元強面騎士団長様は可愛いものがお好き〜虐げられた元聖女は、お腹と心が満たされて幸せになる〜
9. マダム・ルビー
「こんにちは」
「こんにちは! ルビー様、また来てくださったのですね」
初めてのお客様であるケビンの来店を境に、『アインスロッド洋菓子店』にはパラパラとお客様が訪れるようになった。
そんな中、数日に一度の高頻度で通ってくれる常連客ができた。その常連客の名前はルビー様。艶やかな銀髪と真っ赤なルージュがトレードマークで、いつも羽帽子を被っている上品なマダムである。
以前に、「私が子供の頃にね、『名前負けしている』って馬鹿な男に揶揄われてねえ……悔しくって自分磨きに励んだのよ。このルージュは私のお守りなの。ああ、ちなみにその時の男が今の旦那なんだけどね。人生何があるか分からないねえ」と笑って語ってくれたことがあるとても気品があって気高い女性だ。
「ほほほ、すっかりここのお菓子とあなたのファンになってしまったの」
「え、わたし……?」
ルビー様は、この辺りで有名なマダムで、頻繁にお茶友達とお茶会を開いていらっしゃる。お茶会に出すお菓子がマンネリ化してきて新たなお菓子を開拓している折に、フラッと通りかかった当店の扉を叩いてくれた。
ケビンの来店以降、わたしとアインスロッド様は、どうすればもっとたくさんの人にお菓子を食べてもらえるか考え、クッキーを始めとした焼き菓子の試食を始めた。
ルビー様も試食で食べたフィナンシェを大いに気に入ってくれて、今ではお店で出しているお菓子やケーキ全品をコンプリートされている猛者である。
「そうよお。ここのお菓子を食べる時もだけど、あなたの笑顔を見るとね、不思議と元気が出るのよ。あら、この間よりも顔色がいいわね。いいことだわ。しっかり食べている?」
「わ、わわっ……」
ルビー様によって、少し弾力を取り戻した頬をフニフニ突かれる。ルビー様は線が細いわたしを心配して、こうしてよくお話ししてくれる優しいお方なのだ。
「マダム、うちの大切な従業員をあまり困らせないでくれ」
「あら、店長さん。今日もチャーミングですこと」
ルビー様にタジタジのわたしにいつも助け舟を出してくれるのは、もちろんアインスロッド様だ。追加のケーキが入った番重を抱えていて、腕には太い血管が浮き出ている。なのにラブリーなエプロンを身に纏っているものだから、アンバランスさがすごい。
ルビー様はアインスロッド様にも臆することなく気さくに接していて、彼もルビー様の来店を心待ちにしているように見受けられる。
「ミラベルは今朝もパンを二つにサラダ、とうもろこしのポタージュをおかわりして……」
「きゃああっ!」
二人の関係性にほっこりしていたところ、突然今朝の食事量を発表されたわたしは悲鳴を上げた。デリカシー!
キッとアインスロッド様に抗議の眼差しを向けると、「悪い悪い」と悪びれた様子なく片目を爽やかに閉じられる。そんな姿も様になるので悔しい。
「あらあら、相変わらず仲良しさんね。ほほほ、眼福眼福」
「ルビー様ぁ……」
しばしの談笑を楽しんで、ルビー様はクッキーとマカロンを二箱ずつ買ってから店を去っていった。
「マダムには助けられてばかりだな」
「ええ、本当に」
わたしたちはルビー様が去ってからも扉に視線を向けたまま、しみじみと語り合う。
ルビー様がお茶会でうちのお菓子を熱心に紹介してくださったようで、ルビー様の初来店を契機に、急激に来客数が増えたのだ。
ルビー様のお茶友達から始まり、友達の友達、その家族……と口伝えにお店の評判が広がって、店はすっかり賑やかになっていた。
これまで毎日余っていたお菓子たちは、ルビー様の紹介で孤児院に寄付させてもらえることにもなり、とても助かっている。毎晩余ったお菓子を食べるのがそろそろ厳しくなってきていたのだ。
おかげさまで最近ではお菓子が余ることは稀で、完売御礼の札をかける日も増えているのだけれど。
お客様の喜ぶ顔が見られるのはとても嬉しい。
もっともっと、喜んでもらえるように練習して、可愛くお菓子を彩りたい。いつしかそう思うようになっていた。
***
ある日、わたし一人で店番をしているタイミングでルビー様が来店された。
そしてマジマジとわたしを見つめてくる。なんだろう?
