Too late
 ”母さんは俺のことなんてどうでもいいんだ”

 やけになって吐き捨てた言葉が、私の胸をきつく締め付ける。
 彼が何を思ってその発言をしたのか、心の内は分からない。
 ただその台詞、前にも彼の口から聞いたことがあった。

 ソヌが行方不明になって、しばらくの間様子がおかしかったシウのお母さん。
 心身不調をきたしていたせいか、シウに強く当たっていた。
 家で2人きり、シウも次第にお母さんとの関わりを避けて一緒の家に住みながらも会話を交わさない、それこそ私の家に入り浸りはじめたきっかけのひとつ。
 彼は出来る限り家に帰る時間を遅くした。唯一、家庭の事情を話せる私に心の拠り所を求めて————

 当時16歳の私、知っている感情の数が今より格段に少ない。
 家に帰りたくない、母さんと話したくない、そんな気持ちを吐露する彼を優しく包み込むだけの器はまだ持ち合わせていなかった。
 彼の苦痛をともに味わう努力もしないままに、寄り添うフリだけはできた。
 その頃にも一言一句違わず、「母さんは俺のことなんてどうでもいいんだ」と言った。
 愚かな私はそんなことないと否定して「シウのママにはもうシウしかいないんだから、優しくしてあげて」と余計に苦しめる言葉を放つ。
 それが本人に罪悪感を抱かせることになるとも知らずに、取り繕った偽善の言葉で彼を悪者にしていた。

 今になってわかる。
 彼はあの時、母親の愛情が欲しかった。
 吐き出していた愚痴は、母親のことを本当に嫌いで言っていたのではない。
 弟がいなくった日から、自分がどれだけ傍に居たって、空いた穴は埋まらない。
 それどころか一番傍にいる自分だけがきつく当たられて、前まで確実に存在していたはずの無償の愛が気配を消し、徐々にその温もりを失くす。
 甘えたい。
 褒められたい。
 認められたい。
 愛されたい。
 突如、満たされなくなった彼の自己承認欲求。
 矛先は私へと向けられた。
 母性の欠片もない16歳の女の子に何ができよう。
 体の繋がりで、愛されている実感を彼に錯覚させるだけ。
 当時は単に、盛りの時期の男の子ってこんなもんなんだと自分を納得させていた。
 もちろん年頃でそれなりの欲もあったんだろうけど、何よりも求めていたのは母性愛だったのだ。

 数年絶ってまたこの台詞を言う羽目になった彼。
 きっと今でも、彼のコンプレックスは拭えていない。
 私が彼に応えて、男女の間柄でどれだけ愛し合おうとも根底にある母性愛コンプレックスが解消されない限り彼は満たされないだろう。
 彼の深層心理は理解できた。が、私には彼を心から愛せる自信も確信もない。
 たしかに、再会した日には揺らいで、何かが目覚めそうになった。
 はっきりと自覚した。
 私が彼に抱くのは母性愛でも家族愛でもなくただの下心。

 需要と供給が成り立たない。
 大人のオトモダチにはなりたくないと言っていたし、曖昧な関係に戻ったとして彼がまた傷を負って終わる。
 意味のないことで彼を傷つけたくはなくて、そっと離れた。
 悩むよりも先にちょうど良いきっかけを彼が作ってくれて感謝した。
 彼はきっと、打ち上げでの一悶着(ひともんちゃく)が原因だと勘違いしている。

 今日、顔を会わせてどんな反応をされるのだろう。

 誘いを断らないってことは気まずさは感じていないようだ。
 親友たちのいつものバカ騒ぎテンションに便乗して、彼との関係も今度こそ“ただの友達”ポジションに落ち着けよう。
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