マイナスの矛盾定義
-change-
―――クリミナルズの滞在地に帰ってきてもうすぐ1ヶ月。
夏も本格的になってきて、この施設でもよく冷房が使用されるようになった。
私はと言うと、まだまだ未熟なものの辞書やジャックの手を借りてまずは仲間から父親や如月に関することについて聞き込みを始めた。
父親や如月の居場所を知っている人はいなかったけれど、さすが犯罪組織と言うべきか、研究の情報を知っている人はちらほらいて。
その中でも気になったのは、“研究の中心人物のどちらかの幽霊が研究に関する指示を出している”という噂。
つまり、如月かお父さんのどちらかが行方不明になっていて、指示だけが研究所に届いているというのだ。
顔を見せないだけだとも思うんだけど……一応貴重な情報として受け取っておいた。
私は日々得た情報を纏め、共通点を見つける作業を繰り返していた。
そんな中、この組織はというと。
バズ先生が提案した子供達への教育をシャロンは許可した。
制度に関しては検討する必要があるようで、バズ先生を含めて何度も会議を行っている。
この組織も変化していく。
少しずつ、でも確実に。
そんなある日の熱帯夜、私とキャシーに任務がやってきた。
「ちょっと、2人でお使いをしてきてほしいんだよねぇ」
シャロンが私たちに差し出した紙には、あきらかに普通の手段では手に入らないような物ばかりが書いてある。
「こんな物どこで買えって言うのよ?」
「闇取引が行われている場所だよぉ。前もって注文しておけば後は受け取るだけだし簡単。キャシーは何度か行ったことあるでしょ?」
「勿論ですわシャロン様!お任せくださいまし」
あっさりと了解するキャシーは、シャロンからの任務だからこそノリノリ。
「……キャシーが1人で行けるなら1人で行ってほしいのだけど。私、暫くは目立つような行動したくないわ。運が良ければ私は死んだって思ってるかもしれないのよ?あいつら」
初めて受付を通った時の、ニーナちゃんの言葉を思い出す。
―――『このカードが外部の人間に渡ってしまった際には――どれだけ逃げようと地の果てまで追い掛けて貴方を殺害することになりますので、宜しくお願いしますね』
エレベーターに乗るためのカードを外部の人間に渡すどころか、こっちはスパイだったのだ。見つかったらどうなるか分からない。
「あら、何の為に私がいると思っていますの?万が一の場合には私がフォローしますわ。そうですわね…探されている可能性もありますし、変装はした方がいいかもしれません。髪色のおかげで既に以前と印象がかなり違うとは思うのですけど、念のため」
…リバディーには、髪の色が変わろうが数年経った後だろうが一度見ただけの私を春だと思った男がいる。
やっぱりやめておきたいという思いを込めてキャシーの方を見ると、彼女は少し考えるような仕草をした後、笑顔で私に提案した。
「印象をもっと変える方が安心であると言うのなら、私のゴシック系統の服を貸してさしあげますわよ」
「…それ、余計目立たないかしら?」
「ご安心くださいまし。比較的目立たない物をセレクトします」
どうやらキャシーの中にはシャロンからの任務を断るという選択肢はないらしい。
シャロンは“2人で”と言った。シャロンが言ったのだから、何としてでも私を連れていくだろう。
私はシャロンを見て、溜め息混じりに最も聞きたいことを聞く。
「報酬は?」
「今回はただのお使いだし二分割するからそう多くはないかなぁ」
「……」
低賃金でリスクを負うなんて…いや、でも私が逃亡してからもう約1ヶ月が経っている。
1、2週間目くらいならともかく、1ヶ月経った今ならリスクは今後とあまり変わらないかもしれない。
いつまでも追っ手に脅えて生活してちゃ窮屈だし…追っ手がいることは、今も昔も変わらない。
それに今回はキャシーもいる。
この任務に行くか行かないか。
いずれにしても今後は研究の情報を集める為色々な場所に行かなければならない。
どうせリスクを負うことになる。
いつまでも安全な場所でウジウジしてるわけにはいかない。
……よし。小遣い稼ぎとしては調度良い。
私は決意し、シャロンとキャシーに向かって言った。
「受けるわ、その任務」
―――
―――――
シャロンに指示された場所に着くと、そこには人の気配のない建物があった。
星のよく見える夜だ。
元々人が少ない場所だからか道中もあまり人を見なかった。
「じゃあ、気を付けてね。ボクは向こうの駐車場で待ってるから」
ここまで乗せてきてくれたのはバズ先生。
その隣の助手席には新聞や本が積み上げられている。
「分かりました。早めに終わらせますわ」
私の左隣にいるキャシーがそう言って車のドアを開く。
梅雨のようなむっとした空気がこちらにまで届いた。
「大丈夫?ボクも付いていこうか?最近虫多いし」
「喧嘩売ってるんですの!?」
キャシーはバズ先生を睨み、車から出て行く。
キャシーの反応に満足したのか機嫌良さそうに笑うバズ先生に呆れつつ、私も後を追おうと同じドアから外へ出た。
キャシーは私が出て来るまで待っていて、私の隣を歩き出す。
……それにしても暑い。
ただでさえ気温が高いのに、私が着ているのはキャシーから借りた長袖の服。
半袖も持っているらしいけれど、体格を誤魔化すならこっちの方が良いと言われた。
風もあまり吹かないので、うちわでも持ってくれば良かったと少し後悔。
暑さで気力を失いそうになってしまう私を嘲笑うかのように虫の鳴き声が聞こえてくる。
「取引が行われているのはここの地下ですわ。行きましょう」
無遠慮にドアを開き、建物の中へと入っていくキャシー。
天井の蛍光灯による弱い光が点いたり消えたりしている。
非常口のマークだけが目立った光を放っていた。
キャシーに付いて階段を下りた後、短い通路を進む。
この感じは、昔熱を出して深夜に行った病院に似ている。
まだ母が生きていた頃のことだ。
熱がなかなか下がらず、私を心配そうに覗き込む2人の顔を覚えている。
お父さんはオロオロしていて、お母さんは私を撫でていた。
どちらかと言えばお母さんの方がしっかりしていて、研究ばかりで何に関してもあまり経験の無いお父さんは、それでも不器用ながらに私を育ててくれた。
――いつからだろう、あの人が狂い始めたのは。
そんな疑問を頭に思い浮かべた後、私は自嘲した。
………いつからなんて、分かっているくせに。
お父さんが生にしがみつく理由も、死を恐れる理由も分かっているくせに。
恨むべき相手が狂った理由を直視することは、私を辛い気持ちにさせる。
――あの人が狂ったのは、お母さんが死んだから――。
胸の辺りを埋め尽くす重苦しい気分に、自然と溜め息が出た。