マイナスの矛盾定義
「いつまでも、アリスが無条件で俺の傍にいたらいいのに」
ポツリと。やけに本気じみた言葉が夏の空気に消えていく。
何も言えなかった。
――無条件で、なんて約束できないからだ。
私が今この組織にいるのは、シャロンの組織にいるのは、ここしか居場所がないから。
他に居場所ができれば。
不老不死じゃなくなって、自由にどこへでも行けるようになれば。
私はきっとそっちを選ぶ。
誰にも縛られず余生を楽しむ。
シャロンはそれを分かっていてこんなことを言う。
「…何で何も答えないの」
不機嫌そうに、先程よりも少し低い声音で私を咎める。
結局、遠回しにずっと自分の傍にいろと言っているのだ。
面倒臭い男。
「貴方にそんな嘘吐けないって、分かってるでしょう」
他の誰かにいくら確証のない台詞を吐けたとしても、こいつに対してだけは言えない。
数秒の後、シャロンが怠そうに椅子から立ち上がった。
夕焼けがシャロンを照らし、どこか哀愁の帯びた雰囲気を醸し出している。
座っている私と向かい合い、不意に私の耳元に口を寄せたかと思うと、
「…この駄犬」
低くそう囁いた。
シャロンの指が私の顎周りをなぞっていく。
くすぐったくて少し身を引くと、クスッと意味ありげな笑みを向けられて。
「言わないなら言わせよっかぁ?」
……こういう自分の思い通りにならないことに対して力尽くで何とかしようとする傾向、どうにかならないのかしら。
「俺の望む答えを言えない、だらしないお口を開かせるのなんて簡単なんだよぉ?…寧ろ、気持ち良すぎて閉められなくなっちゃうかも」
「…下品な発言は控えて」
私は顔を顰め、苛立ちを込めてシャロンの足を踏み付けた。
それとほぼ同時に、聞き慣れた高音ボイスが耳に入ってくる。
「シャロン様、こんな所にいたんですのね!任務完了しましたわよ!」
なかなか良いタイミングで来てくれたキャシー。
銀髪のふわふわした髪と、フリルの黒いスカートが揺れる。
「…って……またアリスといらっしゃるんですの?」
じとーっと見られたので気付いていないかのようにわざと目を逸らし、「あの雲、キャシーの顔に似てるわね」とついでに話も逸らしておいた。
「どこがですの!?雲との類似点を探さないでくださいまし!」
「そうかしら?鼻の辺りがよく似てると思うのだけど」
「鼻!?あんな綿菓子みたいな物と一緒にされては困ります!」
「雲は綿菓子じゃないわ。正確に言えば大気中の水蒸気が凝結してできる小さな水滴の…」
「あーあーあーあー!」
キャシーが最も嫌がるバズ先生の真似をしてやると、案の定苦しみ始めた。
その手にはアタッシュケース。きっと現金か危険物でも入っているのだろう。
キャシーの主な仕事は盗み。なかなかの腕前で組織に貢献している。
寧ろ、盗みに関してキャシーの右に出る者はこの組織にいない。
「相変わらず仕事早いねぇ。お疲れ様ぁ」
アタッシュケースを受け取りつつ、目だけで私に「後で覚えときなよぉ?」と伝えてくるシャロン。
その視線に恐怖を感じながらも、私はもう一度スイカ割りをしている子供達の方へ目を向けた。
私はこの組織がそれなりに好きだ。きっとあの子達もそうだと思う。
いざこの組織を出ても良いとなれば、私はどちらを選ぶのだろう。
分からない。
でも私はきっと、“シャロンによって指示された道”じゃなく“自分が望む道”へ進む。
数日後。
コツコツと、静かなコンクリート製の通路に私の足音だけが響く。
あまり光が届かず、少し不気味な雰囲気を漂わせる施設――昔使われた研究所。
隣で音も立てずに壁を這うヤモは、その不気味さに少し脅えている様子だった。
この場所自体に覚えはないけれど、研究で使われていたなら私も来たことはあるんだろう。
色々な場所に移動させられていた所為か、その1つ1つをいちいち覚えなくなってしまっただけだ。
ここはジャックがシャロンを通して教えてくれた場所の1つ。
ここに来る前もバズ先生の運転でいくつか回ってきたけれど、何も残されていなかったり入れなかったりした。
ヤモと一緒に研究所内を隈無く探しても、手掛かりは未だ見つからない。
もう使われていない場所だし…ここに置かれていた物は全て別の研究所に移動させられたんだろう。
少しでも何かないものかしらね…と思いながら、新しく発見した部屋へ入っていく。
特に何もない。錆びた机や棚が残っているだけだ。
と、ヤモが床から棚の下を覗いて。
