狐の婿殿と鬼嫁様
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 婚約者に私というものがありながら、幼き初恋の姉の背中とお尻の後ろ姿を、うっとりと憧憬の眼差しで見送りよる青。ほんの少しだけ頬が赤くなってないだろうか?
 だから私は肘鉄に小突いて「やらしー奴」と小声で聞こえるように独り言してやる。青は決まり悪そうに照れて困り顔になり、「勘弁してよ」とでも言いたげだった。

「だって」

「お姉ちゃんがあのパンツ履いたら、あんた嬉しいわけなの?」

「かも」

 こいつ、認めやがった?

「かもって、なによー!」

 私はさっきまで従順にキスを受け入れて濡れた唇を尖らせる。いささか意地悪な気分になったのも手伝って、冷や水を浴びせてやりたくなってくる。

「お姉ちゃん、好きな人ができたかもね」

「ほんと?」

「まだよくわからないし、きっかけみたいなのだけなんだけど。前に、「鬼」の子供に襲われたときに、あとで病院にお見舞いと謝りに来てくれた兄貴分の人。お姉ちゃん、それで欲求不満から機嫌直したっぽいのよねえ」

「鬼、か」

 青は、やや深刻な考え深げな顔になる。
 どうも姉の恋模様での驚きだけでなく「鬼」という言葉で、何事か思うところがあるらしい。彼は自分自身が政府機関の傘下の「人造エリート」の「狐」の二世代目だというのに、何かまずいことがあるのか。同族嫌悪やライバル心なのか。
 そこで私は心配を解きほぐすように説明した。

「鬼って言っても、反政府勢力とかじゃなくって、アンタと同じような政府機関の人だよ」

「うーん、鬼はちょっと特別なんだ」

「そうなの?」

 話のなりゆきで怪訝な顔をした私に、今度は青が説明する番だった。

「鬼のタイプや血統は、純粋に戦闘向けでトップクラスで強い。でも強力過ぎるから、その分に管理が厳重なんだよ。気も強いし粗暴な奴も少なくないし、管理のために「酵素剤」を投与されたり、特殊なとこがあって。彼らも、僕ら「狐」や他の多くの人造ノーブル(貴族)の騎士種族みたいに、それなりに尊重されたり丁重には扱われるんだけど」

 青は自分自身の「狐」の血筋のことを「人造ノーブル」とか「騎士種族」と表現することが多い。言い方はいろいろあっても、どの言葉を選ぶかで本人の好みや考え方は暗に反映しているのだろう。「支配者や上位者の貴族」ではなく「人間によって人為的に造られた貴族」で、人間を守る「騎士」の種族だというのが青自身の自覚らしい。
 いつだったか、青は苦々しげな話題と興味半分で、遠い昔の「ソビエトのゴリラ兵士」のことを話してくれたことがある。かつて外国の独裁国家で強い兵士をつくるためにゴリラと人間の混血交配した合いの子を造ろうとした狂気の実験(囚人にされた被験者を使ってやったそうだが)。そんなことをやっていることで(元から非人道的で暴圧的だった倫理観がさらに悪化して)、国が丸ごと悲惨なことになったらしい。現在の「人造エリート」もその手の生物兵器と似たところがあったが、それでも人間を過剰に非人間的な道具にし過ぎたり人の命や人生をオモチャにすることを嫌ったゆえに、「人造のエリート貴族」「騎士種族」という意義づけ・位置づけがなされた。
 ゆえに、同じ遺伝子操作や人工子宮の実験での誕生であっても、彼らの場合には建前では遺伝子治療や不妊治療の延長上の存在という位置づけだった。さらには部分的に旧華族の名家や王族・皇族の遺伝子を使って組み込んで「国宝血統ブランドの刻印」のようにしたり、「かつての源氏や平氏の武者のように国民を守り奉仕して敬われなさい」という独特の倫理観や理想に基づいて地位を与えられている。

「僕も、調べてみる。ツテもあるし、どんな人なのか気になるし。良い人だったら、あんまり止めるのも悪いけどさ、やっぱり気になる」

 別れ際に、心配げな青はそんなふうに小声で言って、私も不安と好奇心に頷いた。
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