仮面を剥いだ彼は、とても楽しそうに見えた。

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