ショパンの指先
「杏樹、起きて」

なだめるような、甘えるような、やたらと優しいトーンの声だった。

目を開けると、愛おしむような顔つきで私を見下ろす有村がいた。私は昨日の出来事を思い出してゾっとした。

「朝食を作ったんだ。着替えておいで」

 有村は、全裸の私にガウンを羽織わせると、まるで何もなかったかのような顔をして寝室を出て行った。

 私は言われるがままガウンの紐を結い、ショーツだけをはいてリビングへと向かった。

 リビングには、脱ぎっぱなしの服や使いっぱなしのコップなど雑多なものがころがっていたはずなのに、綺麗に整頓されていた。

「洗濯して干しておいたから」

 有村はキッチンで何やら仕事しながら言った。

 ベランダを見ると、リビングに投げ捨てられていた服がハンガーにかけられ、気持ちよさそうに風に揺れている。

「ああ、ありがとう」

 有村はご機嫌に鼻歌をうたいながらテーブルに朝食を並べていく。

「さあ、できた。食べよう」

 有村は私を椅子に座らせて、手を合わせて「いただきます」と言ってから食べ始めた。

 なんだか芝居がかって見える。こんなことで昨日の行為が許されると思っているのだろうか。

「どうした、杏樹。早く食べな」
「ん……」
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