ショパンの指先
当たり前だが、椅子やクッションといったものを貸してくれそうにもなかったので、私はピアノの脚に寄りかかって座り、スケッチブックを広げた。

 フカフカのカーペットが気持ちいい。

 うん、悪くない。
 私はすっかりこの場所が気に入った。

 スケッチブックを開いて、すっかりくつろいでいる様子の私を見下ろし、洵は譜面台に肘をつき、手で頬を支えながら口角をほんの少し上げた。

 苦笑いとも少し違う、やれやれという言葉が聞こえてきそうな微笑み。

 洵から発せられる空気は、温かい。

「さて、何を弾こうかな」

 洵は鍵盤に指先を置いた。

 そして一呼吸すると、音を奏で始めた。

楽しそうで軽やかな音楽。

 仔犬のワルツだ。

 洵はとても楽しそうに仔犬のワルツを弾いた。

 背中から伝わるピアノの振動が心地良い。

 私は目を閉じて、仔犬を想像した。

 自分のしっぽを追いかけ回る、ちょっとおバカで愛嬌がある仔犬。

 くるくるくるくる回っている。

 私がリズムに合わせて頭を横に振っていると、洵が、「これ、杏樹の曲」と演奏しながら言った。

「え!? なんで私の曲なの!?」

「俺のことバカみたいに追っかけてくるから」

洵は楽しそうに笑いながら仔犬のワルツを弾いた。

 私は少しふてくされながらも、洵の弾く仔犬のワルツがあまりにも可愛かったので、まあ悪い気はしないかな、なんて思ったりした。

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