Too late
「......リさん、......ユリさん......」
眩しい明かりが顔に当たる。
真っ暗だった視界に無理矢理に光が入ってきた。
少しずつ目を開ける。
一瞬、ここがどこなのか分からなかった。
目を覚まして数秒間のフリーズ。
左隣には男性の顔。
思わず仰け反る。
後部座席の扉を開け、腰を屈めて私に声を掛けていたのはシウの家の執事。
「すみません! もしかしてずっと起きませんでした!? 叩き起こしてくれてもよかったのに!」
「いえいえ、先ほど到着したばかりです。足元危ないのでお気をつけて」
爽やかな笑顔でそう言って、手持ちのライトで足元を照らす。
プロフェッショナルだ。
降車すると、すぐさま「私はこれで」と言って運転席に戻ろうとした。
まだうっすら寝ぼけている私は気の赴くまま彼を引き留める。
「いかがされましたか?」
私の前でも背筋を伸ばして、行儀がいい。
1日中着ているはずのスーツも、正しい姿勢を崩さないためか皺ひとつない。
ずっとこんな調子でさぞかし疲れそう。
「お名前、伺ってもよろしいですか?」
彼は何を聞かれているかわからないって様子。
「えっ、と......私の名前ですか?」
「はい、あなたの」
私の問いかけに刹那の沈黙があった。怪訝な表情。
何故か不審がられている気がする。
「キム・ソンビンと申します」
「シウからはなんと呼ばれてらっしゃるんですか?」
不思議そうにしている。その反応が私にとっても不思議だ。
「呼ばれることはないです。執事ですから」
「ない?なんでですか?」
「有事にお助けするだけなので......基本的には敬称は無いですよ」
「でも、四六時中あのおうちにいらっしゃるんですよね?それなら家族同然でしょ?」
彼は「まさかそんな!」とお腹からの声を出して一歩後ずさった。
夜遅くの閑静な住宅地にはその声が綺麗に響き渡る。
彼がハッと口を抑えて「失礼しました」と言って咳払いをした。
「滅相もございません。ただお仕えしている身なので」
「そうなんですか......」
「ただ、シウお坊っちゃまは私にも労りの言葉をかけてくださいます。執事をはじめて20年近いですが、お坊っちゃまの様な方はなかなかいらっしゃいませんよ」
穏やかな微笑みを浮かべて、遠い目をする。
この人の人間らしい部分をやっと見つけた。
さっきシウがお疲れさまと声をかけていたのも普通ではないこと。
お金持ちの世界ってよく知らないけど、冷たいんだ。
「正直、今こうやってお話しているのもちょっと......代表様に知られたら良くは思われないです」
「どうしてですか?」
「お会いするのは今日が初めてですが、お坊っちゃまの大事なご友人も私がお仕えする立場ですので」
「そんなことないですよ。私は普通の人なんであなたと同じです。逆に私も、馴れ馴れしく話しかけてすみません。じゃあ、キム執事ってお呼びしてもいいですか?」
シウが聞いたらおかしいって言うのかもしれないけれど、人を人のように扱わないなんてこと、私にはできない。
「ユリさんがよろしければ......はい、是非」
「キム執事にひとつお願いしたいことがあって」
「はい、なんでしょう?」
「シウのことよろしくお願いします」
彼は目を丸くして聞き返した。
「その......日頃のお手伝いは十分にされてらっしゃると思います。でも、そういうことではなくて、あの人に目をかけていただけますか?」
図々しい自覚はある。
それでも、私一人がシウを大事にしたって意味がない。
それに私から寄り添ったなら、あの人はすぐに関係の進展を望むから。
つかず離れずの距離を保ったまま、私以外にも自分を見てくれる人がいることをシウには知ってほしい。
キム執事は、私の言葉を聞いてハッと息を呑んだ。
感情が溢れだすように息をこぼしながら何度も確かめるように頷く。
「......はい!」
その威勢のよい声、誠意がこもる。
些細なお願いを受け入れるには大きすぎるリアクション。
「思った通りの素敵な方です」
「え?」
「お坊っちゃまからユリさんがお家にいらっしゃることは伺っておりました。それ以外に何かをお聞きしたわけではないですが、お坊っちゃまのあんな表情を見たのは初めてで......私も楽しみにしておりました」
意気揚々と語りだす。
「あの家に来られてひと月、お坊っちゃまの笑った顔を見たことがなかったもので。ご年齢に比べて落ち着いていらっしゃっいます。今日初めて、あの年齢の方らしい無邪気な笑顔を拝見しました」
この人は、充分に彼を見てくれている。
ただ、立場上声を業務以外で接点を持たないようにしているだけ。
「シウ、頭は良いけど思ってるよりも抜けてるところもあるし全然冷たくなんてないんですよ」
キム執事が嬉しそうに、そうですかと頷いた。
「じゃあ、彼をよろしくお願いします。お会いすることはあまりないかもしれませんけど、気軽に声かけてください」
話はほどほどに、彼を帰した。
何時に退勤するのか聞いたら、「お連れのおふたりもお送りする予定です」と。
