月が綺麗な夜に。
時刻は22時半過ぎ。最初にいた人も帰り、店内には店主と優佳と須藤の3人だけになる。
2人のグラスが空いたことを確認すると、何も言わずともお酒が提供される。
ジューッと、マイペースに肉を焼きながら、居心地の良い空間に浸り続けた。
しばらく無言で食べ飲みを繰り返していると、店主が「ちょっと裏を片付けて来るね」と言ってカウンターの奥に引っ込んで行った。
同時に優佳と須藤の2人はお互い見つめ合い、自然と顔を近付け唇を重ねる。
音が聞こえないように、そっと……重ねるだけの、接吻。
言葉を交わさなくても、相手の思うことくらい手に取るように分かる。
そのように表情が語る、真剣な眼差しの2人。
誰にも分からない。
誰にも理解できない。
2人だけの、独特な空気感。
カウンターの上に置かれている大きくてゴツゴツしている手には、隠しきれない皺が無数ある。優佳はそれに、そっと自身の手を重ねた。
そのようなところからも感じてしまう。
須藤自身の年齢。
「……優佳さん」
「先生。私、先生が隣にいること、今でもたまに幻覚なのではと思うことがある」
「もう、何年も経ちます」
「そうだけど、違う。そのくらい私にとって、恐ろしいことだった」
優佳はふぅ……と小さく息を吐き、須藤と指を1本1本絡め合う。
優佳が須藤と再会したのは、今から7年前のことだった。
仕事を終えて家に帰ろうとした時、橋に差し掛かったところで欄干《らんかん》に登る人影が目についた。
その人は黒色の革靴を丁寧に揃えて、詰め込み過ぎて膨れ上がっているビジネスバッグをアスファルトの上に置いていた。
「う、嘘だろ」
優佳は手に持っていた自身のバッグを投げ捨て、その人の元へ駆け寄る。
欄干《らんかん》を登り跨《また》いで、勢いの強い川を眺めるその人の目に、猛烈な危険を感じたのだ。
そこからどのようにしたのか、優佳自身も覚えていない。
気が付けば路上で座り込んでおり、須藤は優佳の膝の上で気を失っていた……。
「あの時、まさか恩師の須藤先生だとは思わなくて本当にびっくりした。意識がなくて、死んだと思って。本当に恐ろしかったんだ」
「見つけてくれた方が優佳さんで良かったです。今では、そう思えます」
須藤は当時、受け持っていたクラスの保護者からひどく罵倒《ばとう》され、叱責《しっせき》されていた。ついに感情を失ってしまったある日、学校からの帰り道で衝動的に飛び降りようとしていたのだ。
優佳があの時間、あの場所に行かなかったら。
須藤はきっと、この世にはいない。
2人は空いている方の手を伸ばし、再びお酒を口にする。
カランッと氷とグラスがぶつかる音が響くと、2人また顔を見合わせて微笑み合った。
「ごめんねぇ、戻って来たよ」
「おかえり、英治さん」
店主は奥から持って来たフルーツの盛り合わせを優佳と須藤の間に置き、同じように微笑む。
指を絡め合ったままの2人。
店主はずっと微笑んだまま、何も言わなかった。