ごめんなさい…、僕がこの世界にいるから…

才能の有無

お兄ちゃん。
お兄ちゃんには、たくさんの才に恵まれている人だった。
音楽、勉学、技術、ゲーム、芸術、運動。
神様から与えられるものが多い人だった。
ゲームも、さっき始めたばかりなのに先にやり始めた僕より上手くやる。
それに対して、僕は僕の持ち物がなかった。
才能が欲しくて、勉強したりゲームもしたけれどお兄ちゃんのほうが一枚上手だった。
歌もそう。
家で、カラオケしている時も上手いからとお母さんが曲でガイボがないときはお兄ちゃんに後ろからとサポートを頼む。
みんな、お兄ちゃんを褒める。
僕も褒めてはもらえるけれど、過大評価しすぎやお世辞に聞こえる。
才能が本当に、本当に欲しくて親に聞いたら「努力」とだけ言われた。それから、何度も聞いたけど返ってくるのは努力という漢字2文字だけ。
そこで、僕は思った。
僕は、それしかないのだと。
僕は、ずっと怒られていた。
家の鍵をなくしたり、学校のワークをなくしたりすれば怒られる。
部屋の片付けも上手に出来なくてまた怒られる。
1日に1回は怒られているのではないかと思うほど、頻度が多い。
何にも出来ない。
親から、受け継いだのは気持ち悪くなりそうな役立たずな性格だけ。
お母さんが持っていた足の速さはお兄ちゃんが持っていった。
お父さんの頭の良さもお兄ちゃんが持っていった。
みんなには、ないもの。
僕にしか、ないもの。
そんなもの。当然のように、無かった。


学校である日、「何でも、できるよね」とクラスの女の子が言った。
何でも、なんて言わないでほしい。
ああ、その子の期待に応えなくちゃ。
いつしか僕は、器用貧乏になった。
それから、色々な人たちから何でもできるよねと言われるたびにまた器用貧乏になった。

そのせいもあったのか、精神的にも追い詰められていた。
でも、親兄弟は僕の精神崩壊寸前には気づかない。
なぜなら、僕は家で楽しそうに作り笑いをしているから。
家でも、嫌なのに僕の面白い過去を話して笑う。笑う。
ああ、気分悪い。
居場所ない。
家も嫌で、学校も嫌だった。
対人恐怖症になって、一年が経った時。
1年前、学校行きたくなくて行きたくないとSOSは出した。
でも、お母さんが僕が1年前した話を盛って話した。よく、頑張ったよね。って言った。
何を今更!と怒りを覚えた。
行きたくないのに、学校行きたくないなら行かなくて良いって言ってたのに。翌朝には、何もなかったかのようにお弁当の準備をしていて!
大人たちは、信用できなくて家出を考えた。でも、宛もない。
同仕様もなくてただ僕は苦しめられていた。
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