ショパンの指先
約束の時間から三十分遅れてホテルのロビーに到着すると、知的な顔立ちの四十代後半くらいだと思われる男性が私を迎えた。

「篠原杏樹さんだね。噂で聞いていた通りの美人だ。一目で分かったよ」

 黒々とした髪と白髪が混ざったボリュームあるオールバックを見て、私は少し安心した。

 有村に、ハゲとデブと老人は勘弁だと伝えている。そしてこれまで有村は私が嫌がりそうな男をブッキングしたことはない。

 だからこそ、飽き性で我慢足らずの私でも続けてこられたのだか。
 
「遅れてしまってごめんなさい。待ちました?」

 私はわざとらしい上目使いでしなを作る。

「いいや、時間ぴったりだよ」

 男の言葉に、私は一瞬言葉に詰まった。

 有村め、最初から私が遅れることを想定して時間を伝えたな。

 私は言葉を飲み込んで、にっこりと笑顔を作った。

「亀井さん、私お腹が空いちゃった」

 あらかじめ教えてもらっていた男の名前を言うと、男は紳士的な顔を一瞬緩め嬉しそうに目尻を下げた。

「いい店があるんだ。杏樹ちゃんはクラシックを聴くと聞いていたんでね」

 亀井さんは、私の呼び名をさんからちゃんに変えた。

 私が敬語を使わず甘えたように話したから、亀井さんも合わせたのだろう。とても自然でスマートだったので、女の扱いに慣れているに違いない。
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