Too late
冒頭部分から歌い始める。
マイクも通さないアカペラ。
歌をより良いものにするための練習だから先生は真剣に粗を探す。
音楽ディレクターやボーカルトレーナーは歌の合間に「いいよ!」とか「その調子で!」とか、歌にノリながら合いの手のように言葉を入れる人ばかり。
対して、彼は微塵も反応を顔に出さない。
目を合わせるのも気が引けるのでボーカル譜を凝視する。
歌い終わりまで緊張は途切れることがなく、つい力んでしまう喉を弛めることに気を配る。
ワンコーラス歌って先生が音源を流すプレイヤーを止めると、一気に肩の力が抜けた。
少し間隔を空けて隣にいる先生が腕を組んで回転椅子をグラグラさせる。
何かを数秒間考え、小さく頷きながら言った。
「上手くなった」
予想外のアンサーに驚き、同時に喜ぶ。
「えっ! 本当ですか!」
「んー、俺が担当だったときにこっち路線に変えても良かったな」
嬉しい。
先生もホッとしたように「この感じだと相当いい出来になりそうだなぁ」とボソッと呟く。
事務所主催ライブで初披露した時、先生からはあまりいい評価を貰えなかった。
公演2日目のステージ後にコラボ活動を知らされた際に先生からのアドバイスを受けた。
コラボ相手は歌声に安定もあるし歌いこなせているが、私の声からは不安感が伝わってくる、と。
それでも1日目よりもマシだと言われたがもっと歌いこみをするように言われた。
コラボが決まった瞬間から私はやる気に満ちていたので翌日からすぐに練習に没頭した。その甲斐があった。
「今日って普段よりも調子良い状態?」
「いや、すこぶる良いってほどじゃ......普段通りって感じですね」
「そっか。普段通りでこれならよく歌えてるよ。じゃあ最初っから見ていこう」
一部分ごとに手直しをされる。
指導や要求はハイレベルで厳しいけどやはり事務所が推しているだけに教え方がピカイチ。
ワンフレーズに集中して、それが終わるとまた次のワンフレーズ。
ひとつひとつ丁寧に教えられて、メモをとるけれど頭はパンクしそうだ。
ひと通り教え込まれて、一度通しで歌ってみたら、習ったことに気をとられすぎたせいか最初よりもむしろうまくいかなかった。
「まだ1日目だから、こんなもんよ。今日はこのへんにしよう」
心配しないで大丈夫だよ、と加える。
いつになく優しい。妙だ。
「はい、ありがとうございます」
もしかして、この前の打ち上げで私とシウのワンシーンを見ていた、とか?
宴会場を早めに引き上げた私。
その後の展開を、翌日にマネージャーから聞いた。
シウは何事もなかったようにお父さんと帰ったそうだが、問題はここからだった。
遠目にごたついているのを傍観していた会長たちが何か不手際があったのかと尋ねてきた。
ミレオンニは状況を説明するだけにしたものの、制作チーム陣が勝手にシウが私を気に入ってると話した。
会長たちはもちろん好意的な反応。是非お近づきになるようにと圧をかけられたそうだ。
会長がシウのお父さんにはバレないようにシウに直接、私の連絡先を教えたらしい。
連絡は来たのかとミレオンニから問われ、「はい」とだけ答えたら「下手な真似はしないようにね」と鋭い眼光で釘を刺された。
当然、制作チームの人たちは以前と態度をがらりと変えた。
そんなこともあり、言葉の端々に優しさが滲み出ているリク先生を怪訝に思う。
先生はこっちのビルで誰かと会う約束があるからしばらくここに居残るそうだ。
お疲れさまです、とお辞儀をしてドアノブに手をかけた。
ノブを下にさげて押そうとしたところで、留まる。
今伝えた方がいい。
ゆっくりと振り返ると、異変に気づいた先生も視線をデスクの上の書類からこちらへと移す。
「あの、もっと厳しくていいんですよ?」
どうしても心のもやつきを解消したい。
これからも仕事を一緒にするうえで、気を遣うべき人として扱われるのは面倒。
先生は目を丸くする。
「......は?」
「全然気にしないので、雑でいいんですよ」
手に持ってくるくると回していたペンがするりと指から落ちる。
何を言っているんだろう、って顔で返答に困っている。
急に何かに気づいたようにハッと息を呑んだかと思えば、重苦しい雰囲気を纏う。
「ユリ......あのさ、その......」
いつもは言葉に迷いのない先生がじっと口を閉じて言葉をためらう。
その場で立ち上がって、見つめる先が定まらず落ち着かない。
半分だけ傾けていた体を、彼の方へと向けた。
ゆらゆらとさせていた焦点を私に合わせる。
「本当にごめん。この前は酷いこと言って悪かった」
そう言われた途端、一気に口角が下へと降りる。
「もう俺のこと嫌いだろうし、謝る機会もないって思ってたから......でもそっちから連絡くれて、今日も普通に接してくれて......本当に大人げないよ」
なんだ、彼の優しさの正体はただの罪滅ぼしか。
そりゃあ、私が先生に言われたことをシウが知ったら怒るだろうし、火消ししておかないといけないものね。
謝罪を受け入れたくはない。
「デヒョン、また練習がんばってますか?」
「うん、頑張ってるよ」
「デヒョンは優しすぎるから......ちゃんと守ってあげてくださいね。じゃあ失礼します」
