ショパンの指先
ヒールが沈むカーペット。右側には二人用のキングサイズベッドに枕が4つ。左側には壁にかけられた画のような薄型テレビ。そして正面には東京都内を一望できる夜景が広がっていた。

 男は妙に浮き足だった様子で冷蔵庫からビールを取り出した。私はさっきから頭痛が酷くなっていて、立っているのがやっとの状態だ。

「杏樹ちゃんもどうぞ」

 男にビールを手渡され、曖昧に笑った。こんな状況で飲みたい気分になどなれない。食事もほとんど喉を通らなかった。

 立っていられなくて、ベッドの端に腰かけると、男もその隣に座った。嫌悪感で肌が粟立つ。

「どうしたの? 顔色悪いよ」

 男が小首を傾げて私の顔を覗き込んだ。私はさっと顔を横に向け、男の顔を直視することを避けた。吐き気がする。こんな男にこれから身体を触れられると思うと、胸がムカムカして、そのだらけた顔に嘔吐物をぶちまけたくなる。

 ……落ち着け。こんなこと今まで平気だったじゃないか。何も変わらない。肌に触れられたくらいがなんだ。悲劇のヒロインぶるな。

自分の境遇を可愛そうだと思うな。私は私だ。これが私の生き方だ。胸を張って受け入れろ。

「緊張しているんだね。おじさんがすぐ気持ちよくしてあげるからね」

 男が私の両肩を掴み、ぐっと力を入れて押されると、私は後ろに倒れて背中にベッドのスプリングを感じた。

 男が私を組み敷く。下心から頬の筋肉が下がり、だらしのない中年男の顔を下から見上げたら、急に酸っぱいものが込み上げてきた。私は慌てて口を抑え、男を突き飛ばし洗面所へ走った。

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