前世生贄王女だったのに、今世ではとびきりの溺愛が待っていました ~片翼って生贄の隠語でしたよね?~
「……好きに、呼んでください」
「うん。私のことは──ルティ、と……呼んでくれないかな?」
「……名前で?」
「うん」
少し照れくさそうに微笑むこの人は、本当に私の知るヴィクトル様なのだろうか。もしかしたら別の時間軸とか、希望したSF的な展開の世界なのかも?
「シズク殿?」
「あ……いえ。……では、ルティ様で」
「様はいらないのに。……でも、他の誰でもない君に名を呼ばれて嬉しいよ」
反則過ぎる笑顔に、心臓が煩い。この人は誰?
本当にヴィクトル様?
いや生まれ変わった別人だと言われたほうが納得できるわ。
「この世界に来て食事は? なにか口にしたかい?」
「いえ……」
「そうか、よかった。……よりにもよって人族嫌いのエルフの集落に呼び出されるなんて、運が悪かったね。彼らは世界樹の魔力が枯渇すると、生贄を異世界から召喚して補填しようとするから……」
「生贄……じゃあ、《聖女》って」
「うん。生贄のことだね。もっとも召喚に呼ばれるのは、罪を犯した人族らしいけれど……シズク殿は巻き込まれたんだろう」
「(巻き込まれた? それともこの世界に縁があったから引き寄せられた? ううん、前世は生贄だったから、それに条件が引っかかった? エルフにとって《聖女》って生贄って意味の隠語だったのね)……そう、ですか」
伴侶、花嫁、片翼、聖女。他の種族によって、生贄の隠語となる。やっぱり異種族との婚姻や特別な存在は、そういう扱いとなる。今さら驚きもしないけれど。
ルティ様はテーブルに自動湯沸かし器のようなものを出して、いそいそとお茶を淹れる。その姿にも衝撃を受けた。自分でお茶を淹れることなど天狐族はしなかった。いつも狐人族の侍女や給仕に全てを任せていたし、それが当たり前。
そもそもヴィクトル様とテーブルに座って、お茶すら飲んだことはなかった。だからその光景が不思議でしょうがない。慣れた手つきで二人分のティーカップを用意する。
絵柄は高級感あるものではなく、小鳥や四つ葉のクローバーなど可愛らしいもので、色違いだった。
「冬クロモジ茶をブレンドしてみたんだけれど、気に入ってくれたら嬉しい」
「……ルティ様が、作ったのですか?」
「うん。趣味が高じて……。昔飲んだお茶がそれに似ていてね」
昔を懐かしむルティ様の顔は穏やかで、いつも無愛想で無表情だった人とは別人だわ。この方に何があったのか──なんて興味をもったら駄目。よくわからないままこの世界に戻って来てしまった以上、今後の身の振り方を考えないと……。
冬クロモジ茶はローズウッドのような芳醇で華やかな香りだった。とても優しい味で、ホッとする。
「あの……私はやっぱり元の世界には……」
「難しいと思う。こちらからの一歩通行のようなものだから……」
「そう……ですか」
分かっていてももう両親に会えないと思うと落胆した。今世も両親や親族、友人に恵まれて、穏やかで充実していたのに……。
「元の世界に戻すことは……約束できませんが、この世界での生活は私が保証しましょう。私は、貴女の力になりたい」
「どうして……そこまで……」
「言っただろう。一目惚れだと」
私がブリジットだと気付いていない? ううん、この段階で結論を出すのは早いわ。
「……えっと、では……この世界のことを教えてもらって、その自立できるまで……置いて貰えますか?」
「もちろん。自立できても、一緒にいてくれることを選んでくれれば、なお嬉しいですが……。でも今は貴女が私の元から離れようとしないだけでも、満足すべきなのでしょうね」
分かっているのか、分かっていないのか。どっちにも取れる言葉だ。
どちらにしても現状、この世でのことが分からないのに一人で動き回るほど愚かではない。前世の知識があるからこそ、この世界の理不尽さは身をもって痛感している。
「しばらくお世話になります」
そう頭を下げたらルティ様は複雑な顔をしていたけれど、最後には笑って受け入れてくれた。こうして私とルティ様との奇妙な共同生活が幕を上げた。