『何かの紙があるゾ!』
ズルズルとホコリの付いた用紙を運んできた。
私はそれを受け取り、文章が印刷されていることに気付く。
マーメイドプランの進展について書いてあるみたいだ。
どれも知っていることばかりで、大した物じゃないと諦めかけた時、気になる文を発見した。
“元資金提供――日本国軍秘密特殊部隊”
“現段階において、マーメイドプラン及び他の生物研究の資金提供者は士巳豆に引き継がれた”
「……どういうこと?」
日本国軍秘密特殊部隊。
昔日本にあった部隊だとバズ先生に習ったことがある。
『生物兵器の研究自体はこの部隊があった頃から開始されてたんじゃないのカ?』
確かにその時代の世界情勢からして、そう考えれば納得できる。
その頃、世界では大きな戦争が起きていた。
政治も不安定な状況で、追い詰められた人々が生物兵器を生み出そうとしていたとしても不自然じゃない。
最後に日付が記載されているけれど、これは私がまだ普通に生活していた頃に書かれた物だ。
研究の資金提供者がそう頻繁に変わるとも思えないし、今も“士巳豆”である可能性は高い。
この士巳豆が今どんな立場に在るのかは分からない。でも調べてみる価値はありそう。
「これ、どう読むのかしら?そもそも人名なの?」
『しみず、じゃね?今の日本政府にこういう名前の奴いた気がするゾ』
「……厄介ね」
私は脳内で今まで得た情報を整理する。
研究の中心人物は私の父親と如月という人物。
研究の資金提供者は士巳豆という日本政府の人間。
研究に加わっていながら私の手助けをするのがジャック。
この研究に関わる重要人物がだんだん分かってきた。
士巳豆は政府にいるみたいだし、ネットでも調べられるはず…この中で最もどんな人物かよく分からないのは如月。
“筋金入りのマッドサイエンティスト”――ジャックはそう言った。
できればシャロンの力無しで探したいけれど…そうなると、情報量の多いジャックの協力が必須になってくる。
私は紙をきちんとポケットにしまい、腕時計で時間を確認した。
もう帰らなければならない時間だ。バズ先生が待っている。
「今日はここまでにしましょう」
ヤモと私は、静かに来た道を引き返した。
―――
――――――
ポツリと。やけに本気じみた言葉が夏の空気に消えていく。
何も言えなかった。
――無条件で、なんて約束できないからだ。
私が今この組織にいるのは、シャロンの組織にいるのは、ここしか居場所がないから。
他に居場所ができれば。
不老不死じゃなくなって、自由にどこへでも行けるようになれば。
私はきっとそっちを選ぶ。
誰にも縛られず余生を楽しむ。
シャロンはそれを分かっていてこんなことを言う。
「…何で何も答えないの」
不機嫌そうに、先程よりも少し低い声音で私を咎める。
結局、遠回しにずっと自分の傍にいろと言っているのだ。
面倒臭い男。
「貴方にそんな嘘吐けないって、分かってるでしょう」
他の誰かにいくら確証のない台詞を吐けたとしても、こいつに対してだけは言えない。
数秒の後、シャロンが怠そうに椅子から立ち上がった。
夕焼けがシャロンを照らし、どこか哀愁の帯びた雰囲気を醸し出している。
座っている私と向かい合い、不意に私の耳元に口を寄せたかと思うと、
「…この駄犬」
低くそう囁いた。
シャロンの指が私の顎周りをなぞっていく。
くすぐったくて少し身を引くと、クスッと意味ありげな笑みを向けられて。
「言わないなら言わせよっかぁ?」
……こういう自分の思い通りにならないことに対して力尽くで何とかしようとする傾向、どうにかならないのかしら。
「俺の望む答えを言えない、だらしないお口を開かせるのなんて簡単なんだよぉ?…寧ろ、気持ち良すぎて閉められなくなっちゃうかも」
「…下品な発言は控えて」
私は顔を顰め、苛立ちを込めてシャロンの足を踏み付けた。
それとほぼ同時に、聞き慣れた高音ボイスが耳に入ってくる。
「シャロン様、こんな所にいたんですのね!任務完了しましたわよ!」
なかなか良いタイミングで来てくれたキャシー。
銀髪のふわふわした髪と、フリルの黒いスカートが揺れる。
「…って……またアリスといらっしゃるんですの?」
じとーっと見られたので気付いていないかのようにわざと目を逸らし、「あの雲、キャシーの顔に似てるわね」とついでに話も逸らしておいた。
「どこがですの!?雲との類似点を探さないでくださいまし!」