帰宅するや否や、グループチャットに【あんたたちも早く帰りなさいよ】と送った。
眩しい明かりが顔に当たる。
真っ暗だった視界に無理矢理に光が入ってきた。
少しずつ目を開ける。
一瞬、ここがどこなのか分からなかった。
目を覚まして数秒間のフリーズ。
左隣には男性の顔。
思わず仰け反る。
後部座席の扉を開け、腰を屈めて私に声を掛けていたのはシウの家の執事。
「すみません! もしかしてずっと起きませんでした!? 叩き起こしてくれてもよかったのに!」
「いえいえ、先ほど到着したばかりです。足元危ないのでお気をつけて」
爽やかな笑顔でそう言って、手持ちのライトで足元を照らす。
プロフェッショナルだ。
降車すると、すぐさま「私はこれで」と言って運転席に戻ろうとした。
まだうっすら寝ぼけている私は気の赴くまま彼を引き留める。
「いかがされましたか?」
私の前でも背筋を伸ばして、行儀がいい。
1日中着ているはずのスーツも、正しい姿勢を崩さないためか皺ひとつない。
ずっとこんな調子でさぞかし疲れそう。
「お名前、伺ってもよろしいですか?」
彼は何を聞かれているかわからないって様子。
「えっ、と......私の名前ですか?」
「はい、あなたの」
私の問いかけに刹那の沈黙があった。怪訝な表情。
何故か不審がられている気がする。
「キム・ソンビンと申します」
「シウからはなんと呼ばれてらっしゃるんですか?」
不思議そうにしている。その反応が私にとっても不思議だ。
「呼ばれることはないです。執事ですから」
「ない?なんでですか?」
「有事にお助けするだけなので......基本的には敬称は無いですよ」
「でも、四六時中あのおうちにいらっしゃるんですよね?それなら家族同然でしょ?」
彼は「まさかそんな!」とお腹からの声を出して一歩後ずさった。
夜遅くの閑静な住宅地にはその声が綺麗に響き渡る。
彼がハッと口を抑えて「失礼しました」と言って咳払いをした。
「滅相もございません。ただお仕えしている身なので」
「そうなんですか......」
「ただ、シウお坊っちゃまは私にも労りの言葉をかけてくださいます。執事をはじめて20年近いですが、お坊っちゃまの様な方はなかなかいらっしゃいませんよ」
穏やかな微笑みを浮かべて、遠い目をする。
この人の人間らしい部分をやっと見つけた。
さっきシウがお疲れさまと声をかけていたのも普通ではないこと。
お金持ちの世界ってよく知らないけど、冷たいんだ。
「正直、今こうやってお話しているのもちょっと......代表様に知られたら良くは思われないです」
「どうしてですか?」
「お会いするのは今日が初めてですが、お坊っちゃまの大事なご友人も私がお仕えする立場ですので」
「そんなことないですよ。私は普通の人なんであなたと同じです。逆に私も、馴れ馴れしく話しかけてすみません。じゃあ、キム執事ってお呼びしてもいいですか?」
シウが聞いたらおかしいって言うのかもしれないけれど、人を人のように扱わないなんてこと、私にはできない。
「ユリさんがよろしければ......はい、是非」
「キム執事にひとつお願いしたいことがあって」
「はい、なんでしょう?」
「シウのことよろしくお願いします」
彼は目を丸くして聞き返した。
「その......日頃のお手伝いは十分にされてらっしゃると思います。でも、そういうことではなくて、あの人に目をかけていただけますか?」
図々しい自覚はある。
それでも、私一人がシウを大事にしたって意味がない。
それに私から寄り添ったなら、あの人はすぐに関係の進展を望むから。
つかず離れずの距離を保ったまま、私以外にも自分を見てくれる人がいることをシウには知ってほしい。
キム執事は、私の言葉を聞いてハッと息を呑んだ。
感情が溢れだすように息をこぼしながら何度も確かめるように頷く。
「......はい!」
その威勢のよい声、誠意がこもる。
些細なお願いを受け入れるには大きすぎるリアクション。
「思った通りの素敵な方です」
「え?」
「お坊っちゃまからユリさんがお家にいらっしゃることは伺っておりました。それ以外に何かをお聞きしたわけではないですが、お坊っちゃまのあんな表情を見たのは初めてで......私も楽しみにしておりました」
意気揚々と語りだす。
「あの家に来られてひと月、お坊っちゃまの笑った顔を見たことがなかったもので。ご年齢に比べて落ち着いていらっしゃっいます。今日初めて、あの年齢の方らしい無邪気な笑顔を拝見しました」
この人は、充分に彼を見てくれている。
ただ、立場上声を業務以外で接点を持たないようにしているだけ。
「シウ、頭は良いけど思ってるよりも抜けてるところもあるし全然冷たくなんてないんですよ」
キム執事が嬉しそうに、そうですかと頷いた。
「じゃあ、彼をよろしくお願いします。お会いすることはあまりないかもしれませんけど、気軽に声かけてください」
話はほどほどに、彼を帰した。
何時に退勤するのか聞いたら、「お連れのおふたりもお送りする予定です」と。
帰宅するや否や、グループチャットに【あんたたちも早く帰りなさいよ】と送った。