ショパンの指先
「安心して。洵は私のタイプじゃないの」
「じゃあ、どうしてやめておけ、なんて言ったの? まさか彼もゲイ?」
「あはは、今の言葉を聞いたら洵怒るわよ。洵は男には興味ないわよ」
「だったらどうして……」

 私の問いは、洵というピアニストの登場によって打ち切られた。

 洵が檀上にあがるだけで、店内が甘く活気づく。

 私が洵に目を取られていたら、いつの間にか新しい客がカウンターに座り、ゲイのバーテンダーはすっかり男に戻っていた。

 雰囲気も言葉使いも男そのもの。相手によって使い分けているのがよく分かる。

 洵の演奏が始まると、バーテンダーが言っていたことは、すっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。

 最初の曲は、前回と同じく革命のエチュード。

 洵は何かにとりつかれたかのように鍵盤を叩く。

 切羽詰まる妙な圧迫感が私を包み、息ができないほど苦しくなる。圧巻の演奏だった。

 そして二曲目はノクターン第二番。とても甘美な旋律が特徴的な曲だ。

 恋の始まりを予感させるような幸福感に包まれている。

 私はだんだんイメージが膨らんできて、家から持ってきたスケッチブックを広げた。

 突然何かを描き始めた私を横目に見て、ゲイのバーテンダーは少し驚いた表情をしたけれど、新しく来た客の相手で忙しそうで特に私を気にする様子はなかった。

 私は私で、周りを気にすることなくエンピツを走らせた。

 少し暗い照明のせいか、私が絵を描いていることに気付く人はほとんどいなかった。気付いたとしても、特に気にする様子もない。
< 22 / 218 >

この作品をシェア

pagetop