ショパンの指先
 私はいい気持ちになりながら、お酒を飲んで絵を描いた。やっぱりここで描くのが一番落ち着く。

 私が二杯目のカクテルを飲み終えた頃、一人の女性が店内に入ってきた。その女性を見ると、従業員達の空気が変わった。恭しく頭を下げ、丁重にもてなしている。テーブル席に一人腰かけると、スタッフに何やら耳打ちをした後、満足そうに洵の演奏に耳を傾けていた。

上品なワンピースにショールを羽織って、テーブルに両肘をつきながら、うっとりと洵を見ている。綺麗な人だった。いや、可愛らしいと表現した方がいいのか。おそらく30代だろうと思われるその女性は、恋する乙女のように洵を見つめ続けていた。

 優馬が仕事の手を休め、カウンターから出てその女性に挨拶しに行った様子を見ると、店の関係者かと推察した。もしかして、洵の言っていた恩人の遠子さん? 私は気になって、バレないようにチラチラと盗み見た。

 洵は演奏が終わると、客席に目を向けた。ドキリと心臓が大きく高鳴る。私が来たことが分かったのかもしれない。そう思ったのも束の間、洵が満面の笑みを一人の女性に向けた。私ではない、テーブル席に一人で座ったあの女性を。

 洵は椅子から立ち上がり、優雅な所作でテーブル席へと近づく。何やら親しげに会話する二人を見て、全てのからくりが解けたような気がした。二人の間に流れる空気は、独特のものだった。

 女の人の声が聞こえづらかったのか、女の人の口元に耳を寄せる自然な仕草や、洵の顔が近付いたのに戸惑うことや照れる様子もなく自ら顔を近付けて話す仕草も、全ては二人の関係がただならぬものであることをうかがわせた。

「ねえ、あの人って遠子さん?」

 優馬に聞くと、「よく知っているわね」とあっさり肯定された。

「洵の恋人なの?」

「恋人に見える?」
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