「ミラベル、あなたはそのままでも十分可愛いけどね、たまには自分を着飾ってみてはどう?」
「ええっ! そんな……生まれてこの方、おしゃれには無縁で生きて来ましたので……」
「おや、では尚更ね。今度のお休みは空いているの? 私がプロデュースしちゃうわよ」
「予定は空いておりますが……」
「では決まりね! 昼前に迎えに来ます。ほほほ、楽しみだわ」
ルビー様は優雅に笑うと、チョコレートケーキを一つ買ってご機嫌に店を後にした。
――そして、約束の休みの日。
「さあ、行くわよ!」
「ど、どちらへ……?」
「ほほほ、それは行ってのお楽しみ。着いて来なさいな」
ズンズンと先を進んでいくルビー様の後を慌てて追う。
賑やかな通りに出ると、目的の店はすぐに見つかった。
この辺りでも有名なブティックだ。お客様がよく話題にしているので、オシャレに無頓着なわたしでも知っている。
「さ、入るわよ」
「えっ! 本当にここですか!?」
オシャレの最先端のお店で有名だけど、その分お値段も張るというのに……
キラキラ眩い洋服たちに腰が引けていると、ルビー様は「あれとあれ。ああ、あそこのワンピースも可愛いわね」と次から次へと店員さんに指示していく。
「よし、試着タイムよ!」
「ひええ!」
ポーイッと試着部屋に放り込まれたわたしは、店員さんの手を借りつつ目を回しながらもたくさんの洋服に袖を通した。
結果、ルビー様のお眼鏡にかなったワンピースを二着もプレゼントされてしまった。
「あ、あのっ、こんなに高価なもの……いただけません」
「私があなたに贈りたいのよ。年寄りを満足させるためだと思って、ね? 受け取ってもらえないかしら?」
「うう……感謝してもしきれません……」
買っていただいたワンピースを身につけたわたしは、ルビー様の私物の化粧品で素早く化粧を施されている。手際よく髪も結い上げられていき、ルビー様は一体何者なのだろう? と今更ながら疑問を抱く。
「さ、最後はルージュを塗って……よし!」
「あ……」
満足げに微笑むルビー様から手鏡を受け取ったわたしは思わず息を呑んだ。
鏡の中では可憐な女性が目を瞬いてこちらを見ている。
これが……わたし?
「驚きました……こんなに変わるものなのですね」
「ふふ、ミラベルは元がいいんだもの。私はちょいとあなたの魅力を引き出す手伝いをしただけよ」
思わず鏡に映る自分に見惚れていると、懐中時計を確認したルビー様が「あら大変、のんびりしすぎたかしら。行くわよ!」とわたしの手を引いた。誠に忙しない。
手を引かれるままに連れられて来たのは、珈琲が美味しいと有名なカフェだった。そのカフェのテラスに見知った筋肉質な後ろ姿を見つけ、思わず足を止める。燃えるような赤髪を見間違えるわけがない。どうしてここに?
わたしが固まっている間にも、ルビー様は迷うことなくその人が座るテーブルに向かっていく。
「待たせたわね」
「ああ、マダム。俺も今来たところです……よ」
振り返ったアインスロッド様が、ルビー様越しにわたしの姿を視界に捉えたらしく、ゆっくりと目を見開いていく。
「あ、アインスロッド様……?」
「ミラベル……なのか?」
ガタッと椅子を鳴らして立ち上がったアインスロッド様が、真っ直ぐわたしの元へとやって来る。
「驚いた。ミラベル、とても可愛い。もちろんいつも可愛いが、今日は格別に可愛いな」
三回も可愛いって言った!?
