Too late
 助かった。
 胸を撫で下ろしてテーブルを立ち上がる。
 間仕切り壁のうしろへ移動した。
 ここからでも3人の声はするけど内容までは聞こえない。
「もしもし」
 シウのベッドのそばに居場所を落ち着け、電話に出た。
「あっ、はい、あっ、今大丈夫?」
 私の反応速度が思いの外速かったため、電話を掛けてきた当の本人は構えていなかったのか吃る。
「ちょっとなら大丈夫ですよ」
「今日のリハ、うまくいったらしいじゃん。さっきスタッフから聞いた。ミレヌナも安心したって言ってたよ」
「そうなんですよ! 緊張したけどうまくいきました! 本当に先生のお陰です。
ありがとうございます」
「いやぁ、ユリが頑張ったんだよ。よかった」
 こんなことでわざわざ連絡をくれたのか。
 先生よっぽど心配してくれていたんだろう。

「先生も無事に終わりました? 何の予定かは知らないですけど」
 歌合わせリハのスケジュールの日程は先生にも教えていて、本当は見に来るつもりだったが数日前になり大事な予定が入ったと言っていた。
「おう、なんとかやりきったよ」
 実はデヒョンがガールズグループの音楽活動に参加が決まった。
 そのグループは今年デビューしたばかり。
 2枚目のシングルに彼がフューチャリングする。
 練習生がMV出演することはあっても、楽曲に参加することは非常に稀だ。
 事務所の本気度合いが伺える。
 デヒョンのグループデビューは早くても1年後。
 それまでいかに注目を集めておけるか、事務所はデヒョンに懸ける。
 リク先生がその楽曲の制作に携わりステージ演出もする。
 そのためデヒョンはもちろん、先生も期待を背負って勤しんでいる。
 今の先生にとって、そのプロジェクトは最優先事項だ。
「やっと寝れる~」
 先生の電話越しの声はいつもより低く、気が抜けている喋り方。
 相当お疲れのようだ。
「また徹夜続きだったんでしょ。ほんと、体壊しますよ?」
「徹夜しようと思ってしてるんじゃなくて仕事してたら勝手に朝が来る」
 彼は一度エンジンがかかると時間という概念が消える。
 アドレナリンが出ると平気で何日も夜通し仕事に没頭する。
 見るからに不健康な状態になってから周囲から休むように促されて「明日は事務所に来るな」と言われる。
 ようやく自分が何日も寝ていないことに気づき、電池が切れたように丸一日休む。
 今回もよくあるそのパターンだろう。
 今はギリギリ電話で話せているけど一回ベッドに入ると翌晩まで起きない。
 充電1%ってところか。

「ちゃんと食べてます?」
「ああ、なんか......スタッフに貰ったチョコ食べたよ」
 そして彼は食への執着が皆無。
 最後の食事から何時間経ったかも覚えていないし、自分の空腹を察知しない。
 体は栄養を欲してお腹の虫が鳴き、周りに突っ込まれることでやっと自分のエネルギー不足に気づく。
 ヘビースモーカーってみんなこうだよ、と言うがそんなことは絶対にない。
 食への興味のなさ、羨ましい。
 体重は一定を保っているが、カムバック前には無理をして落とせるところまで落とす。
 成長期で食欲旺盛な私は過度に食事量を減らして運動はちゃんとして、頑張っていた。
 減量中のウサギの餌みたいな食事でも、次の食事の時間を今か今かと待ちわびる。
 そんな私のとなりで、「リクさん、もうお昼食べました?」と聞かれて「あー、昨日から何も食べてないな。いいや、一昨日だっけ......」と答えていた時は心底、私にもその感覚をくれ、と思った。
 食べるときはドカ食いなのかと思いきや、、基本の食事量も女性より少ない。
 待機時間や活動期終了の打ち上げで一緒に食事をすると、彼がちょっとしか食べないせいで私がすごく食べているように見える。
 事務所基準の体重をキープさせるために目を光らせるマネージャーやスタッフから「多すぎる。減らしなさい」と言われたことが何度もある。
 当時はいい迷惑だったけれど、今はただ彼の身体が気がかりだ。
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