狐の婿殿と鬼嫁様
第七話 オニババと若人
1
この闇と光のどこかで、まだミアはさまよっているのだろうか? それとも、とっくに死んでしまったのかもしれなかった。
こうして屋上から夜空と灯が消えていく街をみていると、俺(セロ)はたまに寂寥感でなんだかいたたまれなくなってくる。
(ミュータント・ギャングやら革命軍やらの言うことなんか、ちょっと考えれば破綻しているとわかるだろうが。子供や頭の悪い奴らには勇壮で理想的でもっともらしく聞こえるんだろうよ)
多くの反政府勢力のミュータントやエスパーたちの掲げる「理想」とやらは、概して「自分たちこそ新しい優れた人類だから支配者になるべきだ」というパターンの同工異曲が多い。だが多くの場合には実際にやっていることはただの犯罪集団や旧時代的なマフィアやテロリストビジネスなどとあまり大差がない。しょせん、少しばかり生物的に強力だろうが超能力があろうが「人間」の一種で、その枠組みの中でイキがったりワガママしているだけなのだ。
(あのホームビデオ、どこが「進歩した人間」の姿なんだろうか? むしろ退化だろ。ああやって快楽や利益をむさぼりたいのはただの俗物的な欲求で、人類共通だろうよ)
笑うに笑えないのは、それが「幼なじみで初恋の少女」の成れの果てだから。まだトラウマとわだかまりは癒えていない。
やり方や程度にもよるが、特に他人や社会に無法行為や詐欺で加害しまくるようなあり方は憎み嫌われて排斥されて当たり前なのだ。ヤクザや犯罪者でしかない。
もしも力が強いだけで素晴らしい支配者になれるのならば、より古い時代のミュータント(新人類)である「古代鬼」たちが世界を統治しているはずだ。原子時代を考えても、優勢になったのは個体として強かったらしいネアンデルタール人ではなく、ホモサピエンスだった(現代人は両者が混血しているともされる。ホモサピエンスの強みは、あるいは情緒や意思疎通などの能力が優れていたのか、「犬をうまく仲間にして使役できた」ことらしい。他にネアンデルタール人は脳の容量で頭が大きく、出産での死亡率が高かった説もある)。
戦闘力だけが強くて覇権を握ったところで、統治者として賢明で良識があるかは別問題でもある。暴力だけでは防衛や治安維持はできても、経済や産業は維持や発展できない。独裁支配というのは状況によって、指揮者・指導者が賢ければ有効かもしれないが、しばしばかえって「非効率」でもある(自発的な努力や相互の誠実さによるチームワーク連携が働かなくなってしまうため)。歴史的に見ても、上手く分業・連携や相互監視・補完関係の社会システムを作った日本や西ヨーロッパの方が、独裁体制文化のロシア・中国や西アジアなどより長期的には発展している。
もしも全てを支配や保有するならば、逆に上手く全てを扱って問題処理できるとは思えない(人間の能力や判断力と労力リソースには限界がある)。セロ自身は高い戦闘力があっても、他の人間の軍人や警官と相互に信頼や連携することで、自発的に協力してくれる仲間たちとで効率的に街や人間の安全を守ることができて負担も少なく済んでいるわけだし(一人や「騎士種族」だけでできるわけがない)、商工業の監督や外交やら経済政策まで総覧するのも無理に決まっている。
(俺たちは「すでに与えられている」のに、それがわからないバカどもめ)
誰でも利益や地位は欲しいだろうが、自分たちには最初から「騎士種族」の名誉があるのだし、普通にやっていれば悪くない俸給を貰えて世間からも評価や感謝される(人間の大部分・広範囲から憎まれて孤立しながら監獄のような豪邸に立て籠もって幸せか?)。
だからあいつら(ミュータントギャング)は大馬鹿野郎だと思っているが、その大馬鹿野郎どもに初恋の少女を奪われて(彼女も大馬鹿野郎だ!)、いまだに引きずっている大馬鹿野郎が自分。
(叫びたくなってくるな!)