嬉しそうに表情を緩ませるアインスロッド様の目が見れなくて、助けを求めるようにルビー様に視線を移してしまう。
ルビー様は朗らかな笑みを浮かべたまま、ちょんちょんっとご自身の唇を突いている。
『ルージュは私のお守りなの』
ハッといつしか語ってくれた話を思い出す。
わたしはグッと背筋を伸ばしてアインスロッド様に向き合った。
「ルビー様に彩っていただきました。似合って……いますか?」
最後はやっぱり照れくさくて尻すぼみになってしまったけれど、アインスロッド様は嬉しそうに眩しい笑みを浮かべられた。
「ああ、もちろんだ。本当に可愛い」
「う……四回目です……」
ニコニコと恥ずかしげもなく『可愛い』とおっしゃるアインスロッド様と、照れてしまって顔を覆ってしまったわたしを楽しそうにルビー様が見つめている。
「ほほほ、眼福眼福。さて、ここの珈琲は格別なのよ。三人で楽しみましょう?」
わたしたちは円卓のテーブルに腰掛けてそれぞれ珈琲と日替わりケーキを注文した。今日はベリーをふんだんに使ったタルトのようで楽しみだ。
三人のティータイムは、甘味をたっぷり堪能しつつ、とりとめのない話をして笑いが絶えないひと時となった。
「本当に、あなたもよく笑うようになって……素敵よ。女の一番の化粧は笑顔だもの。たくさん笑っていれば、幸せだって呼び寄せられてくるわよ」
談笑の最中、ルビー様に言われて自分でも驚いた。
ついひと月前まで、ボロボロのワンピースを着て、寒さに震えながら花を売っていたわたしが最後に笑ったのはいつだったのだろう。
アインスロッド様に救われて、いつしか強張っていた表情筋もほぐれて自然と笑えるようになっていた。荒み切っていた心が温もりを取り戻し、まるで春の若葉のように新たな生命を吹き込まれたようだ。
「アインスロッド様やルビー様……皆様がよくしてくださるおかげです。いつもありがとうございます」
精一杯の感謝の気持ちを伝えると、アインスロッド様とルビー様は顔を見合わせて笑った。その笑顔はとても優しいもので、わたしの胸をポカポカと温めてくれる。
「こちらこそ、あなたたちには感謝しているわ。これからもずっと、あなたたちのお店で賑やかに過ごせると嬉しいわ。たまにはこうしてお出かけに付き合ってくれると、もっと嬉しいわ」
「ルビー様……」
ルビー様の願いに、わたしたちは曖昧に微笑んだ。
アインスロッド様は一見お元気に見えるけれど、魔物の呪いを受けてあと一年も生きられない。
毎日が楽しくてつい忘れそうになるけれど、今の穏やかで幸せな日々にも終わりがある。そう思うと胸が切なく締め付けられる。
――女神様。
国を追われ、見捨てられたこんなわたしですが、もし一つだけ願いを叶えてくださるのなら……
どうか、アインスロッド様を呪いから解放してください。たくさんの人を笑顔にできる素敵な人だから。
それに、わたしにとっても大切な――
チラリとアインスロッド様に視線を向ける。
アインスロッド様は元騎士団長ということもあるのか、とても気配に敏感で、見つめているとすぐにバレてしまう。
「ん? どうした?」
フッと穏やかな笑みを向けられると、切ない気持ちが込み上げると同時にほわりと心が温かくもなる。
「いえ、なにも……」
芽生え始めたこの想いは、きっとアインスロッド様の負担になる。
だから、せめてあなたの呪いが解けることを願わせてほしい。
そう思いながら、わたしは大切な人たちに笑顔を返した。
「こんにちは! ルビー様、また来てくださったのですね」
初めてのお客様であるケビンの来店を境に、『アインスロッド洋菓子店』にはパラパラとお客様が訪れるようになった。
そんな中、数日に一度の高頻度で通ってくれる常連客ができた。その常連客の名前はルビー様。艶やかな銀髪と真っ赤なルージュがトレードマークで、いつも羽帽子を被っている上品なマダムである。
