夢の中
第9話
電話の音で時夫は目覚めた。受話器から勇の声が響いてきた。
「君に見せたいものがあるんだけど、家に来られないかい」
「ああ、今日は一日何も予定がないから」
勇は長期出張を終えて、かつて時夫が住んでいた家に一人で住んでいた。駅からその家に向かっていった。かつて会社からの帰り道であった歩道を歩いているあいだ懐かしい思いが溢れてくるのを感じた。町並みがほとんど変わっていなかった。朝いつも歩いていた時とは逆方向に歩いていた。太陽の光に向かって歩いていたので晴れた日はいつも眩しくてすれ違う人々の顔がよく判別できないことがよくあった。しかし、この日は違っていた、太陽の光は彼の背後から彼が歩く方に向かって光を放っていた。すれ違う人々の顔をはっきりと判別することができた。同じ町並みが同じ時間でも晴れた日には歩く方向によって違った光景になるのだなと時夫は不思議な感慨にふけった。晴れた日の朝は、晴絵はいつもこんな町並みの風景を見ていたのだなと思った。
ノスタルジックな思いに耽りながら時夫はいつの間にか自分が勇の家の前に立っていることに気がついて、はっと我に返るような思いがした。以前は会社から帰ってきて暗くなった家の中を点けっぱなしにしている電灯が彼の帰りを待っているような寂しい光景であった。今、時夫は朝の太陽の光をいっぱいに浴びた家の前に立っていた。
玄関に入った時、コーヒーの香りが漂っていた。
「昨日、銀座に行ったついでにコーヒー豆を買ってきたから、時夫が来る時間に合わせて淹れておいたよ。いい香りがするだろう」
「ありがとう。本当にいい香りがするね。ところで見せたいものって何だい」
勇は居間へ来るように合図した。二人が居間に入ると部屋中コーヒーのいい香りが漂っていた。居間のドアから入って右側の壁にはカウンターがあって、コーヒーメーカーが最後のコーヒーの一絞りを落としていた。左側の壁には、玄関にかけてある鏡と同じ鏡がかけてあった。一見全く同じ鏡に見えるが、しばらく見ていると全く別の鏡であることが分かる。玄関の鏡は普通の鏡のようにガラス的な冷たい透明感があり、無生物であることで存在感を誇示しているようにみえる。居間にかけてある鏡にはガラス的な冷たさや透明感がない。何かぬくもりのようなものが感じられ、無生物であることを誇示していない。
勇はテーブルに置かれた2つのカップにコーヒーを注ぎながら言った。
「晴絵さんのことを聞いて本当に驚いたよ。それでロンドンの骨董店にあるもう一方の鏡を買ってしまったよ。お陰で車を買うために貯めておいた貯金を全部使ってしまったんだけどね」
時夫はコーヒーに少しミルクを入れてから、その鏡の方をじっと見つめていた。コーヒーを一口飲んでから、ソファーから立ち上がり鏡の方へ歩いて行った。鏡の前にじっと立っていると、勇も時夫の脇に立って鏡をじっと見つめた。
勇は右手の手のひらで鏡を触ってから言った。
「この鏡触ってごらん」
時夫は鏡に触れた瞬間驚いた。ガラスのような冷たさがない。
「この鏡の表面のガラスのような冷たさがないんだけど」
時夫は自分の声の響きが、いつもと違う響きであることに気がついた。時夫の面前にある鏡は、目に見える外観は、鏡であるがその実態は全く異質のものであることをその鏡の何かが語っているように思えてならないのであった。勇は鏡を壁から外して裏面を自分たちの方に向けて壁に立てかけた。鏡の裏面には肉眼では識別出来ないくらいの小さな文字がぎっしりと書かれていた。勇は拡大鏡を持ってきて、その文字が識別できるくらい大きくなったものを時夫に見せて言った。
「この文字は何の言語か分かるかい」
「イスラエルに関するテレビ番組で見たことがあるような気がする」
「そう紀元前からユダヤ人が使っていたヘブライ語だよ。ヘブライ語はもちろん僕には全くわからない言語なので、とにかくラテン語を訳してもらった教授のところに行って聞いてみたら、教授はヘブライ語に詳しい研究者を紹介せてくれたんだ。僕はこの鏡の裏面を写真に撮って、拡大して、何枚かに分けたものをその研究者のところに持って行ったんだ。その研究者はその内容にとても関心をもったらしく全文を訳してくれたんだ」
勇は一旦居間から出てしばらくすると、十数枚の綴りを持って戻ってきた。