考えるほどに、頭が熱を持ってくる。
どこかのありふれたフィクション創作物でよくあるように、本気で夜空に「バカヤロー」と叫んでやりたいくらいだった。
この闇と光のどこかで、まだミアはさまよっているのだろうか? それとも、とっくに死んでしまったのかもしれなかった。
こうして屋上から夜空と灯が消えていく街をみていると、俺(セロ)はたまに寂寥感でなんだかいたたまれなくなってくる。
(ミュータント・ギャングやら革命軍やらの言うことなんか、ちょっと考えれば破綻しているとわかるだろうが。子供や頭の悪い奴らには勇壮で理想的でもっともらしく聞こえるんだろうよ)
多くの反政府勢力のミュータントやエスパーたちの掲げる「理想」とやらは、概して「自分たちこそ新しい優れた人類だから支配者になるべきだ」というパターンの同工異曲が多い。だが多くの場合には実際にやっていることはただの犯罪集団や旧時代的なマフィアやテロリストビジネスなどとあまり大差がない。しょせん、少しばかり生物的に強力だろうが超能力があろうが「人間」の一種で、その枠組みの中でイキがったりワガママしているだけなのだ。
(あのホームビデオ、どこが「進歩した人間」の姿なんだろうか? むしろ退化だろ。ああやって快楽や利益をむさぼりたいのはただの俗物的な欲求で、人類共通だろうよ)
笑うに笑えないのは、それが「幼なじみで初恋の少女」の成れの果てだから。まだトラウマとわだかまりは癒えていない。
やり方や程度にもよるが、特に他人や社会に無法行為や詐欺で加害しまくるようなあり方は憎み嫌われて排斥されて当たり前なのだ。ヤクザや犯罪者でしかない。
もしも力が強いだけで素晴らしい支配者になれるのならば、より古い時代のミュータント(新人類)である「古代鬼」たちが世界を統治しているはずだ。原子時代を考えても、優勢になったのは個体として強かったらしいネアンデルタール人ではなく、ホモサピエンスだった(現代人は両者が混血しているともされる。ホモサピエンスの強みは、あるいは情緒や意思疎通などの能力が優れていたのか、「犬をうまく仲間にして使役できた」ことらしい。他にネアンデルタール人は脳の容量で頭が大きく、出産での死亡率が高かった説もある)。
戦闘力だけが強くて覇権を握ったところで、統治者として賢明で良識があるかは別問題でもある。暴力だけでは防衛や治安維持はできても、経済や産業は維持や発展できない。独裁支配というのは状況によって、指揮者・指導者が賢ければ有効かもしれないが、しばしばかえって「非効率」でもある(自発的な努力や相互の誠実さによるチームワーク連携が働かなくなってしまうため)。歴史的に見ても、上手く分業・連携や相互監視・補完関係の社会システムを作った日本や西ヨーロッパの方が、独裁体制文化のロシア・中国や西アジアなどより長期的には発展している。
もしも全てを支配や保有するならば、逆に上手く全てを扱って問題処理できるとは思えない(人間の能力や判断力と労力リソースには限界がある)。セロ自身は高い戦闘力があっても、他の人間の軍人や警官と相互に信頼や連携することで、自発的に協力してくれる仲間たちとで効率的に街や人間の安全を守ることができて負担も少なく済んでいるわけだし(一人や「騎士種族」だけでできるわけがない)、商工業の監督や外交やら経済政策まで総覧するのも無理に決まっている。
(俺たちは「すでに与えられている」のに、それがわからないバカどもめ)
誰でも利益や地位は欲しいだろうが、自分たちには最初から「騎士種族」の名誉があるのだし、普通にやっていれば悪くない俸給を貰えて世間からも評価や感謝される(人間の大部分・広範囲から憎まれて孤立しながら監獄のような豪邸に立て籠もって幸せか?)。
だからあいつら(ミュータントギャング)は大馬鹿野郎だと思っているが、その大馬鹿野郎どもに初恋の少女を奪われて(彼女も大馬鹿野郎だ!)、いまだに引きずっている大馬鹿野郎が自分。
(叫びたくなってくるな!)
考えるほどに、頭が熱を持ってくる。
どこかのありふれたフィクション創作物でよくあるように、本気で夜空に「バカヤロー」と叫んでやりたいくらいだった。