売り飛ばされた孤独な令嬢は、怪物公爵に愛されて幸せになる

第一章 馬小屋に住む私が、公爵様の花嫁ですか?


 私の朝は、小さな馬小屋から始まります。

 そう、正体が馬だから……ヒヒン。ということはなく人間ではありますが、住んでいるのが馬小屋なのです。
 敷き藁の布団からむくりと身体を起こすと、私は春のうららかな日差しを浴びながら大きく伸びをします。
 立ち上がって、身体についた藁や屑をぱっぱと払います。お天気がいいので、藁の上に敷いていたシーツを回収しました。今日はお洗濯に回しておきましょう。

 敷き藁の布団はチクチクしていて寝心地がいいとは言いがたいですが、夏は暑く、冬は凍えるほど寒い馬小屋では重宝しています。
 ちょくちょく鼠に囓られてボロボロになってきましたが、例年通りであれば余った藁を近くの牛舎からご厚意で分けてもらえそうです。もう少しの辛抱ですね。

「メロディ! メロディ!」
「!」

 そこに穏やかな朝の始まりを切り裂くような、がなり声が響きます。馬小屋近くの木々から、慌てて小鳥たちが逃げていきました。
 お母様が朝早くから起きているなんて珍しい。簡単に畳んだシーツを抱えて、私は馬小屋を飛びだしました。

「メロディ! メロディ・オスティン! さっさと掃除をなさい!」

 はい、ただいまっ。と返事をしたいところではありますが、それは叶いません。

 というのも私は、喋ることができないからです。
 お母様によると、私は生まれつき声を持たなかったようです。そんな私を屋敷近くの空いた馬小屋に置いてくださっているお母様は、とても慈悲深い方でいらっしゃいます。

 私――メロディ・オスティンは、オスティン男爵家のひとり娘です。
 先月十六歳になったのに、小柄で痩せっぽちでみすぼらしく貧相……と私を誕生日の夜に称したのはお母様でした。否定する材料がないのが、なんとも悲しいところです。
 それでもどうにか特徴を挙げるとするなら、ウエーブがかかった長い水色の髪と、湖の底のような色を宿した瞳は、街を歩いていてもまじまじと見られることがあります。どうやら、このあたりでは珍しい色のようです。お母様も、肖像画の中のお父様も茶色い髪と瞳を持っていますから、私は二人にちっとも似ていません。

 オスティン男爵家は、昔は栄えていた家のようです。それもお父様が男爵家を継いでからはすっかり落ちぶれてしまったそう。
 お母様によると、お父様は賭け事が大好きで、夜な夜な遊びに出かける方だったのだとか。今もどこかの女のところに転がり込んでいるのよ、とお母様は事もなげに話されていました。私はお父様にお目にかかったことがないので、街角ですれ違ってもそうと気づかないかもしれません。

 オスティン家の生活は困窮し、お給金が払えなければ使用人を雇えませんので、この家では私が家事のすべてを担当しています。五歳の頃にお母様に命じられてから……ずっと。
 朝昼は古びたお屋敷で働き、夜を馬小屋で過ごす生活は、慣れるまでは辛いものでした。最初の頃は、寂しくて、悲しくて、あかぎれだらけの指を震わせて何度も泣いていたように思います。
 それでも逃げだそうとは思いませんでした。男爵家の娘としてなんの役割も果たせない私にもこなせる仕事を、お母様は与えてくれているからです。

 ですから私は、今日もがんばります。お掃除をして、お洗濯をして、お料理をして――お母様がこの屋敷で快適に過ごせるように、精いっぱいがんばるのです!

 ――なんて決意を新たにした、その日の夕飯時のことでした。

「メロディ。お前、嫁ぎなさい」
「……っ?」

 食堂でせっせと配膳をしていた私は、貴重なパンを落としそうになりました。
 聞き間違いかと戸惑いながら見つめる先に、足を組んで座っているお母様がいます。

 グレンダお母様は、とても華やかな美貌を持つ方です。鼻は高く口が大きく、手足もすらりと長くて、私が言うのもなんですが一児の母とは思えません。
 着飾るのが好きなお母様は、ドレスや宝石など、しょっちゅう高い買い物をします。夜になると、パーティーに出かけられることもしばしば。オスティン家が傾いた理由はお母様の散財にもあるのでしょうが、今のところ節約や節制をする気はなさそうです。
 屋敷の中にあった絵画や調度品は次から次へと売り払ってしまい、今ではほとんど残っていません。でもそうして手に入れた貴重な硬貨は新しいドレスを買い足す費用に使われてしまうので、オスティン家の家計は火の車なのです。

 つまり私が、嫁ぐ理由は……。
 私が庭で育てた豆と根菜入りのスープをすすりながら、お母様がおっしゃいます。

「触れが出たんだ。とある貴族の家に若い花嫁を売り飛ばすと、大金がもらえるそうだよ。ようやく役立つときが来て良かったね、メロディ」

 顎からスープの汁を垂らすお母様の言葉は、概ね想像通りのものでした。
 どうやら私は、お金のために売り飛ばされることになったようです。
 でも……こんな日が来ることを、心のどこかで覚悟していました。むしろ、喋れない娘をもらってくださる方がいるならありがたいことです。
 ですが、嫁ぎ先はどちらなのでしょう。するとお母様は赤い口紅を引いた唇を、にぃっと笑みの形につり上げます。

「花嫁を探しているのは、怪物公爵さ」

 かっ――。
 今度こそ私は目と口を大きく開き、動けなくなってしまいました。
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