狐の婿殿と鬼嫁様

第四話 迷走姉妹と生贄の婿殿(2)

1
 ふいに青の顔に突きつけたもの。

「汗かいてる? なんか汗でてかってるっぽくない? ふいてあげる」

 私が天使のような微笑で、スカートのポケットから取り出した布。青としては、とっさにハンカチだと思い込んだことだろう(女物の衣類はハンカチですら男向けよりも柔らかく繊細にできている)。しばらくはされるがままになっていた。でもやがては様子が変だと気付く。

「これって、佳蓮のハンカチ? 柔らかいっぽいけど。休みの日にも、部屋にいるときの普段着でもポケットにハンカチ入れてるの?」

 鈍感なのか鋭いのか、よくわからん奴め。
 青が「おかしい」と感じた理由は理知的な気づきと推論からなのだそうだが、もっと感覚と直感的に気がつこうよ!
 あいにくと、君の顔を拭いているのはハンカチなんて上品なもんじゃ絶対ない。

「は?」

 ピロン、ひらっと広げたその布に、青は目を白黒させた。
 正解はパンティでした。

「え? あ? それって」

 二秒くらいにっまり見つめ合ってから、私は冷たく探るような目で告げた。

「誰のかわかる?」

「?」

「ほら」

 もう一回すっと鼻先に突きつけてやる。

「臭いでわかるでしょ?」

「佳蓮の?」

「は? 違うよ。ポケットに入れてたから、それで臭いがついたんじゃない? ってゆーか、さっき本気で嗅がなかった? あんたって、すっかりお年頃の男になってきてない?」

 まじまじと正面から見つめて、混乱ぶりを観察してやる。男というのはこんなくだらないことで滑稽な反応するものらしいが、青も子どもから大人の大人に成熟してきているってことか。
 そこはかとない感動と呆れで会話が続く。

「じゃあ誰の?」

「お姉ちゃん」

「!」

「だとしたら、嬉しいわけ? 新品だから安心しなって。使ったパンツで顔を拭くとか、そんな酷いことするわけないじゃん。それともなに、やって欲しかった?」

 青は「あうあう」言って、目がキョトンとすわっている。かなり混乱しているようだ。
 不思議そうに眺めていたら、いきなり抱きついてキスしてきやがった。こんなふうにされるのは別に嫌ではなかったけれど、興奮ぶりが予想を上回っていて驚く。

「新品だよ。私のでも、お姉ちゃんのでもなく」

 ようやく唇と身体を解放されてから、私は慌て気味に釈明した。なんだか考えなしに煽りすぎて怖くなってきたからだ。
 青の様子がただならぬ。エスパーのサイキック能力でなくたってそれくらいはわかる。
 いくら青が穏やかで優しい生真面目な性格でまだウブだったとしても、こんなにあからさまに誘いかけるようなことをしたらタガが外れることはありうる。まして私は恋人どころか婚約者なわけだから、最終的には青は私を好きにするのがお互いの了解済み。まだ早すぎるし、私の気持ちの準備もできていない。

(トイレにでも行って、しばらく青を一人にして落ち着かせようか)

 うって変わって、今度は私が逃げ腰。
 そのとき、ドアの前で気配がしてノック音。

「佳蓮、開けて。お盆持ってるから手が」

 どうやら姉が様子を見に来たらしい。
 これ幸いと立ち上がってドアを開けに向かう。
 入ってきた姉の夕梨花は、両手のお盆にアイスティーのグラスを二つ乗せていた。目で叱ってくるあたりに、どうも察しているらしい。隣の部屋で壁越しにうかがって聞いていたのか、エスパー能力で異変を察知したのか、たぶん両方だろう。

「お姉ちゃん、これ。青君からプレゼント」

 私はポンと、手ぶらになった姉の胸元にあのパンツを投げた。

「青君の顔を拭いたやつ。もしよかったら履いてあげたら?」

「あんたねえ。青君からかって遊ぶにも、もうちょい限度とか考えなさいよ。青君も、ごめんね」

 姉・夕梨花は、珍しく私の頭をパシンとはたいて、ほっぺを引っ張った。叱られているにしたって、今の青と私の緊張高まる臨戦間近の危うい空気を解きほぐして落ち着かせるには、かえって有効だっただろう。たぶん姉はそこまで考えてくだけた怒り方をしている。
 その危険な一物は姉がポケットに入れて持っていったが、姉がそれをどうしてしまったのかは誰も知らないし、聞くべきでもないのだろう。
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