マイナスの矛盾定義
短い通路の先にはドアがあり、キャシーはこれもまた無遠慮に開く。


外よりは空気がひんやりとしていて少し安心した。


徘徊するように彷徨く如何にも怪しげな人々。

何かを話し合っている人々。

何かを受け取る人々。


さっきまでひっそりとしていたのに、薄暗いフロアには沢山の人がいた。


存外広く、奥の方にもまだ人がいるみたいだ。



「あの男性の所へ行けば商品を受け取れますわ。私はそのうちに別の物を受け取ってきますから、ここで合流ですわね」



キャシーの視線の方向にいるのは、ひょろっとした背の高い30代後半くらいのオールバックの男性。


奥でひっそりと闇に溶け込んでいる。


妙な雰囲気をした男だと思った。


うまく言えないけれど、現代に生きる者とは思えないような、何か私たちとはずれがあるように感じる、不思議な男だ。




私はその男性に近付いていき、正面まで行って立ち止まった。


白いカッターシャツ。綺麗な金髪碧眼。


ひょろっとしているようでいて、この距離で見ると意外と筋肉質だ。



胡散臭い狐のような顔をした小麦色の肌のその男性は、私に気付いて不敵な笑みを浮かべる。



「……注文の品、届いてるぞ」


口調はぞんざいだった。
用意されたお金を取り出して渡すと、彼は持っていた鞄の中から中身の見えない黒い袋を取り出す。


私はそれを受け取り、身に纏う黒い服と同化させた。


あとはこれをシャロンの元へ持っていけばいいだけ。

本当に簡単だったわね…やり甲斐がないってくらい。


まぁ、どっちにしろ金は手に入るんだしいいか…。



そんなことを考えながら戻ろうとした。

が、狐顔の男性が興味深そうに私を見ていることに気付いて立ち止まる。



「…何ですか?」


「いや、あんたもしかして、国が支援してる研究について調べてる奴か?」


「……………どうしてそんなことを?」


「あぁ、悪い悪い。怪しまないでくれ。あんたの組織の連中は御得意さんだからたまにそういう話を聞くんだ。あんたは何が目的なんだ?その研究を中止にさせたいのか?」


「研究の影響が自分に及ばないようにしたいのよ。中止にさせられるとは思ってないわ」


「へぇ。他の犠牲者はどうする気だ?あんただけ助かったとしても、またあんたの代わりが生まれるかもしれないぞ」


「…私には関係ない」



私、何で初対面の相手にこんなこと教えてんのよ、と心の中で自分に文句を言いつつ適当に返事をする。


研究の影響が及んでいるのは人間だけじゃない。

ヤモリだっている。


私が知っている以上に、犠牲者はもっと沢山いるのだろう。


でもそんなものに気を遣っている暇はないのだ。



「――理解できないな」



私の思考を遮るようにして、男性が冷たく言った。
「関係ないと目を背けていていいのか?その諦めが、いずれ大きな出来事を招くかもしれない」



男性の言葉がやけに重く響く。

何故かは分からない。

いや、本当は分かっているのかもしれない。


途端に自分が情けない人間に思えた。



「若いうちは、自分に嘘を吐いて諦めることだけはするなよ。おじさんのからのアドバイスだ」


「………」



私は男性に素っ気なくお辞儀をして、踵を返した。



何かが胸に引っ掛かる。

忘れていたことを思い出したような感じだ。




私はずっとあの研究から逃げる立場だった。


自分を守ることで精一杯だった。



…でも、本当に?


私は今クリミナルズの人間として活動している。

仲間がいる。


こんなに安全な立場にいるのに、あの研究に脅えてばかりで。


今この瞬間も被害を受けているかもしれない人間のことを“関係ない”で済ましていた。


怖くて。怖くて怖くて怖くて。



でもきっと、今も怖い思いをしている人がいる。


……私は目を背けているだけだ。
「遅いですわよ。バズ君が待っていることですし、早く行きましょう」



キャシーとの合流地点に着くと、キャシーは既に目的のものを買い終えたらしく腕組みをして待っていた。



外で待たせているバズ先生に気を遣ってるのかしら…何だかんだで仲良いわよね。

そんなこと言ったら全力で否定されるだろうし言わないけれど。



帰ったら、沢山のことを考えよう。


こんな所で初めて会った男の言うことに耳を貸すのも変な話だけれど、妙に気になるのだ。


一度自分の思いを整理する必要がある。

何をどうしたいのか。

自分の気持ちと向き合ってみよう。






考えを纏め、キャシーの隣を歩き出した――…その時。


「――アリス?」


「………、」



横から聞こえてきたその声に一瞬反応しかけ、ギリギリで思い留まる。


自分が呼ばれたことに気付いていないよう振る舞うべく、すぐにキャシーと共に去ろうとした――が。


引き留めるように二の腕を掴まれる。


その手の力強さは、以前シャワールームで私を掴んだ物と同じだ。



反応が不自然にならないよう、あくまでも他人として振り返る。





そこには、グリーンの瞳にモカブラウンの髪――……アランがいた。
どこにいた?いつ私の存在に気付いた?


…私は商品を受け取る時周りを見ていなかった。


この男に近付かれていたことに気付かなかった。



おそらく、この闇取引を取り締まる為にたまたまここに居たのだろう。



「何ですの?何かの勧誘ならお呼びでないですわよ。…行きましょう、“キャシー”」


キャシーは私のことをキャシーと呼び、反対側の腕を引っ張る。


私とアランの間のただならぬ空気に気付いていて名前を交換してくれたのだろう。


…しかし、アランは私の腕を離さない。



「こいつと話がしたい。2人にさせてくれねぇか」



返事を聞かずに私を引っ張って行こうとするアラン。


焦る私の反対側の腕をキャシーが掴んで引き留める。



「私たちにはこれから用事があるんですわ。連れて行かれては困りま、」

「あ?」



凄みのある重く低い声がキャシーの言葉を遮った。
こいつ…この態度の悪さはどうにかならないわけ?



むかついたのは私だけではないようで、キャシーの眼孔が僅かに鋭くなった。



「ここが危険な場所であることをご存知ですかしら?人が殺されようと珍しいことではありませんのよ?そんな場所で友人を見ず知らずの人間に預けられるとお思いですの?」


「護衛としての能力ならお前より優れてる自信あるけどな」


「……無礼な方。貴方とは会話ができないということが分かりましたわ。その手をお離しくださいませ。さもないと…」



かなりイライラしている様子のキャシーがホルスターの拳銃に手を掛ける――よりも早く、アランの拳銃がキャシーのこめかみに突き付けられていた。


「2人にさせろっつってんだ」


技量の違いを感じさせるスピードの差。

アランには無駄な動きが何1つ無い。


その気になればいつでも怪我を負わせられる、と伝えるような銃口。


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