前世生贄王女だったのに、今世ではとびきりの溺愛が待っていました ~片翼って生贄の隠語でしたよね?~
「そんな必要もない。魔力がないのは事実だ。さっさと森の外に──」
「おや、それは困るな。非常に困る」
「──っ!?」

 聞き覚えのある声。
 蕩けるように甘く、耳に残る低い声。夜の寝室でしか聞いたことがなかったけれど、独特な声は天狐族次期国王ヴィクトル・アブドゥウォロエヴァ!?
 ブリジット(前世の私)の片翼にして夫だった人がどうして、こんなところに?
 天狐族は世界の調停者で、基本的に天空都市から出てこないのに……どうして!?
 まさか私が転生していると勘づいた!?

 恐る恐る顔を上げると、黒い外套を羽織った魔法使いのような恰好の美青年が、私の隣に立っていた。エルフとはまた違った造形の美しさ、白銀の長い髪に、黒い角は片方が折れていたが十六年前と変わらない姿だった。狐耳や尾は見えないけれど、琥珀色の瞳は間違いないヴィクトル様だわ。
 もう、会うことないと安心していたのに……。

「これは森の大賢者ルティ様!」
「え……?」

 その場にいた全員が、片膝を突いて頭を下げた。私も兵に頭を下げるよう押し付けられたが、それをルティと呼ばれた大賢者が止めた。

「彼女は私の大切な人だ。無礼な扱いは止めて貰おうか」
「も、申し訳ございません」

 ()()()
 森の大賢者? 私の知らない単語が飛び込んできた。これは夢? やっぱり別の世界線!?
 パラレルワールド的な?
 ヴィクトル様は私に片膝を突いて、手を差し出す。

「怪我は? 怖くはなかったかい?」
「あっ……いえ……」

 前世でもそんな風に声をかけられたことはなかったのに、今さらどうして?
 いつもしかめっ面をして、不機嫌で笑顔を見せたことは一度だってなかった。会うのはいつだって帳の降りた真夜中で、会話もない。甘ったるいお香で記憶も曖昧なまま、体を重ねるだけの関係であり、魔力消費と世継ぎを産むだけの存在として扱われた。
 彼は私を「姫」と呼び続け、私は「あの方」と意地でも名前を呼ばなかったけれど、何も言わなかった。対話を持たなかった──それが私の知るヴィクトル様()という人だ。

 前世の記憶が脳裏を過り、私がブリジットだと知られたら……。そう思うと指先が震えて、彼の手を取ることができなかった。また天空都市に攫われて、一室に閉じ込められて、全てを奪われるのかと思うと怖くてたまらない。
 今度は自害なんてさせる隙を見せないだろう。転生しても生贄として、またズタボロになるまで役目を? そんなのは嫌……。

「……っ」
「……怖がらなくても何もしないよ。シモン、彼女は私が身元保証人となる。今後、彼女に無礼を働いたら──分かっているね」
「……承知しました。先ほどの無礼をお許し下さい」
「うん、次はない」

 私が手を取らずにいるとルティ様は少し傷ついた顔を見せたが、真っ白な毛布で私を包み抱きかかえた。
 あまりの手際の良さに困惑している間に、魔法を使ったのか瞬時に別の場所へ移る。幾何学模様の美しい王城から、見慣れない部屋に転移した。

 やられた! また掻っ攫われて……!
 再び天空都市に取れ戻される!
 そう思った瞬間、前世の記憶がフラッシュバックした。
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