魔力が強すぎる死にかけ公爵は、魔力ゼロの出来損ない王女をご所望です

番外編 在りし日の記録

「はぁ、疲れた」

 叙爵式を終え、公爵位を賜った私はようやく自室で一息ついていた。

 椅子にどかりと腰を下ろして、執務机に投げ出された書簡に視線を流す。そこに記された『オリビア・ラインザック』は、私の名前である。

 先月突然王都に現れた悍ましい魔竜。
 その魔竜を退けた功績としての叙爵である。領地も新たに与えられ、夫と共に気持ちを新たに領民のために取り組むつもりであるが、何とも言えないモヤモヤした気持ちが胸の奥で渦巻いていた。

 王都を悩ませていた魔力の暴走と思わしき症状は、魔竜の消滅と共に落ち着きを見せている。そのことはとても好ましい結果であるが、その後の王家の動きが余りにも不穏すぎる。

 私は今回の魔竜の出現について、様々な推測を立てていた。未だに姿の見せない宰相が何か鍵を握っているのは間違いがないだろう。横領に賄賂、不当な人事など叩けば埃が出るわ出るわで、流石に大臣たちにも戸惑いの色が見られた。
 ここ数年、腐敗した政治に対する民の不信感が急増しており、作物の不作も相まって民は困窮していた。にも関わらず、王都の中心地にはあちこちに無駄に豪華な建物が造られ、税率の引き下げもなく、ますます民は擦り切れていった。

 私は魔竜の出現は王都に満ちていた昏い気や王家への不信感が呼び起こしたものだと考えている。そのことを進言し、今回の事象を記録として残すように訴えたが、後者はうやむやにされてしまった。
 流石にこのまま何の手立ても打たないと国が立ち行かなくなることは理解していたようで、税率はとりあえずは妥当なものに下げられた。それに、天を覆っていた暗雲が晴れたことで、日照時間が増加して作物も実り始めている。これで民の暮らしは幾分か楽になるだろう。

 だが、王家は魔竜の出現に関する事実を歪めようとしている。宰相の傀儡となり腐敗していた政権を擁護するつもりなのだ。
 魔竜は魔法の素晴らしさの象徴に、そして魔竜を治めた功績を王家のものとし、私には爵位を与えることで分かりやすく口封じをしてきたのである。
 もちろん後世のため、真実を伝えるべきだと抗議した。だが取り付く島もなく半ば強引に叙勲式が執り行われ、私は公爵位を得てしまった。

 恐らく何をしようとも王家に都合の悪い事実は捻じ曲げられ、隠蔽される。魔竜の脅威が去り、王家も少しはまともになるかと思っていたのだが、根っこまで腐っていたようだ。だからこそあの腹黒い宰相にいいように出し抜かれたのだろう。

 そこで私は密かに今回の事象を引き継ぐべく、筆を取った。自分の推測、実際に起こった出来事など、なるべく仔細を記録して、我がラインザック家に代々伝えていくのだ。


 私は確信している。
 ――遠い未来に、再び魔竜が現れると。

 民のために在れる賢王が国を導いてくれるといいのだが、昨今の王家のように民を慮れる指導者ばかりとは限らない。


 視線をあげて、窓の外に広がる青い空を仰ぐ。
 願わくば、ずっと澄んだ青空が、燦々と輝く太陽が、この国を照らし続けて欲しいのだけれど――

 私は軽くため息をついて視線を執務机に戻した。
 椅子を引いて深く座り直す。引き出しをあけて中から紙の束を取り出し、書きかけのページを机の上で開いた。

 今の私にできることは、私の知る限りを本に認め、後世まで伝えていくこと。

 「よし!」と気合を入れてペンを握る。
 コツコツと書き進め、今は魔竜と戦ったあの時の様子を記録しているところだった。
 正直なところ、無我夢中で何が起こったのかあまり鮮明には覚えていない。ぼんやりと光の鎖のようなものが魔竜を締め付けていたような気がするけれど、自分が魔竜を滅却しただなんて今でも実感が湧かない。
 気が付けば魔竜は光の粒子となり天に昇っていて、魔竜の爪に裂かれた夫の深い傷跡も何事もなかったかのように綺麗さっぱり消え失せていた。


 その時のことをよく思い出そう。
 少しでも残せるものは残しておきたい。

 あの時、私は何を考えていただろう?
 何のために私は動いていたのだろう?