以前に、「私が子供の頃にね、『名前負けしている』って馬鹿な男に揶揄われてねえ……悔しくって自分磨きに励んだのよ。このルージュは私のお守りなの。ああ、ちなみにその時の男が今の旦那なんだけどね。人生何があるか分からないねえ」と笑って語ってくれたことがあるとても気品があって気高い女性だ。
「ほほほ、すっかりここのお菓子とあなたのファンになってしまったの」
「え、わたし……?」
ルビー様は、この辺りで有名なマダムで、頻繁にお茶友達とお茶会を開いていらっしゃる。お茶会に出すお菓子がマンネリ化してきて新たなお菓子を開拓している折に、フラッと通りかかった当店の扉を叩いてくれた。
ケビンの来店以降、わたしとアインスロッド様は、どうすればもっとたくさんの人にお菓子を食べてもらえるか考え、クッキーを始めとした焼き菓子の試食を始めた。
ルビー様も試食で食べたフィナンシェを大いに気に入ってくれて、今ではお店で出しているお菓子やケーキ全品をコンプリートされている猛者である。
「そうよお。ここのお菓子を食べる時もだけど、あなたの笑顔を見るとね、不思議と元気が出るのよ。あら、この間よりも顔色がいいわね。いいことだわ。しっかり食べている?」
「わ、わわっ……」
ルビー様によって、少し弾力を取り戻した頬をフニフニ突かれる。ルビー様は線が細いわたしを心配して、こうしてよくお話ししてくれる優しいお方なのだ。
「マダム、うちの大切な従業員をあまり困らせないでくれ」
「あら、店長さん。今日もチャーミングですこと」
ルビー様にタジタジのわたしにいつも助け舟を出してくれるのは、もちろんアインスロッド様だ。追加のケーキが入った番重を抱えていて、腕には太い血管が浮き出ている。なのにラブリーなエプロンを身に纏っているものだから、アンバランスさがすごい。
ルビー様はアインスロッド様にも臆することなく気さくに接していて、彼もルビー様の来店を心待ちにしているように見受けられる。
「ミラベルは今朝もパンを二つにサラダ、とうもろこしのポタージュをおかわりして……」
「きゃああっ!」
二人の関係性にほっこりしていたところ、突然今朝の食事量を発表されたわたしは悲鳴を上げた。デリカシー!
キッとアインスロッド様に抗議の眼差しを向けると、「悪い悪い」と悪びれた様子なく片目を爽やかに閉じられる。そんな姿も様になるので悔しい。
「あらあら、相変わらず仲良しさんね。ほほほ、眼福眼福」
「ルビー様ぁ……」
しばしの談笑を楽しんで、ルビー様はクッキーとマカロンを二箱ずつ買ってから店を去っていった。
「マダムには助けられてばかりだな」
「ええ、本当に」
わたしたちはルビー様が去ってからも扉に視線を向けたまま、しみじみと語り合う。
ルビー様がお茶会でうちのお菓子を熱心に紹介してくださったようで、ルビー様の初来店を契機に、急激に来客数が増えたのだ。
ルビー様のお茶友達から始まり、友達の友達、その家族……と口伝えにお店の評判が広がって、店はすっかり賑やかになっていた。
これまで毎日余っていたお菓子たちは、ルビー様の紹介で孤児院に寄付させてもらえることにもなり、とても助かっている。毎晩余ったお菓子を食べるのがそろそろ厳しくなってきていたのだ。
おかげさまで最近ではお菓子が余ることは稀で、完売御礼の札をかける日も増えているのだけれど。
お客様の喜ぶ顔が見られるのはとても嬉しい。
もっともっと、喜んでもらえるように練習して、可愛くお菓子を彩りたい。いつしかそう思うようになっていた。
***
ある日、わたし一人で店番をしているタイミングでルビー様が来店された。
そしてマジマジとわたしを見つめてくる。なんだろう?
