繰り返す日々の先に。



「……佐々木さん」


 陽は落ち、静かになった総務部室。

 私の周りだけを寂しく照らす電灯の下に現れた、ここには属さない存在の人。

 優しく名前を呼んでくれた人は、そっとデスクの上に缶コーヒーを置き、隣の席のチェアに浅く腰掛ける。
 缶コーヒーは微糖。私が微糖を好んで飲むことを、知っているその人―――……。


「今日も、お疲れ様」
「お疲れ様です。コーヒー、ありがとうございます」
「良いんだ。毎日、すまんな」
「……いえ」

 
 貰った缶コーヒーのプルタブをゆっくりと開けて、漂う苦く甘い香りを静かに堪能する。
 横で同じようにプルタブを開けたその人の手には、ブラックコーヒー。隣から漂う苦い香りにも意識を向けながら、缶コーヒーに口をつけた。


 口に広がる、苦く甘い味。


 毎日、毎日。
 この時間に飲む。いつもと同じコーヒー。


 これもまた、同じことの繰り返し。


「……君には、本当に負担をかける。どうにかしなければいけないこと、俺には分かっているんだ」
「……私も、仕方ないことだと分かっています。任されることは嬉しいし、信頼されることも嬉しい。ですが、このままでは良くないです」
「その通りだよ。……本当に、頭が痛くなる」


 ギシッ……と隣のチェアが軋み、その人は背もたれにゆっくりと、もたれ掛かる。ふぅ……と小さく溜息をつきながら総務部室を見回して、また溜息。「幸せが逃げますよ」と小さく呟くと、その人は静かに体を起こして、優しく私の肩に腕を回してきた。

 急に縮まる距離。
 私の心臓だけが、急激に音を立て始めた……気がした。

「―――幸せなら、もうここにある。好きな人が、ここにいる」
「……どこですか」
「とぼけるな」

 突き刺さる、という表現が適切なほど見つめられる。しかしそれに気が付いていないふりをして、遠くに掛けられた時計を見た。時刻は21時30分。そろそろ、帰社しなければ。


 冷静を装っていたつもりだったが、騒がしい私の心臓の音は、どうやらその人の耳にまで届いていたらしい。「それは、意地かね」と耳元で囁かれ、全身の血が駆け巡るような感覚がした。


「……だ、大体。貴方が私のこと好きなんて……有り得ません」
「何で?」
「だって……」
「だってじゃない。俺たち、同僚じゃないか。同僚が同僚のことを好きになる。それの何がおかしい?」
「そ、それは今までの話ですから」

 更に距離を詰められ、僅かにでも動けば頬と頬が触れてしまいそうなくらいに近いその人。
 ふいに視界に入る、長い睫毛に覆われた二重の優しい瞳。これ以上はまずい―――……そう思い、懸命に顔を反らす。

「顔、反らすな」
「だって……社長……」
「社長じゃない。ほら、前みたいに津村くんって呼んでよ」

 この人―――津村社長は、かつて同僚だった。同年齢で一緒に入社して、研修も受けて同じ部署で……仲も良くて……。

 しかし、入社してもうすぐ10年経つかと言う頃。当時の社長が病に倒れ、その座を降りた時。その時に入れ替わりで社長に就任したのは、なんと仲の良い同僚だったのだ。

 社長の息子であることを隠し、普通に入社試験を受けて入社したという彼。田舎の小さな民間企業だというのに、良くここまでバレなかったものだと、当時は妙に感心した。


 社長と、一般社員。
 かつて同僚だったなんて、そんなことは関係ない。立場が変わったのだ。……そう、思っていたのに。


「君に負担を掛けている件は、本当にごめん。それは社長としてきちんと処理をする。けれど、俺のこの想いは、同僚として受け取っては貰えないかな」

 そっと手を握られ、そのまま彼の胸に当てられる。私の心臓よりも早く感じる鼓動に、思わず目を見開いた。


「―――俺は、本気だ。美月」
「そ……そんなの、私だって。本当はあの頃からずっと―――……」


 つい、口から漏れ出る本音……。



 毎日毎日、同じことの繰り返し。

 いつもと同じ日々の、ほんの少しだけ。



 私の中で、何かが変わっていくような気がした。






   終
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