Too late
 帰りのタクシーに乗っている間に届いた彼からのメッセージは開ける気にならない。
 制作チームの人が私にすり寄ってきたほんの刹那に嫌なシナリオを組み立ててしまった。
 彼との関わりが、私のキャリアに影響を与える。良くも悪くも、与えてしまう。
 デビュー数年経ってもくすぶっていたけれど、やっと傷つく覚悟ができて、新しい挑戦をプレッシャーのなか迎える予定だった。
 私にとってはすごく大きな一歩。支えもなしに、走り出す。
 これまで蔑んでいた大人たちをぎゃふんと言わせてやる意気込みも芽生えていた。
 それなのに、ただ、彼が私のファンだと公言しただけ、たったそれだけでのことで他の理由はなしに大人たちは目の色を変えた。
 あの場で評価されたのは私じゃない。彼でもない。AJという後ろ楯。
 これでは私の努力、流した涙も汗も、なにもかもがそれに掻き消されてしまう。
 彼との関わりがあると私を私として見てもらえていない。

【ごめん、嫌だった?】
 何日経ってもカトクのトーク一覧にひとつだけ、未開封のまま放置している。
 未読で右側に赤く数字が表示されているせいか、目につく。
 何も言うことはない。
 地位だとか権力だとかに興味はないと言っていた彼の横顔は、1年前までは感じなかった自信のようなもので充ちていた。
 まわりが変わっていくのがこわい、そう言っていたけれど......
 彼も充分に変わった。

 ”カトク”
 新着メッセージの通知音が呆けていた私の肩をぴくっと跳ねさせる。
リクPD【明日1時間なら俺行けそうだけど、どうする?】
 ボーカルレッスンの提案。
 コラボ活動が決まってから、生放送に向けて歌のレッスンを増やした。
 まだ人前では二度しか披露していないし、ライブのときは少し被せて歌っていた。
 しっとりと甘い歌い方を会得したばかり。
 それに気をとられるためかその歌い方だと歌唱力が下がり、歌唱力を気にすると元の棘を出してしまう。
 音楽番組だとボーカルが飛び抜けてうまい相手との差がより顕著になりそうで不安がある。
 激しい振り付けがない曲だからこそ、きちんと歌えないと粗が目立つ。
 私はわずかに忙しくなるだけで済むが、超多忙なお相手はグループ活動の一部を制限してこのコラボのスケジュールを無理矢理ねじ込んだ。
 貴重な一回一回のステージはよくて150点、悪くて100点のレベルまであげる。
 リクPDとは歌の相談で連絡をとっている。
 あの一件から、まだ2週間。ほとぼりが冷めて連絡をとったのではなく、最初は嫌々連絡したけど関わっていくうちに気持ちを割りきったというところだ。 
 レッスンは他のトレーナーにしてもらうものの「一応リクPDに見てもらって」と言われるため、動画を送ってアドバイスを貰う。
 しかし文面上や電話だとリアルタイムでアドバイスを受けているのと違い、メモをとったり次のレッスンのときに「PDからはこう言われました」といちいち説明したり、手間がかかる。
 時間を割いてくれたのか、ようやくPDから直接みてもらう機会ができた。
 今のトレーナーは女性で物腰は穏やか、生徒を褒めて伸ばすタイプの人だから優しい指摘だけを受ける。
 久々のPDのレッスン、鍛練される想像がつく。
 逃れたい気持ちしかなかった前とは違う。
 リクPDの鋭い指摘にも真っ向に向き合いたい。
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