Too late
弱音
翌日、約束の時間に1分の狂いもなく現れたPD。
だぼついたスウェットにぼさぼさの髪、目の下のクマがその不規則な生活を物語っている。
8月の終わりでも気温は30℃越えのソウル。半袖の人ばかりだというのにPDは何故だか長袖のパーカーを羽織っている。
見ているだけで暑い。
四六時中、クーラーでキンキンに冷えた室内に居るせいで外の暑さを忘れているのだろうか。
部屋に入ってくると、早足でテーブルのそばまで来て手に持った資料や手帳やらをどさっと置く。
足を止めることなくまたドアの方に向かいながらこう聞いた。
「ごめん、ちょっと一瞬トイレ行ってきていい?」
私に確認しながらももうドアを押している。
早く行かせてやらなければと即座に「どうぞ」と返事をする。
私に割く時間の余裕なんて本当は無かったのかもしれない。
リクPDはプロ意識が高く仕事に生きる人。少々の無理も厭わない。
私の担当だった頃も、楽曲提供は他のアーティストにも沢山していた。
私以外のレコーディングの際も余程のことがない限りボーカルディレクションには必ず出席する。
私と他のアーティストのレコーディングが立て続きにあった時、音楽スタッフにここは任せてと言われても先生は頑なに自分も見るといって聞かなかった。
スタッフ陣から「僕たちのことをもっと信用してくださいよ」と苦笑されていた。
融通が効かない。手を抜く、ということができないらしい。
ドアが勢いよく開くと彼がまた急ぎ足で私の隣まできて椅子に座った。
今日は私のスケジュールはこれだけだと事前に教えている。焦る必要もない。
いや、おそらく私じゃなくて彼自身のために急いでいる。
先が詰まっているらしい。
「あの、30分くらいでもいいですよ」
「なんで?」
「忙しいかなと思って」
「いや、今日はもうこのあとは何も予定ないから大丈夫」
「......え?」
素っ頓狂な声が出た。
彼が私の顔を見て「......え?」と言い返す。
「いや、じゃあなんでそんなに急いでるんですか?」
「俺急いでた?」
「はい、だから予定が詰まってるんだろうと思って」
「えっ、うそ、今日は比較的ゆったりしてるんだけどなぁ」
競歩にも近い足さばき、あれのどこがゆったりだろう。
「さっきほぼ走ってましたよ」
「そう? ああ、俺せっかちだからね」
何年も見てきてせっかちなのは知っている。
離れた所に見える信号が青になればダッシュしてでもそれに間に合わせるしエレベーターも乗ったら先に閉めるボタンを押してから階数を押す。
日常を見てせっかちなのは充分知っているけれど、あれはせっかちとも違う。
先生って意外と天然なところがある。
「たぶん急ぎ癖がついてるんですね」
「あぁ、自分じゃ全然気づかないけどそうなのかも」
「そんなんじゃますます話しかけづらいと思いますよ」
意識していないせいか思ったことを口に出せる。前は好きだったし機嫌をとって気に入られたかったから。
でも今は、これまで見過ごしていた彼の言動の揚げ足を取ってやりたい。というかそうしてもいい資格がある。この人だって一回私のことを好き放題悪く言ったから。
以前の私がここに居たなら、今の私の発言に冷や汗をかきそうだ。
「うわぁ、気をつけよ~」
うるせぇ、とでも言われるかと思ったが、彼は気の抜けた声で笑っている。
いつもの調子と違う。
本来、こんな隙のある人じゃない。
「そんなに忙しいんですか?」
「んー......やっぱりソロとグループは違うな。1人1人の人生がかかってるから、それぞれに向き合いたいんだけどそれだとまわらなくて......」
いつになく弱気だ。
信念を持ち、どんなときも揺るがず自信に溢れた姿しか見せないPDのその姿に若干の気持ち悪さを感じる。
別人みたい。あまり見たくない。
これ以上触れない方がいいと判断した私は、「じゃあお願いします」と空気を切り替えてレッスンに入った。
