売り飛ばされた孤独な令嬢は、怪物公爵に愛されて幸せになる

 クラディウス公爵――またの名を、怪物公爵。
 スール国の北領を守護するその方は、四大公爵のひとりです。強靱な肉体を持ち、類い稀なる剣の才能を用いて数多の魔物を屠ってきました。北領の外れに住む私も、もちろんその名前は存じ上げています。

 魔物というのは、人類と太古の昔から敵対関係にある種族のことです。その形態は様々で、角が生えていたり、鋭い鉤爪があったり、水を掻き分けるひれがついていたり……彼らに共通するのは、人間を捕まえて食べること。高い知能と強い魔力を持つ一部の魔物は、言葉を操ることができ、喰らった人間の姿に化けることさえあるのだとか。

 スール国の北側には、北方山脈と呼ばれる峻険な山並みが続いています。山脈を隔てた向こう側には、魔物が跳梁跋扈する魔物領があるそうです。ただ、その場所を実際に目にした人はいないので、真相は定かではありません。魔物領だと目される土地は調査が進まず、地図上は大きな空白となっています。

 つまり北領を統治するということは、この魔物の襲撃を昼夜問わず集中的に浴びることを意味します。
 当代の公爵様は、現在は二十の隊を持つ風狼騎士団の団長を務めています。北方山脈に前線基地となる五つの砦を築き上げ、そこに防衛の隊を配置・指揮することで、魔物を見事に撃退し続けているのです。彼がいなければ国中に魔物が出没していても、おかしくはないでしょう。

 ですが歴代の公爵様たちが怪物公爵と呼ばれてきたのは、戦上手だけが理由ではありません。というのも公爵様たちには、魔物のいかなる攻撃も当たらないのだそうです。
 背後から急襲しても。空から岩を落としても。落とし穴に追い込もうとしても。予測不能に思える奇襲すらあっさりと(かわ)して、魔物の胸に剣を突き立ててみせるのです。

 まるで、最初から魔物の用いる策をすべて知っているかのように――立ち塞がるすべてを打ち破る。ゆえに、怪物公爵と呼ばれます。

 第十三代クラディウス公爵であらせられるギルバート・クラディウス様は、二十一歳という若さでありながら、名高い先代に負けず劣らずの戦果を上げ続けているそうです。
 彼らが主役の戯曲は、子ども中心に大きな人気を誇っています。特に名前をよく聞くのが、一代目、七代目、十二代目の公爵様でしょうか。

 私は劇場に行くお金がないので、掘っ立ての野外劇場から漏れ聞こえる芝居の声や、路地で遊ぶ子どもたちが聞かせてくれた拙い物語を繋ぎ合わせて、自分なりの公爵様を目蓋の裏に思い描いてきました。そのたび、何者にも負けず屈さない強さに、痺れるような憧れを覚えたものです。

 お買い物のために街を歩いていても、怪物公爵の名が聞こえることがあります。彼がいるだけで、戦場の勝敗が覆される。北部の外れにまで、怪物公爵の名は轟いているのです。

 私にとって、そんな公爵様はほとんどおとぎ話の中の存在でしたが……お母様は機嫌良さそうに続けます。

「あの怪物はね、国王から何度も縁談を持ち込まれてるんだ。それなのに、公爵城にやって来た九人もの花嫁候補は全員が怪物公爵に恐れおののき、結婚式が始まる前に裸足で逃げていったそうだよ。それで仕方なく、国中から新たに花嫁候補を募ることにしたってわけさ」

 お母様はクックッと喉の奥で笑い、手にしたスプーンを放り投げます。

「怪物公爵はとんでもなく醜悪な外見だって噂だから、若い女たちが逃げるのも無理はないね。なんだったか、額に大きな瘤があって、鼻は潰れており、体毛は分厚く……その醜い顔は豚のようにも、蛙のようにも見えるそうだよ」

 ど、どっちなのでしょう。

「まぁ、つまり不細工なお前に似合いの、世にも醜い男だってことさね」
「…………」

 どこまでが本当かは分かりませんでしたが、お母様のお話だけでは不足している背景を想像の中で膨らませてみます。

 国王陛下の意図としては、若く健康な公爵様を今のうちに結婚させたいと考えている。貴族の方となると後継者の問題もありますし、貴族同士の結婚は家と家の結びつきを強めるという政略的な意味合いが強いです。演劇でも、しょっちゅう「家に縛られたくはないんだ!」と駆け落ちする男女が描かれるものですから、私でもそれくらいのことは分かります。

 でも国王陛下が縁談を進めた九人の花嫁候補は、顔合わせはしたものの結婚を辞退し、公爵様のもとから逃げだしてしまった。自分の息のかかった貴族家の令嬢を花嫁に選ぶことは、国王陛下も諦めつつあります。むしろ若い女性が逃げ続けては、公爵様の評判が落ちるような事態にもなりかねません。

 そのため、国王陛下は公爵様に新たに命じられました。――とにかく、誰でもいいから適当な相手と結婚しろ、と。
 そこで公爵様は花嫁募集のお触れを出します。お母様はこれ幸いと、私を送りだすことにしたわけです。
 でも、そもそも。そもそもの問題です。

 ――馬小屋に住む私が、公爵様の花嫁になれるのでしょうか?