「ミラベル、あなたはそのままでも十分可愛いけどね、たまには自分を着飾ってみてはどう?」
「ええっ! そんな……生まれてこの方、おしゃれには無縁で生きて来ましたので……」
「おや、では尚更ね。今度のお休みは空いているの? 私がプロデュースしちゃうわよ」
「予定は空いておりますが……」
「では決まりね! 昼前に迎えに来ます。ほほほ、楽しみだわ」
ルビー様は優雅に笑うと、チョコレートケーキを一つ買ってご機嫌に店を後にした。
――そして、約束の休みの日。
「さあ、行くわよ!」
「ど、どちらへ……?」
「ほほほ、それは行ってのお楽しみ。着いて来なさいな」
ズンズンと先を進んでいくルビー様の後を慌てて追う。
賑やかな通りに出ると、目的の店はすぐに見つかった。
この辺りでも有名なブティックだ。お客様がよく話題にしているので、オシャレに無頓着なわたしでも知っている。
「さ、入るわよ」
「えっ! 本当にここですか!?」
オシャレの最先端のお店で有名だけど、その分お値段も張るというのに……
キラキラ眩い洋服たちに腰が引けていると、ルビー様は「あれとあれ。ああ、あそこのワンピースも可愛いわね」と次から次へと店員さんに指示していく。
「よし、試着タイムよ!」
「ひええ!」
ポーイッと試着部屋に放り込まれたわたしは、店員さんの手を借りつつ目を回しながらもたくさんの洋服に袖を通した。
結果、ルビー様のお眼鏡にかなったワンピースを二着もプレゼントされてしまった。
「あ、あのっ、こんなに高価なもの……いただけません」
「私があなたに贈りたいのよ。年寄りを満足させるためだと思って、ね? 受け取ってもらえないかしら?」
「うう……感謝してもしきれません……」
買っていただいたワンピースを身につけたわたしは、ルビー様の私物の化粧品で素早く化粧を施されている。手際よく髪も結い上げられていき、ルビー様は一体何者なのだろう? と今更ながら疑問を抱く。
「さ、最後はルージュを塗って……よし!」
「あ……」
満足げに微笑むルビー様から手鏡を受け取ったわたしは思わず息を呑んだ。
鏡の中では可憐な女性が目を瞬いてこちらを見ている。
これが……わたし?
「驚きました……こんなに変わるものなのですね」
「ふふ、ミラベルは元がいいんだもの。私はちょいとあなたの魅力を引き出す手伝いをしただけよ」
思わず鏡に映る自分に見惚れていると、懐中時計を確認したルビー様が「あら大変、のんびりしすぎたかしら。行くわよ!」とわたしの手を引いた。誠に忙しない。
手を引かれるままに連れられて来たのは、珈琲が美味しいと有名なカフェだった。そのカフェのテラスに見知った筋肉質な後ろ姿を見つけ、思わず足を止める。燃えるような赤髪を見間違えるわけがない。どうしてここに?
わたしが固まっている間にも、ルビー様は迷うことなくその人が座るテーブルに向かっていく。
「待たせたわね」
「ああ、マダム。俺も今来たところです……よ」
振り返ったアインスロッド様が、ルビー様越しにわたしの姿を視界に捉えたらしく、ゆっくりと目を見開いていく。
「あ、アインスロッド様……?」
「ミラベル……なのか?」
ガタッと椅子を鳴らして立ち上がったアインスロッド様が、真っ直ぐわたしの元へとやって来る。
「驚いた。ミラベル、とても可愛い。もちろんいつも可愛いが、今日は格別に可愛いな」
三回も可愛いって言った!?
