狐の婿殿と鬼嫁様
2
 深夜の街では、イチャつくアベックなんか珍しくもないだろう。即席のナンパでホイホイとついていく尻軽女やら、売春婦やまがいのホステスだってざらにいることだろう。
 だから目立たず、誰にも見咎められなかった。
 薄暗がりの脇道、ビルの隙間に女が男の手を引いていく。

「積極的じゃないか」

「だってえ」

 若い女は甘え笑った。
 媚びた空気とこなれた色っぽさを漂わせて、まして夜闇では女性はかえって美しく見えたりもする。無敵だ。
 引っ張り込んで数メートルで、女が男を壁に押しつけてキスをする。またたくまに片手がズボンの股間を撫でたあとでシャツの裾から忍び込む。手のひらと指で腹筋を触り楽しんでいる。

「いい身体してるのね。女みたいに柔らかくなくって、引き締まってかったいお肉」

「スケベ女だな。そんなに欲求不満なんて、珍しくないか?」

「こういうの嫌なわけ? あなたから誘ってきたくせに。ここのところ、膨らんじゃって」

「嫌なわけないだろう」

 男は酒気を帯びた息を弾ませ、自分でも女の尻を撫でまわしている。しまいにはスカートから手を潜り込ませて、淑やかな肉桃を鷲つかむ。その間にも、押しつけあって戯れる唇の合間に舌がもつれ絡んだ。
 カチャカチャと小さな音を立てて、小さな手指でベルトが外されていき、蛇のような手が急所にいたずらしてから、シャツをめくるように撫でまわして這い上がる。女性に比べて官能の繊細さや肌の感覚が鈍い男でも、こんなに興奮していれば全く感じないでもないのだろう。されるがままの男に、女のもう片方の手は首筋に這って、硬さをたしかめるように巻きつく。
 いきなり、女のすべらかな指があり得ない力で顎を引っ張った。力を逃がしたり、危険を避けて離れる余裕はなかった。グキリと首が鳴って、頚椎がおかしな不自然な角度にねじれてしまう。

「がっ、はっ!」

 男は神経が半分潰れたことと、頚椎へのダメージでうまく身体を動かすこともできない。喉を女の手が押さえてキスで唇を塞いでいるのでうまく悲鳴すらあげられない。うめき声も、こんな暗がりで遠目に見られて微かに聞こえたとしても、快感で呻いているくらいにしか思われないだろう。
 女の手は、鉄の爪のように腹筋をつかんで、食い込んでくる。血がタラタラ流れたが、こんなに暗くては近くでもようやく鉄さびの臭いを感じるくらいだろう。
 犠牲の獲物を抱きかかえて転がすように落とし、もう一度弾みで首に力をかける。あがこうとした延髄に、顔を腹に抱くみたいにしながら、ショックを叩き込む。楽々と、より奥の物陰に引きずっていく。瀕死の男は抗うこともできない。
 あとは横たえた顔に尻を乗せ、太股で胸あたりを押さえ込む(もがく顔がくすぐったく愉しいし悲鳴をクッションみたいに押し潰せる)。誰かに目撃されたとしても、夜の遠目には卑猥な戯れに見えるだろう。身体でかぶさるようにしながらナイフで腹筋の左右に切れ目を入れて、引き剥がす。肝臓も抜き取って、不織布とビニールの袋にいれた(臭いが漏れないように、口を紐で二括りして)。

「ごちでした。いただきます、かな?」

 ミアは中腰になってわずかに意識の残った男の顔面へと「末期の水」に放尿してやる。
 獲物の肉の袋はナップザックに入れて、ポシェットから香水のスプレーを吹きまくる。被害者の血の臭いを一時ごまかすには小便と香水は使えなくもない。少しくらい返り血がついていても暗色の柄付きの服であれば、夜ならばあまり目立たない(薄い着替えシャツとスパッツやハンドタオルは持ち歩いている)。
 ポケットから、一昨日の晩に生きたまま焼いて食べた猫の頭(なんとなく引き千切ってとっておいたのだ)が入っていたので、本日の犠牲者の口に詰め込んでやる。置き土産のプレゼント。

(さっさと逃げてずらかろっと)

 夜の街の喧噪とまばらな人々に紛れてとっとと行方をくらますミアの足取りは、割引のワインでも安く手に入れたような軽やかさだった。
< 14 / 20 >

この作品をシェア

pagetop