 目を閉じれば浮かぶのは愛しいあの人の姿――


 そうだ、私はただひたすらにあの人を助けたかった。
 心から愛している大切な人が血に塗れて倒れそうになる姿を見て、とにかく夢中で飛び出したのだ。


 ふと、無意識にペンを動かして書き記していた文章に視線を落とす。


 うーん……これ、私があの人のこと好きで好きで堪らなくて、その愛が魔竜を退けたって読めないかしら…

 ……駄目だ、流石に書き直そう。
 こんな記録を未来永劫残すのは恥ずかしいし、何よりあの人に見つかったら面倒――


 そう思いながら丁寧にページを切り取っていると、私の肩にポンと誰かが手を置いた。

「オリビア、何をしてるんだい?」
「ぴぎゃぁぁぁぁぁあっ!?!?」

 急に声をかけられて思わず飛び上がった私は、たった今切り取ったページを咄嗟に引き出しの奥に突っ込んだ。

「……あなた、急に声をかけないでよ。びっくりするじゃない」
「すまない。何度もノックをしたし声もかけたんだけどね、随分集中していたから」

 頬を膨らませて苦言を呈すと、私の夫――ライアンが困ったような笑みを浮かべた。

 いつも朗らかで、まるで日向のように暖かな人。
 少しウェーブがかった濃紺の髪、海より深い碧眼は彼の家系に多い色味なのだとか。

 本当に近衛兵長とは思えないほど温厚な人。
 もちろん、服の下には鍛え抜かれた筋肉質な体躯が――

 月明かりに照らされた引き締まった身体は記憶に新しく、その色気を孕んだ身体を思い浮かべた私はハッとした。


 何を考えているの!もうっ!


 熱くなった顔を隠すように両手で頬を押さえていると、ライアンは目元を和ませて私の髪に手を伸ばした。指先でくるくる毛先を遊ばせるのはもはや彼の癖となっている。

「余り根を詰めすぎないように。君は頑張りすぎる気質だからね。まあそんなところもひっくるめて愛しているけどね」

 愛を囁き、ちゅっと私の髪先に唇を落とすのもいつものこと。毎度照れてしまうけれど、嬉しくないわけがない。

「……あなたは本当に私の髪が好きね」
「ふふ、髪も瞳も、オリビアの全てを愛しているよ。知っているだろう?」

 そう言ってふわりと私を抱き上げるライアンが向かう先を察して、私の心臓は恥ずかしさと期待とでドキドキうるさく騒ぎ立てている。


 ずっとずっとコンプレックスだった容姿。
 淡いピンクベージュの細い髪に、ピンクといっていいのか分からないほどに淡い瞳の色。その瞳はまるでガラス玉のよう。
 髪も瞳も、私が『魔力なし』であることを体現しており、鏡を見るたびに悔しさに奥歯を噛み締めたものだ。



『綺麗だよ。私は君のその髪も、瞳も、君の全てが愛おしい』



 たった一言。それだけで私は彼に恋をした。

 今まで私の容姿を見た人はみんな憐れみの視線を向けてきた。
 でも、ライアンだけは違った。
 知人の紹介で会った彼は、私の髪を、瞳を綺麗だと言ってくれた。その目に偽りはなく、お世辞ではなく心からの賛辞であるとすぐに理解できて本当に嬉しかった。


 『魔力がないなんて…』『嫁の貰い手はあるのかねえ…』『器量はいいだけに、勿体無いったらありゃしない』『瞳の色をご覧、あんなに薄いと魔力なしだって一目瞭然だわね』


 これまで無遠慮に投げられてきた言葉に、私の心は傷だらけになり荒んでいた。歴史に例を見ない魔力なし。なけなしの自尊心で気を強く持っていたけれど、後ろ指さされて生きることは本当に辛い。

 そんな乾いた砂漠のような私の心を潤してくれたオアシス、それがライアンなのだ。


「……ねぇ、まだ外は明るいわ」

 とさりと割れ物のようにベッドに横たえられ、照れ隠しに顔を背ける。ライアンは楽しそうに笑みを深めながら指を軽く振って風魔法でしゅるりとカーテンを引いていく。
 分厚いカーテンが日光を遮断し、部屋の照明も落とされて、昼とは思えないほどに部屋は暗くなってしまった。

「今日はもうお互い予定はないだろう?久々にゆっくり過ごそうじゃないか」
「久々…って三日前にも…」

 言いかけて、慌てて口元を手で覆う。一方のライアンは依然として楽しそうにネクタイを緩めている。

 ああ、もう。いちいち動作が色っぽいのやめて欲しいわ。

「オリビア、ようやく少し落ち着いてきたし、そろそろ考えてみないか?」
「考えるって、何を?」

 髪に、瞼に唇を落としながらライアンが囁くように問いかけてきた。一体何のことかと首を傾げていると、ライアンの長い指がドレス越しに私のお腹を撫でた。

「っ!」
「新しい家族を、さ」

 私はこれでもかと目を見開き、ライアンの顔を仰ぎ見た。ライアンはそれは優しい目つきをしていて、いつものように口元には朗らかな笑みを携えていた。

「~~っ」

 私は同意の意味を込めて思い切りライアンに抱きついた。彼は低く笑いながら、優しく唇を重ねてくれる。

「愛してるよ、オリビア」
「………………私もよ、ライアン」

 普段余り愛を囁かない私の言葉に、ライアンは嬉しそうに笑みを深める。私が素直じゃないことは周知の事実であり、ライアンはそこも含めて愛してくれている。

 彼となら、きっと、いいえ間違いなく暖かな家庭が築けるに違いない。



 ああ、私たちの子供たち、そしてもっと先の子孫たちの未来が明るくありますように――



 そう願いを込めて、私はライアンが与えてくれる深い愛に身を委ねた。
< 53 / 55 >

この作品をシェア

pagetop