狐の婿殿と鬼嫁様
4
 青という色の言葉は、遠い過去にはもっと黒っぽい色を意味したことがあったそうだ。だから古い本の伝承で「青い犬」というのは「黒い犬」のことなんだろうし、詩集の「青猫」なんかも「黒猫」を暗喩してミステリアスな言い方をしたのか。
 そして、遠い昔の大陸の習俗(滅んだ古代王朝より昔)では「嫁入り」は必ずしも嬉しい喜ばしいものでなく、「家族との別れ」を悲しんで黒い服を着て、「悲痛で眠れない」ことを表現して夜通しに灯火を灯したのだとか。それがあまりにも陰気なので、後代には青色の服になったそうで、今の言葉の言い回しで「華燭」などというのもその名残なのかもしれない。
 私の「青」は、もっと温かくてこんがりして美味しそうなきつね色をしている。黒っぽい髪の毛は光の加減で、柔らかいブラウンの光を醸し出す。私服姿ではグレーや紺色みたいな暗色の服装ことが多いのだが、「いざというときに暗がりに溶け込む迷彩」を周りの大人から勧められたと口では言いながら、それで大人っぽいと格好つけて気取っているんだろうか。
 そして私の着ている青いワンピースは、澄み渡り晴れやかな水色。陰気な黒色とは全然に違う色だし、大昔の異国の文化慣習どころか、「狐の嫁入り」の涙雨ともかけ離れている(感極まった嬉しい涙の色かもしれない)。
 公園の風景は、まるで光の雨に洗われたかのように、みずみずしく輝いて見えた。

「待った?」

「ううん」

 子どものときから整った顔立ちだったけれど、どことなく愛嬌があるのは目のせいなのか。成長しても、面影や基本は変わらない。
 私はバスケットをすいっと示す。もうすぐお昼だ。先に食べてしまえば、軽くて薄い折りたたみバスケットはナップザックに入れられる。

「お姉ちゃんと私のお手製」

 誘って二人でベンチに腰を下ろす。
 ランチタイムのあとは、映画か水族館。それともしばらく公園でおしゃべりして、家に招いてティータイムになるのか。わざと決めていないのは、きっと彼は姉や父母にも会いたがるだろうから。だからといって、二人きりの時間がゼロなのも嫌だった。一番現実的なのは適当な映画を見てから、二人で家に帰ることだろう。


5
 慌てて、入るべき映画を間違えた。
 なんとなく無難でコミカルそうな恋愛ものを選んだはずだったのに。
 これはR指定の外国映画。
 頻繁にメイキング・ラブシーン。
 隣の席の青は、銀幕のきわどい映像を見て、つないだ手に緊張が伝わってくる。たまに、食い入る視線を恥じてなのか目をそらしたり、気まずそうにする。私の様子をうかがって、視線がぶつかって顔を伏せる。私だって、あんまり違わないかもしれない。つないだままの手が汗ばんでいた。

(そういえば、こいつって)

 私はヒソッと声を潜めて、言わずもがなの思い出話に触れてしまう。テンパっていたかな?

「いつかのお風呂のこと。お姉ちゃんと三人で」

 それだけで、青は思い出しただろう。
 薄暗がりの中でも表情に出ている。
 小さなときに一緒に暮らしていて、青の裸くらいは見たことがあるし(私も全部見られた)、他の女の子にはめったに拝めない場所も見知ってはいる(青がどこまでこっちを見ていたか不明だが)。
 けれども、あんなふうになったのを生で直視したのはあのときくらいだろう(朝などに服のズボン越しではよく知っていたし、何度かこっそり触ってみたけど)。
 あのとき、姉が一緒だった。青は(湯船に浸かっていた私をそっちのけで)四歳年上のお姉ちゃんに欲情してやがった。あとで意味がわかるようになってから「うわー」って。

(手が硬直してる)

 何だか罪深くも感極まった。
 それから、最後まで一言も喋らなかった。映画から出てから、青は歩きながらしばし私を見た。今の私はあのときのお姉ちゃんより年上の女の子だ。ひょっとしたら姉の裸から、私のことを想像したのか。
 見透かしたような顔をしてしまったか。青はちょっとだけ後ろめたげに目線を逃がす。でも私は本気で咎めようとは思わない。かえってチャンスと頃合いを本能で悟る。

「キスしよっか?」

 一拍おいてから、青はかすかに頷いた。
 通りかかった公園を横切る途中で、私は彼の手を引いて、木立の陰に二三歩。向き直って目を閉じると、キスが天から降ってきた。

(昔より背が高くなってる)

 そんなことを考えて五秒くらい。
 二人で急ぐ「家」への帰り道で、私は何度も自分の唇を舐めて、青の残した味に酔っていた。
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