マイナスの矛盾定義
バズ先生の車は至極普通で、まぁ本人が目立ちたがらない性格だからだろうけど、少し安心する。


リバディーとかいう組織の連中には私と同い年で最新型の高級車に乗ってる奴もいるんだし…やっぱり普通が一番だわ。



「今日は運転ありがとう」


後部座席からバズ先生にお礼を言った。



ヤモは助手席でバズ先生がくれた餌を食べ始める。


私も同様に貰ったチョコサンドクッキーの箱を開けた。


疲れていると思って用意してくれたのだろう。



車は人通りの少ない道を走っていく。


廃墟のような場所の周りに野良猫が集まっているのが見えた。


冷房が付いている車内にはひんやりとした空気が広がり、心地良いクラッシック音楽が流れている。


音楽にあまり詳しくない私でも知っている、ベートーヴェン作曲の交響曲第5番“運命”だ。
バズ先生が好きな曲の1つで、この組織に入った頃から何度も聴いている。


ジャジャジャジャーンという音と、ヤモが虫を食べる音が混じって微妙な気分。


折角運命が扉を叩いてるのに黙々と餌食べるのね、貴方…。


とは言え私も小腹が空いているので、手元にあるチョコサンドクッキーを口に入れた。



暫く走行した後赤信号に引っ掛かり、バズ先生が不意に私に話し掛ける。



「アリス、ちょっとボクの相談を聞いてくれると嬉しいんだけど」



真面目な声音でそう言って、流れる音楽を消した。



「珍しいわね、何?」



バックミラーに映るバズ先生の表情は、どこか緊張したような真剣味を帯びている。



「……ボク達の組織の子供達に教育を施したい」


「教育?」


「ボクはアリスがこの組織に入った頃から教育係としてやってきたけど、それはアリスだけでしょ?組織内にはまだ沢山子供達がいるのに」
確かに、この組織にはかなりの人数の子供がいる。



「学びたいって気持ちがある子だって沢山いると思うんだよね。ボク1人じゃ無理だから、組織内にいる先生になり得る人間を集めたいっていうか…」


「…そういうことをするのならシャロンの許可が必須ね」


「許可してくれるかな?」



成る程、シャロンの許可が得られるか自分だけでは判断できないから私に聞くわけか。


学問は世界を広げる鍵。勉強しておいて損はないだろう。



……でも。


「それじゃシャロンの言うような自由には反してると思うわ」


全員にというのは無理がある。



「そっか。そうだよね…」



残念そうに分かりやすく凹むバズ先生。


いや、待って。私は否定してるわけじゃない。



「選択式にしたらどうかしら」


「…選択?」
「そう。色んな分野に長けた人を集めるじゃない?子供達には自分が学びたいと思う分野を選択してもらうの。学び方も自分で選べるようにするのがいいんじゃないかしら」


「成る程…あ、そうだ。取っつきにくく感じてもやってみれば面白い分野だってあるし、お試しで学べるような機会もつくりたいな」


「さすが学問好きね…。良い案だと思うし、自由ささえあれば納得してくれるとは思うわ」



あまり意識したことはなかったけれど、組織内には何の教育も受けず育った人もいる。


行き場のない子供達が今までできなかったことを叶える。そういうことに積極的なシャロンなら、きっと実行してくれるはずだ。


私たちは普通じゃない。少なくとも、犯罪組織の一員として自立できるくらいの知識は備わっていなければならない。


今までの子供達はそれを自然に身に付けてきたのかもしれないけれど、バズ先生の提案が採用されれば、きっと更にやりやすくなる。



『性教育ならオレもできるゾ!』



今まで黙っていたヤモがそんなことを言い出すので、私は溜め息を吐いた。



「そういうことしか言えないの?」


『ナッ…結構真面目に言ってんのに』



どこがどう真面目なのよ…と思ったけれど、バズ先生は思い出したかのように頷く。



「そうだね。性教育も必要かもしれない。そういうことを教えてくれる人が必ずいるとも限らないし。メディアを使ってさり気なく教えるのもいいけど、危険性もちゃんと伝えなきゃいけないしね」



ヤモが言うと不真面目に聞こえる内容も、バズ先生が言うとちゃんと真面目に受け取れるのが不思議だ。


確かに、中途半端な知識を植え付けるよりはちゃんと教えた方がいい。



『ダロ?オレに任せろ!』


得意げなヤモにちょっとむかついたので、手を伸ばして尻尾を引っ張ってやった。
―――
――――――




その日の夜。


私は部屋でお風呂に入った後、パソコンで士巳豆のことを調べた。


やはり日本政府の人間らしく、50代後半で大柄のどっしりした男だ。


当たり前だけれど、マーメイドプランのことについては一切書かれていない。




こっちは指名手配されてる身だし、士巳豆相手にあまり目立った行動はできないはず。


これからどう動くべきかしら…と腕を組んで考えていると、部屋のドアが弱々しくノックされた。


パソコンを閉じ、椅子から立ち上がってドアの方へ向かう。


ドアを開けば、そこに立っていたのは長い銀髪を垂らし、可愛らしいパジャマを着ている私より少し小さめの少女。



「……誰?」


「失礼ですわね!私ですわ!」



声でようやく分かった。いつもと違う格好だとなかなか分からないわね…。


私がいつもゴシックファッションの女の子と認識している、キャシーがこの部屋に来ることはよくある。


というか、一番頻繁に私の部屋に来ているのはキャシーだ。
でもこんな時間に来るのは初めて。ついでにこんな格好を見るのも初めて。



「今回はどうしたの?」



私はとりあえずキャシーを部屋に入れ、ドアを閉めた。



キャシーは何か言おうとして躊躇い、数秒経ってから再び口を開く。


「…相談が、ありますの」



何だか深刻な顔つきをしているのでどんな話だろうと身構えていれば、


「またシャロン様にふられましたわ」


「そう。いつものことね」


「う、うるさいですわね…!」


特に大したことではなかった。



キャシーはこれまで何度もシャロンに恋心を伝え、その度に玉砕している。


何ら変わりない。…いや、彼女にとっては変わらないことが問題なのかもしれないけれど。



「…シャロン様が、おっしゃってたんですの。自分に価値はないって」



キャシーは今にも消えそうな声で言って俯く。
「自分に価値がないから、私に好かれる資格もないって」


「……」


「私、あの方が何を感じて、何を思っているのか…たまによく分からなくなりますのよ」



キャシーの言葉がまるで自分のことのように聞こえた。


他人の考えていることが分からないのは当たり前だ。


でもそれ以上に、シャロンは分かりやすいようで分からない。


私は一緒にいる時間が長いから、分かったような気になることもあるけれど…それでも本質は見えてこない。


親しみやすいようでいて、本当は酷く恐ろしい人間のようで。


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