「これがその研究者が訳してくれたものなんだけれど」
時夫は綴りを何枚かめくっていく内に読もうとするのをやめてしまった。時夫が顔を上げると同時に勇は話し始めた。
「その綴りの途中から、出てくるのは化学式や難解な数式の連続なんだ。その研究者の友人に有名な化学者や数学者がいてその人たちにその翻訳を見せてくれたんだ。そして彼らが結論として示したことは何だったと思う」
時夫は綴りを勇に戻した。その綴りを受け取ると同時に勇は再び話し始めた。
「彼らの結論は、この鏡は今までどの国でも発見されていない物質から作られているということなんだ」
勇は綴りの中間あたりを開いて時夫にその見開きを見せた。
「ここから化学式や数学の公式ではなく、文章になっているんだ」
時夫はその綴りを勇から受け取ると、その見開きから読み始めた。時夫が読んでいる間、勇は壁に立てかけていた鏡を表向きに戻して、もとかけてあった壁の位置に掛けた。それから、カウンターのところに行きコーヒーを入れる用意をした。
部屋一面コーヒーの香りが漂っていた。二人はソファーに腰掛けながらほとんど同時にカップからコーヒーを一口飲むとほとんど同時にテーブルの上にカップを置いた。
「ということは、僕達は実際にはこの鏡の中に入ったということはなかったということなのか。この鏡を通ってロンドンの骨董店にいったということもなかったということか」
コーヒーカップの中のコーヒーに映った天井のライトの光を見ながら時夫は言った。
「いままでには君も一度は経験したことはあると思うんだけど。本当に現実に起こっているような夢。これは夢じゃないと夢の中で思っているようなあまりにも現実的な夢。そのような夢を時夫も見たことがあると思うんだけど」
「うん、一度か二度位はあったかもしれない」
「僕達はそのような夢よりもはるかにもっとリアルな夢を見ていたんだ。あまりにもリアルすぎてそれを夢として意識していなかった。いや意識できなかったのかもしれない。とにかく今まで経験したことがなかった夢だったんだからね」
勇はカップを口元に持っていきコーヒーを一口飲んでまたカップをテーブルの上に置いてから壁にかかっている鏡をじっと見ながら言った。勇はしばらく黙っていたが、やがて鏡を見ながら話し始めた。
「この鏡によって僕達はあのようなあまりにもリアルすぎる夢を見たのかもしれない。この鏡が作られた物質の中には、我々の脳と意識に何らかの影響を与えるものが含まれているらしいんだ。空気中の酸素が血液を通して脳に行くという経路が考えられるとすると、もしまだ発見されていないもの、あまりにも小さくて、素粒子よりも小さくて、誰にも発見されていないもの、それが酸素を通して脳に達することができたらとしたら・・・でも素粒子より小さいのだから別に酸素を介さなくても頭皮・頭蓋骨を自由に通って脳に達することができるのだが、その素粒子よりも小さいものを仮にSXとしよう。このSXがこの鏡の中に含まれているんだ。このSXはもう一方の鏡、つまり玄関にある鏡にもふくまれているんだ。このSXは光よりも速い速度で互いに行き来しているんだ。SXは情報を運んだり、人間の意識さえも運んだりするんだ」
時夫は勇が話し終えると、鏡の方をじっと見つめながら口を開きはじめた。
「そうか、だから僕らは勇の家とロンドンの骨董店とを行き来しているあのことが実際に行き来したリアルな現実して記憶に残っているのか」
「それでもうひとつ言えることなんだが。晴絵さんが今回この鏡を通して脳の腫瘍が消えたということを知って思ったんだけど。SXとこのこととには何かの関連性あるんじゃないかとおもうんだ。
「そういえば、僕の偏頭痛が治ったのもこのことと関係があるのかな。それには原因不明の病を治す力があるということかな。それは癌をも完治させるものになるかもしれないということかな」
「でもそのことは僕達の秘密にしておこう。僕の命が危険にさらされるかもしれないから」
「君の命が危険にさらされるってどういうことだい」
「たとえば、今回のことを誰かに話したとしよう。そしてその人の友人か知人に原因不明の病気か癌で苦しんでいる人がいたとしよう。その人が紹介されこの鏡を通してその病気が治ったとしよう。その人は間違いなく他の誰かにそのことを話すに違いない。そして次から次へと鏡で癒してもらいたい人が来るに違いない。やがてこの鏡のことは多くの人に知れ渡るに違いない。中にはこの鏡で人儲けしようとする輩も出てくるに違いない。そうなるとこの鏡が盗まれる危険に晒される。そうするとこの鏡を所有している僕も危険に晒される可能性がある」