「そうかしら?鼻の辺りがよく似てると思うのだけど」
「鼻!?あんな綿菓子みたいな物と一緒にされては困ります!」
「雲は綿菓子じゃないわ。正確に言えば大気中の水蒸気が凝結してできる小さな水滴の…」
「あーあーあーあー!」
キャシーが最も嫌がるバズ先生の真似をしてやると、案の定苦しみ始めた。
その手にはアタッシュケース。きっと現金か危険物でも入っているのだろう。
キャシーの主な仕事は盗み。なかなかの腕前で組織に貢献している。
寧ろ、盗みに関してキャシーの右に出る者はこの組織にいない。
「相変わらず仕事早いねぇ。お疲れ様ぁ」
アタッシュケースを受け取りつつ、目だけで私に「後で覚えときなよぉ?」と伝えてくるシャロン。
その視線に恐怖を感じながらも、私はもう一度スイカ割りをしている子供達の方へ目を向けた。
私はこの組織がそれなりに好きだ。きっとあの子達もそうだと思う。
いざこの組織を出ても良いとなれば、私はどちらを選ぶのだろう。
分からない。
でも私はきっと、“シャロンによって指示された道”じゃなく“自分が望む道”へ進む。
数日後。
コツコツと、静かなコンクリート製の通路に私の足音だけが響く。
あまり光が届かず、少し不気味な雰囲気を漂わせる施設――昔使われた研究所。
隣で音も立てずに壁を這うヤモは、その不気味さに少し脅えている様子だった。
この場所自体に覚えはないけれど、研究で使われていたなら私も来たことはあるんだろう。
色々な場所に移動させられていた所為か、その1つ1つをいちいち覚えなくなってしまっただけだ。
ここはジャックがシャロンを通して教えてくれた場所の1つ。
ここに来る前もバズ先生の運転でいくつか回ってきたけれど、何も残されていなかったり入れなかったりした。
ヤモと一緒に研究所内を隈無く探しても、手掛かりは未だ見つからない。
もう使われていない場所だし…ここに置かれていた物は全て別の研究所に移動させられたんだろう。
少しでも何かないものかしらね…と思いながら、新しく発見した部屋へ入っていく。
特に何もない。錆びた机や棚が残っているだけだ。
と、ヤモが床から棚の下を覗いて。
『何かの紙があるゾ!』
ズルズルとホコリの付いた用紙を運んできた。
私はそれを受け取り、文章が印刷されていることに気付く。
マーメイドプランの進展について書いてあるみたいだ。
どれも知っていることばかりで、大した物じゃないと諦めかけた時、気になる文を発見した。
“元資金提供――日本国軍秘密特殊部隊”
“現段階において、マーメイドプラン及び他の生物研究の資金提供者は士巳豆に引き継がれた”
「……どういうこと?」
日本国軍秘密特殊部隊。
昔日本にあった部隊だとバズ先生に習ったことがある。
『生物兵器の研究自体はこの部隊があった頃から開始されてたんじゃないのカ?』
確かにその時代の世界情勢からして、そう考えれば納得できる。
その頃、世界では大きな戦争が起きていた。
政治も不安定な状況で、追い詰められた人々が生物兵器を生み出そうとしていたとしても不自然じゃない。
最後に日付が記載されているけれど、これは私がまだ普通に生活していた頃に書かれた物だ。
研究の資金提供者がそう頻繁に変わるとも思えないし、今も“士巳豆”である可能性は高い。
この士巳豆が今どんな立場に在るのかは分からない。でも調べてみる価値はありそう。
「これ、どう読むのかしら?そもそも人名なの?」
『しみず、じゃね?今の日本政府にこういう名前の奴いた気がするゾ』
「……厄介ね」
私は脳内で今まで得た情報を整理する。
研究の中心人物は私の父親と如月という人物。
研究の資金提供者は士巳豆という日本政府の人間。
研究に加わっていながら私の手助けをするのがジャック。
この研究に関わる重要人物がだんだん分かってきた。
士巳豆は政府にいるみたいだし、ネットでも調べられるはず…この中で最もどんな人物かよく分からないのは如月。
“筋金入りのマッドサイエンティスト”――ジャックはそう言った。
できればシャロンの力無しで探したいけれど…そうなると、情報量の多いジャックの協力が必須になってくる。
私は紙をきちんとポケットにしまい、腕時計で時間を確認した。
もう帰らなければならない時間だ。バズ先生が待っている。
「今日はここまでにしましょう」
ヤモと私は、静かに来た道を引き返した。
―――
――――――