Too late

ただいま

 ニューヨークにいるはずの彼が、私の目の前に。

「ユリ?」
 すっかり固まってしまった私の名を呟き、微笑む。
 
「ただいま」

 正真正銘、パク・シウだ。
 彼を目にした途端に心の中の何かが音をたてて崩れ、足がすくむ。
 突如彼のいない生活を強いられたあの時から、私は必死に耐えていた。
 簡単には泣きたくない。いつか彼に会うときが来たら、彼がいなくても大丈夫な自分を見せつけてやろう。そう心には決めていたのに、結局私は大丈夫じゃなった。
 ただ日々を耐え凌いでここまできただけ。
 少しは成長したと思っていたのに、シウの前だとお子ちゃまな部分が見え隠れする。
 冷静に、平常心を保って彼と接する計画が一瞬で台無しだ。
 すくんだ足に力を入れようともびくともしない。
 彼の前で平気でいられると思っていた自分がアホらしい。
 彼は普段のごとくポーカーフェイスで何ともなさそうだ。
 衝撃のあまり呼吸をも忘れていた私は彼の変わらない様子に過緊張がとけてハッと息を抜いた。
 彼はゆっくりと一歩踏み出し、私を抱き寄せる。
 身長差、耳に届く彼の心音、匂い、私の腰を抱くその大きな手。
 懐かしい感覚に、押し殺した感情が溢れて熱いものが込み上げる。
 
「会いたかったよ」

 私が泣いていることに気づくと、頭を繰り返し優しく撫でて「泣き虫だなぁ」と一言。
 腕のなかで顔をふと見上げ、視線がぶつかった。
 彼の深い眼差しに胸の鼓動が速くなる。
 また頭を彼の胸に寄せると、さっきよりも速く波打っている気がした。



 初めて見るスーツ姿のシウにドギマギしながら、少し距離をあけてソファに座る。
 彼が纏う雰囲気がこの1年で色々あったことを物語っている。
 以前よりも垢抜けて、今の彼は前よりももっと目立つだろう。
 中身はきっと変わってないよね………そう願いたい。
 嬉しいよりも先に驚きがきて、今日のショックだった出来事が小さなことに思えてくる。

「はぁ〜今日も疲れた」
 気だるそうな声でそう言って上着を脱ぐと、慣れた手つきでネクタイを緩めてシャツの2番目のボタンまで外した。
 彼の行動に目を奪われる私を鼻で笑った。
「ここ自分の家でしょ?」
 その台詞にようやく、ソファーの上だというのに背筋をピンと延ばしていることに気づいて体の力を抜く。
 しかし気を抜くのは意識するほどうまいことできないようで、ソファーにもたれ掛かってみても背中は硬直している。
 無言の瞬間が一番緊張する。聞きたいことはたくさんあるというのに頭が真っ白で何も思い浮かばない。

「シウ......なんでスーツ着てるの?」

 ようやく動いた口は一番どうでもいいことを彼に尋ねる。
 何万人もの前で公演をしたばかりだがよっぽどこの状況が緊張している。
 唾をゴクリと飲み込むタイミングにも迷うほど。
 正直、彼の顔の良さは目では理解していても私の心には微塵も刺さらない。
 どんな甘いムードであっても彼を見て自分の内に秘めたオンナが出てくることはなくて、事を致すときも演技というか......その場でうまく流れにのる。
 すべては自分の価値を確かめたい、承認欲求のため。
 だからそういうオトモダチとして何年もうまくやってこれたんだろう。
 シウも、冷たくあしらってもすり寄ってくる子が多いなか、自分の事を特別視しない子が私しかいない。彼は私に夢中だった。
 圧倒的に私のほうが立場が上、これは絶対に変わらない、その自信だけはあった。
 それなのに不覚にも彼のビジュアルにドキッとしてしまって、何年も保っていたパワーバランスが傾き始めるのを恐れる。

「仕事だったんだ」
「仕事? どういうこと?」
「いろいろあってさ......ねえ、もっと寄っていい?」

 返事も待たずに私の体をぐいっと引っ張って手繰り寄せる。

「いや、普通自分から寄るでしょ」

 冷静なトーンでも内心ドキドキだ。
 シウはこういう大胆で勝手な真似をする人じゃない。
 私が彼に触れたいときは“ご自由にどうぞ”といった風に何の反応もなく私にされるうがままなことが多かった。
 しかしこの、私を好きなように扱っていいと思っていそうな雰囲気。
 もしや既に私の心を読んでいる......?

 淡々とツッコミを入れた私を見て彼は嬉しそうに「変わんないね」と言った。
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