勇は応接室にある鏡を外して壁に立てかけた。それから玄関の方へ行ってもうひとつの鏡を持ってきた。その鏡を応接室にあった鏡の隣に立てかけた。2つの鏡は一見すると全く同じようなものに見えたが、よく見るとそれぞれが全く異なった物質で作られていることがわかった。それは見た目で分かるというものではなかった。それは何か見えない力が2つの鏡の中で存在感を誇示しているが、それを人間の意識では感じ取ることが出来ないもので、人間の無意識の中で働いているようなものであった。勇はもともと応接間にあった鏡の前に立った。時夫は玄関から持ってきた鏡の前に立った。二人はそれぞれの鏡に両手をつけた。彼らはほとんど同時に鏡を両手で擦りながら大きな円を描いた。
「僕達が今やったようにしない限りこの鏡のSXは機能しないはずだ。時夫はその鏡を君の家に持って行ってくれないかい。そして玄関にでも掛けてくれないかい」
勇はもともと応接間に掛けてあった方の鏡を玄関に掛けた。時夫はもう一方の鏡を持ち帰っていった。
翌日、時夫から勇に電話があった。
「昨日鏡を玄関の壁に掛けたよ」
「よかった。普通の鏡に戻ったわけだから」
「この鏡が高価だったのは分かるよ。こうして見ると本当に素晴らしい鏡だね。インテリアとしても見てて飽きないね。ところで、この鏡可成り値段がはったわけだから、鏡の代金を払うよ」
「そのことなんだけど、実は、あのロンドンの骨董店から連絡があって今回の鏡の代金の支払いは必要ないと行ってきたんだ。多分一つ目の鏡の代金であまりにも取り過ぎたと思ったのかもしれない。後で口座を確認したら2つ目の鏡用に払った代金がそっくり振り込まれていたんだ。何かとても良心的なのでとても感動したよ。それで時夫の結婚お祝いに何を贈ろうかと考えて、ずっと決められずにいて今日まで来てしまったんだけど。その鏡結婚お祝いということで受け取ってくれないか」
「君に見せたいものがあるんだけど、家に来られないかい」
「ああ、今日は一日何も予定がないから」
勇は長期出張を終えて、かつて時夫が住んでいた家に一人で住んでいた。駅からその家に向かっていった。かつて会社からの帰り道であった歩道を歩いているあいだ懐かしい思いが溢れてくるのを感じた。町並みがほとんど変わっていなかった。朝いつも歩いていた時とは逆方向に歩いていた。太陽の光に向かって歩いていたので晴れた日はいつも眩しくてすれ違う人々の顔がよく判別できないことがよくあった。しかし、この日は違っていた、太陽の光は彼の背後から彼が歩く方に向かって光を放っていた。すれ違う人々の顔をはっきりと判別することができた。同じ町並みが同じ時間でも晴れた日には歩く方向によって違った光景になるのだなと時夫は不思議な感慨にふけった。晴れた日の朝は、晴絵はいつもこんな町並みの風景を見ていたのだなと思った。
ノスタルジックな思いに耽りながら時夫はいつの間にか自分が勇の家の前に立っていることに気がついて、はっと我に返るような思いがした。以前は会社から帰ってきて暗くなった家の中を点けっぱなしにしている電灯が彼の帰りを待っているような寂しい光景であった。今、時夫は朝の太陽の光をいっぱいに浴びた家の前に立っていた。
玄関に入った時、コーヒーの香りが漂っていた。
「昨日、銀座に行ったついでにコーヒー豆を買ってきたから、時夫が来る時間に合わせて淹れておいたよ。いい香りがするだろう」
「ありがとう。本当にいい香りがするね。ところで見せたいものって何だい」
勇は居間へ来るように合図した。二人が居間に入ると部屋中コーヒーのいい香りが漂っていた。居間のドアから入って右側の壁にはカウンターがあって、コーヒーメーカーが最後のコーヒーの一絞りを落としていた。左側の壁には、玄関にかけてある鏡と同じ鏡がかけてあった。一見全く同じ鏡に見えるが、しばらく見ていると全く別の鏡であることが分かる。玄関の鏡は普通の鏡のようにガラス的な冷たい透明感があり、無生物であることで存在感を誇示しているようにみえる。居間にかけてある鏡にはガラス的な冷たさや透明感がない。何かぬくもりのようなものが感じられ、無生物であることを誇示していない。