マイクも通さないアカペラ。
歌をより良いものにするための練習だから先生は真剣に粗を探す。
音楽ディレクターやボーカルトレーナーは歌の合間に「いいよ!」とか「その調子で!」とか、歌にノリながら合いの手のように言葉を入れる人ばかり。
対して、彼は微塵も反応を顔に出さない。
目を合わせるのも気が引けるのでボーカル譜を凝視する。
歌い終わりまで緊張は途切れることがなく、つい力んでしまう喉を弛めることに気を配る。
ワンコーラス歌って先生が音源を流すプレイヤーを止めると、一気に肩の力が抜けた。
少し間隔を空けて隣にいる先生が腕を組んで回転椅子をグラグラさせる。
何かを数秒間考え、小さく頷きながら言った。
「上手くなった」
予想外のアンサーに驚き、同時に喜ぶ。
「えっ! 本当ですか!」
「んー、俺が担当だったときにこっち路線に変えても良かったな」
嬉しい。
先生もホッとしたように「この感じだと相当いい出来になりそうだなぁ」とボソッと呟く。
事務所主催ライブで初披露した時、先生からはあまりいい評価を貰えなかった。
公演2日目のステージ後にコラボ活動を知らされた際に先生からのアドバイスを受けた。
コラボ相手は歌声に安定もあるし歌いこなせているが、私の声からは不安感が伝わってくる、と。
それでも1日目よりもマシだと言われたがもっと歌いこみをするように言われた。
コラボが決まった瞬間から私はやる気に満ちていたので翌日からすぐに練習に没頭した。その甲斐があった。
「今日って普段よりも調子良い状態?」
「いや、すこぶる良いってほどじゃ......普段通りって感じですね」
「そっか。普段通りでこれならよく歌えてるよ。じゃあ最初っから見ていこう」
一部分ごとに手直しをされる。
指導や要求はハイレベルで厳しいけどやはり事務所が推しているだけに教え方がピカイチ。
ワンフレーズに集中して、それが終わるとまた次のワンフレーズ。
ひとつひとつ丁寧に教えられて、メモをとるけれど頭はパンクしそうだ。
ひと通り教え込まれて、一度通しで歌ってみたら、習ったことに気をとられすぎたせいか最初よりもむしろうまくいかなかった。
「まだ1日目だから、こんなもんよ。今日はこのへんにしよう」
心配しないで大丈夫だよ、と加える。
いつになく優しい。妙だ。
「はい、ありがとうございます」
もしかして、この前の打ち上げで私とシウのワンシーンを見ていた、とか?
宴会場を早めに引き上げた私。
その後の展開を、翌日にマネージャーから聞いた。
シウは何事もなかったようにお父さんと帰ったそうだが、問題はここからだった。
遠目にごたついているのを傍観していた会長たちが何か不手際があったのかと尋ねてきた。
ミレオンニは状況を説明するだけにしたものの、制作チーム陣が勝手にシウが私を気に入ってると話した。
会長たちはもちろん好意的な反応。是非お近づきになるようにと圧をかけられたそうだ。
会長がシウのお父さんにはバレないようにシウに直接、私の連絡先を教えたらしい。
連絡は来たのかとミレオンニから問われ、「はい」とだけ答えたら「下手な真似はしないようにね」と鋭い眼光で釘を刺された。
当然、制作チームの人たちは以前と態度をがらりと変えた。
そんなこともあり、言葉の端々に優しさが滲み出ているリク先生を怪訝に思う。
先生はこっちのビルで誰かと会う約束があるからしばらくここに居残るそうだ。
お疲れさまです、とお辞儀をしてドアノブに手をかけた。
ノブを下にさげて押そうとしたところで、留まる。
今伝えた方がいい。
ゆっくりと振り返ると、異変に気づいた先生も視線をデスクの上の書類からこちらへと移す。
「あの、もっと厳しくていいんですよ?」
どうしても心のもやつきを解消したい。
これからも仕事を一緒にするうえで、気を遣うべき人として扱われるのは面倒。
先生は目を丸くする。
「......は?」
「全然気にしないので、雑でいいんですよ」
手に持ってくるくると回していたペンがするりと指から落ちる。
何を言っているんだろう、って顔で返答に困っている。
急に何かに気づいたようにハッと息を呑んだかと思えば、重苦しい雰囲気を纏う。
「ユリ......あのさ、その......」
いつもは言葉に迷いのない先生がじっと口を閉じて言葉をためらう。
その場で立ち上がって、見つめる先が定まらず落ち着かない。
半分だけ傾けていた体を、彼の方へと向けた。
ゆらゆらとさせていた焦点を私に合わせる。
「本当にごめん。この前は酷いこと言って悪かった」
そう言われた途端、一気に口角が下へと降りる。
「もう俺のこと嫌いだろうし、謝る機会もないって思ってたから......でもそっちから連絡くれて、今日も普通に接してくれて......本当に大人げないよ」
なんだ、彼の優しさの正体はただの罪滅ぼしか。
そりゃあ、私が先生に言われたことをシウが知ったら怒るだろうし、火消ししておかないといけないものね。
謝罪を受け入れたくはない。
「デヒョン、また練習がんばってますか?」
「うん、頑張ってるよ」
「デヒョンは優しすぎるから......ちゃんと守ってあげてくださいね。じゃあ失礼します」