 私は冷や汗をかいてしまいます。あまりに無謀なのではと不安がっていると、テーブルに肘をついたお母様はにやりと笑ってみせます。

「安心しな。花嫁に出された条件はたったひとつだ」

 ごくり、と私は息を呑みます。

 北領、ひいては国中の民を身を粉にして守り続けてきた、立派な公爵様。幾多の戦いをくぐり抜けながらも、容姿を理由に乙女に避けられてしまうという公爵様。

 その方が自らの花嫁に求められる条件とは、いったい――?

「『静かであること』」

 ……?
 それを聞いた私は、ぽかんとしてしまいました。
 花嫁に課されるにしては、なんというか、ずいぶん変わった条件のような気がします。

「いかにもお前向きだろう。なんせ、喋ることもできないんだから」

 お母様が唾を飛ばしながら、けらけらとおかしそうに笑います。

 自慢にはなりませんが、私は確かに静かなほうだと思います。喋れないのもそうですし、家の中ではなるべく物音を立てないようにしています。
 静か、ではありますが……言い換えますと、それ以外にはなんの取り柄もありません。社交界のマナーやしきたり、公爵夫人の役割など、何一つとして分かりません。学がなく、読み書きだってできないのです。

 それに。たったひとつの条件には、どこか投げやりさが感じられました。
 すでに九人の花嫁候補に去られたからでしょうか。私のような凡人がご心情を想像するのも畏れ多いですが、もし私が公爵様の立場だったら、とても辛くて悲しくなってしまうと思います。まるで、自分を否定されたように感じてしまうから。

 そんなご経験をされた公爵様はきっと、もう結婚になんの期待もされていないのです。もはや誰でもいい。誰でもいいとは言えないから、一応の条件を設けておいた。そういうことなのではないでしょうか。

 そんな方のもとに、お金目当てで嫁ぎに行くのが正しいこととは思えません。すると私が躊躇っているのを見て取ったお母様が、取りだした鞭でぴしりと椅子の脚を叩きます。

「また折檻されたいのかい?」
「――ッ!」

 反射的にびくりと身体を震わせた私は、床に這いつくばるように深く頭を下げました。お怒りを鎮めるために恭順の意を示せば、お母様が満足げに笑われます。

「いい子だ。それでこそアタシのメロディだね」

 頭上から降ってくる言葉は、嵐に似ています。このまま頭上を過ぎ去るか、いつものように暴れ回るのかは、すべて嵐の気分次第なのです。
 だから最初からお母様に逆らうつもりなんて、ありませんでした。
 声を持たない私には、「はい」と「いいえ」しかありません。そしてお母様相手に「いいえ」が通じることは、絶対にないのですから。

 冷たくなっていく手足を震わせて辛抱強く待っていると、お母様が鼻歌交じりに鞭を仕舞われます。機嫌がいいおかげで、今日の折檻は免れたようです。
 私はのろのろと立ち上がります。お母様はドレスの懐を探っていました。

「出立は明日の朝だ。これは馬車に乗る金と、怪物公爵への手紙だ。公爵城に着いたら、門番に手紙を渡しな。旅立つことは誰にも話すんじゃないよ。寄り道もせず、なるべく早く城にお行き」

 少しばかりの硬貨と、皺だらけの封筒が汚れたテーブルに置かれます。事前に手紙を用意していたということは、私を公爵城に向かわせるのはやはり決定事項だったようです。

「話はこれで終わりだ。分かってると思うが、二度とここに帰ってくるんじゃないよ。お前の作るまずい飯には、もううんざりだからね。最近は肉も出やしないし……」

 私が深々とお辞儀すると、お母様が席を立たれます。
 お母様の食べ方はいつだって豪快です。散らかったテーブルや床は、お片づけのあとに拭き掃除をしましょう。お腹はきゅるきゅる情けなく鳴っていますが、今はひたすら我慢です。

 そんな私の鼓膜が拾ったのは、囁くように小さな声。

「これでようやく、念願が叶う。あの方の望みが――」

 私がお皿の山から顔を上げたときには、階段を上るお母様の声は聞こえなくなっていました。
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