ショパンの指先
ガタガタと音をたてている私に有村が問う。

「時計を探しているのよ」

「今は昼の3時だ。十分間に合うだろ?」

有村の言葉と同時に時計は見つかった。床に落ちて、ベッドの下に隠れていたようだ。

「そう、ありがと」

時計は13時30分で止まっていた。

私が目覚ましをかけた時間だ。

アラームがうるさかったから、落としたのかもしれない。

「で、いけるよな?」
「何が?」
「何がって仕事だよ。今日の20時。ちゃんと聞いていたのか?」
「ああ、そうだった。別にいいけど……。条件があるの」
「条件?」
「そう。ガーネットホテルのアマービレっていうレストランで食事をすることが条件」
「おい杏樹。この前の部屋は、あれは特別だ。今回もあの部屋を用意することはできないぞ」
「分かっているわよ。あの部屋じゃなくてもいいの。別にガーネットホテルの部屋じゃなくてもいい。アマービレで食事がしたいの」
「ふ~ん、よっぽど美味かったのか」
「まあね」
「それくらいの条件なら構わないさ」
「じゃあこれからは毎回アマービレで食事してからでもいい?」
「それはいいけど、食事代払っているのは客だぞ。本当は杏樹が払わないといけない。接待用のカード持たせているだろ」
「だっていつも先に払ってくれるのだもの。後で有村が返せばいいじゃない」
「返そうとしても断られるから」
「じゃあ今のままでいいじゃない」
「そうだけど……」
「それじゃあ、今度からはアマービレでよろしくね」

電話を切ると、私の心は浮き足だった。

洵は毎日あのレストランで弾いていると言っていた。

また会える。また聴ける。

そう思うと、気持ちがふわふわして、無駄に部屋の中を歩きまわった。

客の名前も情報も何も聞いていないことを思い出しもしないほど、私の頭の中は洵でいっぱいだった。

洵に会った後に、洵ではない男に抱かれなければいけないことすら忘れていた。


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