マイナスの矛盾定義
アランらしい強引さというか何というか…こっちにとっては迷惑でしかないけれど。




眉間に皺を寄せてアランを見上げるキャシーは、少しして降参といった風に溜め息を吐く。



「……分かりましたわ。5分だけ時間を差し上げます。その物騒な物を下ろしてくださいな」
ふっと満足げに笑ったアランは拳銃を下ろし、掴んだ私の腕を離さずに部屋の入り口へと連れて行く。


仕方ない…もう見つかってしまったのだし、ここで必要以上に抵抗する方が不自然だ。



意図的に声の質を少し変え、アランに問う。


「あの、私たちって初対面ですよね?誰かと間違えてませんか?」



アランは答えない。


仕方ないので、質問を変えた。



「どこに行くんですか?」


「外だ。ここじゃ話しにくいだろ」



……まだ、大丈夫。私がアリスである確証なんてないはずだ。


少しの焦りを感じながらもアランに引っ張られるまま地下の部屋を出た。


湿っぽく暑い空気がむわっと私たちを包む。



「キャシーっていうのか?」


「はい」



迷わず答える。


キャシーがわざわざ自分の名前を私の偽名にしてくれたのだ。


私は“闇取引をしに来たキャシーという女”になりきれば良い。
「お前と似た女を見たことがある」


「……へぇ」


「もう死んだけどな」



自嘲的に笑うアランに、少しの安堵を覚える。


やっぱり死んだと思われてるのね…良かった。


こんなに暑いのに、わざわざ部屋の外に出てまで私とこんな話がしたかったんだろうか。



ほっとしたのも束の間、「でも」とアランは付け足す。


「死んでねぇような気がするんだよ」


「……」


「飛び降りた直後、そいつが翼でも生やして飛んでくような感じがした」


「…人間に翼は生えません」


「比喩だよ、比喩。可愛くねぇな」



久しぶりに言われたその言葉に少しの懐かしさを感じた。


直感で私が生きていると思うなんてね。


なかなか鋭いとは思うけど、こっちとしては迷惑なだけ。
……5分間誤魔化し通さなければならない。


誤魔化せなかった場合の為にもできるだけ外に近い場所へ行こうと思い、私はさり気なく階段を上がった。



蛍光灯の弱い光が私たちを照らす。



「貴方は目的の物を買わなくて良いんですか?」


「あぁ。買うことを目的に来たわけじゃないからな」


「…どういうことです?」


「俺はお前らと同じ世界の人間じゃない。寧ろ取り締まる側だ」



思わず心の中でガッツポーズをしてしまった。


まさかそっちから正体を明かしてくれるなんてね…これで逃げる理由ができたわ。


“アリス”じゃなくても、私は闇取引をしていた女。

それを取り締まる人間が目の前にいるとなると、逃げるに決まっている。



私は驚いたような演技をし、入り口の方へ走ろうとした――が、その前にアランが私を壁に押し付けていた。


素早く近付いてきたかと思えば、首筋に息を吹き掛けられ、そこに容赦なく歯を立てられる。


「――ッ」


遅れてやってきた痛み。


次の瞬間、アランの手が服の中に入ってきていた。
こいつ…手が早いって聞いたことはあったけど、これはさすがに早すぎるんじゃないの?

逃げようとする犯罪者の女を襲うのが趣味なわけ?



どうしようかしら…回避できそうにもなかったら、最終手段として“道具”を使うしかない。


私は片方の手で抵抗しながら、もう片方の手で気付かれないように道具へと手を掛ける。



その時アランの手がピタリと止まった。


そして、クックッと噛み殺すような笑い声を漏らす。



わけが分からず眉を寄せると、アランは私の耳元で囁いた。


「―――左胸の傷」


反射的に私が大抵装備している道具――コンパクトタイプのスタンガンを強く押し付けた。



「……ッ」


流石のアランも後退る。その隙に距離を置いた。



「…大人しくしてろよ。あんま物騒なモン出されりゃ俺も手加減できなくなるだろ」



気絶させることはできなかったようで、アランは笑いながらホルスターから拳銃を取り出した。
……やっぱり誤魔化しきれなかったわね。


左胸の傷…食堂で団体からブラッドさんを庇った時にできた傷だ。


アランはこの傷が残る物だと知っている。


今ので私がアリスだと確信したはずだ。


油断した。

てっきり10階から落ちた時にこの傷も再生されたと思ってた。


胸から落ちたわけじゃないし、この部分には大した作用が働かなかったのかもしれない。



さっきは不意打ちだったからこそ近距離でも当てることができたけれど、こっちがスタンガンを持っているとバレた以上、近寄っても押さえ込まれるだけ。


気絶させることが無理なら、別の方法で動けないようにしないと…。



「もうこの国にはいねぇと思ってたんだけどな。こんな場所でウロウロしてっからこういうことになるんだぜ」


後退りする私と、ゆっくりと近付いてくるアラン。



「私をどうするつもり?」


「…さぁ、どうしてやろうか」




…大体予想はつく。


アランは私を捕まえる。

私はリバディーからマーメイドプランの研究所に引き渡されることになる。
こっちだって、それを分かってて簡単に捕まるような馬鹿じゃない。


あの悪夢のような研究の実験体に戻るのは絶対に嫌だ。



キャシーが来るまであと何分?何とか時間を稼がないといけない。


対応はこいつの出方次第で変わる。



じっと見つめていると、アランは一定の距離で足を止めた。



「卓球した時のこと、覚えてるか」


「…え?」


「あん時、お前負けただろ。勝った方が負けた方の言うこと聞くってルール、あったよな?」



……そんなくだらない約束、今更守るわけないでしょ。



「教えろ」


「何をよ?」


「――お前は、“何”だ?」



やけに真剣味を帯びた声音。
……そうか。こいつ、おかしいってことに気付いてるのね。


さすがに私が不老不死だなんて思ってないだろうけど…こいつは私があの高さから飛び降りた時、すぐ傍で見ていたんだ。


いくら直感で死んでいないと思っても、生きている方がおかしいことくらい分かるはず。



……どうせこいつはこの国の闇になんて辿り着けない。

私の正体も分からない。

何も知らず、日々のうのうと暮らす。


それなら、ヒントくらい与えるのが私なりの慈悲。


卓球か…確かあの時は恥をかいたうえに負けたのよね。

約束は約束。

どうせ分からないだろうし、ちょっとくらいなら教えてやろう。



「…マーメイドプラン」


「あ?」


「それに辿り着けたら教えてあげるわ」



私はくすりと微笑み――アランの後方にいる自分の仲間に目を向けた。

それが、合図。




…パァンッ。



優秀組の戦闘員だからこそ、銃声…いや、音には敏感なわけで。


後ろからそんな音がすれば、反射的に振り向いてしまうのも無理はない。
――でも、その一瞬の隙だけで十分。



私は素早く耳栓をし、腕で目を覆った。

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