嬉しそうに表情を緩ませるアインスロッド様の目が見れなくて、助けを求めるようにルビー様に視線を移してしまう。
ルビー様は朗らかな笑みを浮かべたまま、ちょんちょんっとご自身の唇を突いている。
『ルージュは私のお守りなの』
ハッといつしか語ってくれた話を思い出す。
わたしはグッと背筋を伸ばしてアインスロッド様に向き合った。
「ルビー様に彩っていただきました。似合って……いますか?」
最後はやっぱり照れくさくて尻すぼみになってしまったけれど、アインスロッド様は嬉しそうに眩しい笑みを浮かべられた。
「ああ、もちろんだ。本当に可愛い」
「う……四回目です……」
ニコニコと恥ずかしげもなく『可愛い』とおっしゃるアインスロッド様と、照れてしまって顔を覆ってしまったわたしを楽しそうにルビー様が見つめている。
「ほほほ、眼福眼福。さて、ここの珈琲は格別なのよ。三人で楽しみましょう?」
わたしたちは円卓のテーブルに腰掛けてそれぞれ珈琲と日替わりケーキを注文した。今日はベリーをふんだんに使ったタルトのようで楽しみだ。
三人のティータイムは、甘味をたっぷり堪能しつつ、とりとめのない話をして笑いが絶えないひと時となった。
「本当に、あなたもよく笑うようになって……素敵よ。女の一番の化粧は笑顔だもの。たくさん笑っていれば、幸せだって呼び寄せられてくるわよ」
談笑の最中、ルビー様に言われて自分でも驚いた。
ついひと月前まで、ボロボロのワンピースを着て、寒さに震えながら花を売っていたわたしが最後に笑ったのはいつだったのだろう。
アインスロッド様に救われて、いつしか強張っていた表情筋もほぐれて自然と笑えるようになっていた。荒み切っていた心が温もりを取り戻し、まるで春の若葉のように新たな生命を吹き込まれたようだ。
「アインスロッド様やルビー様……皆様がよくしてくださるおかげです。いつもありがとうございます」
精一杯の感謝の気持ちを伝えると、アインスロッド様とルビー様は顔を見合わせて笑った。その笑顔はとても優しいもので、わたしの胸をポカポカと温めてくれる。
「こちらこそ、あなたたちには感謝しているわ。これからもずっと、あなたたちのお店で賑やかに過ごせると嬉しいわ。たまにはこうしてお出かけに付き合ってくれると、もっと嬉しいわ」
「ルビー様……」
ルビー様の願いに、わたしたちは曖昧に微笑んだ。
アインスロッド様は一見お元気に見えるけれど、魔物の呪いを受けてあと一年も生きられない。
毎日が楽しくてつい忘れそうになるけれど、今の穏やかで幸せな日々にも終わりがある。そう思うと胸が切なく締め付けられる。
――女神様。
国を追われ、見捨てられたこんなわたしですが、もし一つだけ願いを叶えてくださるのなら……
どうか、アインスロッド様を呪いから解放してください。たくさんの人を笑顔にできる素敵な人だから。
それに、わたしにとっても大切な――
チラリとアインスロッド様に視線を向ける。
アインスロッド様は元騎士団長ということもあるのか、とても気配に敏感で、見つめているとすぐにバレてしまう。
「ん? どうした?」
フッと穏やかな笑みを向けられると、切ない気持ちが込み上げると同時にほわりと心が温かくもなる。
「いえ、なにも……」
芽生え始めたこの想いは、きっとアインスロッド様の負担になる。
だから、せめてあなたの呪いが解けることを願わせてほしい。
そう思いながら、わたしは大切な人たちに笑顔を返した。