勇はテーブルに置かれた2つのカップにコーヒーを注ぎながら言った。
「晴絵さんのことを聞いて本当に驚いたよ。それでロンドンの骨董店にあるもう一方の鏡を買ってしまったよ。お陰で車を買うために貯めておいた貯金を全部使ってしまったんだけどね」
時夫はコーヒーに少しミルクを入れてから、その鏡の方をじっと見つめていた。コーヒーを一口飲んでから、ソファーから立ち上がり鏡の方へ歩いて行った。鏡の前にじっと立っていると、勇も時夫の脇に立って鏡をじっと見つめた。
勇は右手の手のひらで鏡を触ってから言った。
「この鏡触ってごらん」
時夫は鏡に触れた瞬間驚いた。ガラスのような冷たさがない。
「この鏡の表面のガラスのような冷たさがないんだけど」
時夫は自分の声の響きが、いつもと違う響きであることに気がついた。時夫の面前にある鏡は、目に見える外観は、鏡であるがその実態は全く異質のものであることをその鏡の何かが語っているように思えてならないのであった。勇は鏡を壁から外して裏面を自分たちの方に向けて壁に立てかけた。鏡の裏面には肉眼では識別出来ないくらいの小さな文字がぎっしりと書かれていた。勇は拡大鏡を持ってきて、その文字が識別できるくらい大きくなったものを時夫に見せて言った。
「この文字は何の言語か分かるかい」
「イスラエルに関するテレビ番組で見たことがあるような気がする」
「そう紀元前からユダヤ人が使っていたヘブライ語だよ。ヘブライ語はもちろん僕には全くわからない言語なので、とにかくラテン語を訳してもらった教授のところに行って聞いてみたら、教授はヘブライ語に詳しい研究者を紹介せてくれたんだ。僕はこの鏡の裏面を写真に撮って、拡大して、何枚かに分けたものをその研究者のところに持って行ったんだ。その研究者はその内容にとても関心をもったらしく全文を訳してくれたんだ」
勇は一旦居間から出てしばらくすると、十数枚の綴りを持って戻ってきた。
「これがその研究者が訳してくれたものなんだけれど」
時夫は綴りを何枚かめくっていく内に読もうとするのをやめてしまった。時夫が顔を上げると同時に勇は話し始めた。
「その綴りの途中から、出てくるのは化学式や難解な数式の連続なんだ。その研究者の友人に有名な化学者や数学者がいてその人たちにその翻訳を見せてくれたんだ。そして彼らが結論として示したことは何だったと思う」
時夫は綴りを勇に戻した。その綴りを受け取ると同時に勇は再び話し始めた。
「彼らの結論は、この鏡は今までどの国でも発見されていない物質から作られているということなんだ」
勇は綴りの中間あたりを開いて時夫にその見開きを見せた。
「ここから化学式や数学の公式ではなく、文章になっているんだ」
時夫はその綴りを勇から受け取ると、その見開きから読み始めた。時夫が読んでいる間、勇は壁に立てかけていた鏡を表向きに戻して、もとかけてあった壁の位置に掛けた。それから、カウンターのところに行きコーヒーを入れる用意をした。
部屋一面コーヒーの香りが漂っていた。二人はソファーに腰掛けながらほとんど同時にカップからコーヒーを一口飲むとほとんど同時にテーブルの上にカップを置いた。
「ということは、僕達は実際にはこの鏡の中に入ったということはなかったということなのか。この鏡を通ってロンドンの骨董店にいったということもなかったということか」
コーヒーカップの中のコーヒーに映った天井のライトの光を見ながら時夫は言った。
「いままでには君も一度は経験したことはあると思うんだけど。本当に現実に起こっているような夢。これは夢じゃないと夢の中で思っているようなあまりにも現実的な夢。そのような夢を時夫も見たことがあると思うんだけど」
「うん、一度か二度位はあったかもしれない」
「僕達はそのような夢よりもはるかにもっとリアルな夢を見ていたんだ。あまりにもリアルすぎてそれを夢として意識していなかった。いや意識できなかったのかもしれない。とにかく今まで経験したことがなかった夢だったんだからね」
勇はカップを口元に持っていきコーヒーを一口飲んでまたカップをテーブルの上に置いてから壁にかかっている鏡をじっと見ながら言った。勇はしばらく黙っていたが、やがて鏡を見ながら話し始めた。