だぼついたスウェットにぼさぼさの髪、目の下のクマがその不規則な生活を物語っている。
8月の終わりでも気温は30℃越えのソウル。半袖の人ばかりだというのにPDは何故だか長袖のパーカーを羽織っている。
見ているだけで暑い。
四六時中、クーラーでキンキンに冷えた室内に居るせいで外の暑さを忘れているのだろうか。
部屋に入ってくると、早足でテーブルのそばまで来て手に持った資料や手帳やらをどさっと置く。
足を止めることなくまたドアの方に向かいながらこう聞いた。
「ごめん、ちょっと一瞬トイレ行ってきていい?」
私に確認しながらももうドアを押している。
早く行かせてやらなければと即座に「どうぞ」と返事をする。
私に割く時間の余裕なんて本当は無かったのかもしれない。
リクPDはプロ意識が高く仕事に生きる人。少々の無理も厭わない。
私の担当だった頃も、楽曲提供は他のアーティストにも沢山していた。
私以外のレコーディングの際も余程のことがない限りボーカルディレクションには必ず出席する。
私と他のアーティストのレコーディングが立て続きにあった時、音楽スタッフにここは任せてと言われても先生は頑なに自分も見るといって聞かなかった。
スタッフ陣から「僕たちのことをもっと信用してくださいよ」と苦笑されていた。
融通が効かない。手を抜く、ということができないらしい。
ドアが勢いよく開くと彼がまた急ぎ足で私の隣まできて椅子に座った。
今日は私のスケジュールはこれだけだと事前に教えている。焦る必要もない。
いや、おそらく私じゃなくて彼自身のために急いでいる。
先が詰まっているらしい。
「あの、30分くらいでもいいですよ」
「なんで?」
「忙しいかなと思って」
「いや、今日はもうこのあとは何も予定ないから大丈夫」
「......え?」
素っ頓狂な声が出た。
彼が私の顔を見て「......え?」と言い返す。
「いや、じゃあなんでそんなに急いでるんですか?」
「俺急いでた?」
「はい、だから予定が詰まってるんだろうと思って」
「えっ、うそ、今日は比較的ゆったりしてるんだけどなぁ」
競歩にも近い足さばき、あれのどこがゆったりだろう。
「さっきほぼ走ってましたよ」
「そう? ああ、俺せっかちだからね」
何年も見てきてせっかちなのは知っている。
離れた所に見える信号が青になればダッシュしてでもそれに間に合わせるしエレベーターも乗ったら先に閉めるボタンを押してから階数を押す。
日常を見てせっかちなのは充分知っているけれど、あれはせっかちとも違う。
先生って意外と天然なところがある。
「たぶん急ぎ癖がついてるんですね」
「あぁ、自分じゃ全然気づかないけどそうなのかも」
「そんなんじゃますます話しかけづらいと思いますよ」
意識していないせいか思ったことを口に出せる。前は好きだったし機嫌をとって気に入られたかったから。
でも今は、これまで見過ごしていた彼の言動の揚げ足を取ってやりたい。というかそうしてもいい資格がある。この人だって一回私のことを好き放題悪く言ったから。
以前の私がここに居たなら、今の私の発言に冷や汗をかきそうだ。
「うわぁ、気をつけよ~」
うるせぇ、とでも言われるかと思ったが、彼は気の抜けた声で笑っている。
いつもの調子と違う。
本来、こんな隙のある人じゃない。
「そんなに忙しいんですか?」
「んー......やっぱりソロとグループは違うな。1人1人の人生がかかってるから、それぞれに向き合いたいんだけどそれだとまわらなくて......」
いつになく弱気だ。
信念を持ち、どんなときも揺るがず自信に溢れた姿しか見せないPDのその姿に若干の気持ち悪さを感じる。
別人みたい。あまり見たくない。
これ以上触れない方がいいと判断した私は、「じゃあお願いします」と空気を切り替えてレッスンに入った。