「この鏡によって僕達はあのようなあまりにもリアルすぎる夢を見たのかもしれない。この鏡が作られた物質の中には、我々の脳と意識に何らかの影響を与えるものが含まれているらしいんだ。空気中の酸素が血液を通して脳に行くという経路が考えられるとすると、もしまだ発見されていないもの、あまりにも小さくて、素粒子よりも小さくて、誰にも発見されていないもの、それが酸素を通して脳に達することができたらとしたら・・・でも素粒子より小さいのだから別に酸素を介さなくても頭皮・頭蓋骨を自由に通って脳に達することができるのだが、その素粒子よりも小さいものを仮にSXとしよう。このSXがこの鏡の中に含まれているんだ。このSXはもう一方の鏡、つまり玄関にある鏡にもふくまれているんだ。このSXは光よりも速い速度で互いに行き来しているんだ。SXは情報を運んだり、人間の意識さえも運んだりするんだ」
時夫は勇が話し終えると、鏡の方をじっと見つめながら口を開きはじめた。
「そうか、だから僕らは勇の家とロンドンの骨董店とを行き来しているあのことが実際に行き来したリアルな現実して記憶に残っているのか」
「それでもうひとつ言えることなんだが。晴絵さんが今回この鏡を通して脳の腫瘍が消えたということを知って思ったんだけど。SXとこのこととには何かの関連性あるんじゃないかとおもうんだ。
「そういえば、僕の偏頭痛が治ったのもこのことと関係があるのかな。それには原因不明の病を治す力があるということかな。それは癌をも完治させるものになるかもしれないということかな」
「でもそのことは僕達の秘密にしておこう。僕の命が危険にさらされるかもしれないから」
「君の命が危険にさらされるってどういうことだい」
「たとえば、今回のことを誰かに話したとしよう。そしてその人の友人か知人に原因不明の病気か癌で苦しんでいる人がいたとしよう。その人が紹介されこの鏡を通してその病気が治ったとしよう。その人は間違いなく他の誰かにそのことを話すに違いない。そして次から次へと鏡で癒してもらいたい人が来るに違いない。やがてこの鏡のことは多くの人に知れ渡るに違いない。中にはこの鏡で人儲けしようとする輩も出てくるに違いない。そうなるとこの鏡が盗まれる危険に晒される。そうするとこの鏡を所有している僕も危険に晒される可能性がある」
勇は応接室にある鏡を外して壁に立てかけた。それから玄関の方へ行ってもうひとつの鏡を持ってきた。その鏡を応接室にあった鏡の隣に立てかけた。2つの鏡は一見すると全く同じようなものに見えたが、よく見るとそれぞれが全く異なった物質で作られていることがわかった。それは見た目で分かるというものではなかった。それは何か見えない力が2つの鏡の中で存在感を誇示しているが、それを人間の意識では感じ取ることが出来ないもので、人間の無意識の中で働いているようなものであった。勇はもともと応接間にあった鏡の前に立った。時夫は玄関から持ってきた鏡の前に立った。二人はそれぞれの鏡に両手をつけた。彼らはほとんど同時に鏡を両手で擦りながら大きな円を描いた。
「僕達が今やったようにしない限りこの鏡のSXは機能しないはずだ。時夫はその鏡を君の家に持って行ってくれないかい。そして玄関にでも掛けてくれないかい」
勇はもともと応接間に掛けてあった方の鏡を玄関に掛けた。時夫はもう一方の鏡を持ち帰っていった。
翌日、時夫から勇に電話があった。
「昨日鏡を玄関の壁に掛けたよ」
「よかった。普通の鏡に戻ったわけだから」
「この鏡が高価だったのは分かるよ。こうして見ると本当に素晴らしい鏡だね。インテリアとしても見てて飽きないね。ところで、この鏡可成り値段がはったわけだから、鏡の代金を払うよ」
「そのことなんだけど、実は、あのロンドンの骨董店から連絡があって今回の鏡の代金の支払いは必要ないと行ってきたんだ。多分一つ目の鏡の代金であまりにも取り過ぎたと思ったのかもしれない。後で口座を確認したら2つ目の鏡用に払った代金がそっくり振り込まれていたんだ。何かとても良心的なのでとても感動したよ。それで時夫の結婚お祝いに何を贈ろうかと考えて、ずっと決められずにいて今日まで来てしまったんだけど。その鏡結婚お祝いということで受け取ってくれないか」