マイナスの矛盾定義
「ふーん…どういうご関係かは知りませんけど、本当に遠慮しないなら、もっと酷い目に遭わせられましたのに」


「余計なことをするとこっちがやられる可能性があるわ」



逃げるが勝ち。キャシーはつまらなそうな顔をしているけれど、急いでバズ先生の車に乗り込む。


クーラーのきいた車内。息の荒い私たちを見て「何かあったの?」とも聞かず、素早く車を出すバズ先生は、なかなか聡い人だ。



アランに私が生きていることを知られてしまった。


でも、後悔はない。危険だということくらい分かっていてクリミナルズの滞在地から外へ出たのだ。


ブラッドさんといいアランといい…リバディーには外見の変化に惑わされない人達がいるから厄介ね。


優秀組として活動していればそういう風になるのか、そういう人しか優秀組になれないのか。いずれにしろ、ばれてしまったんだから仕方ない。


こっちだって脅えているだけの子羊じゃないんだ。



「どうせなら足くらい撃っておけばこんなに急ぐ必要もありませんでしたわ」


「そういう手は本当に危なくなった時に取っておくべきよ」


「残念…ああいうプライド高そうな男に屈辱を与えるのはさぞ楽しかったでしょうに」



そう言って右手で銃を撃つポーズをするキャシー。スピードで負けたのが余程悔しかったのだろう。


だんだん息が整ってきた。汗が熱を奪い、すーっとした感じがする。


私は目を閉じ、クラッシック音楽に耳を傾けた。


少しだけ眠ろう。


バズ先生にアランに対する怒りの言葉をくどくど並べているキャシーの隣で、私は意識を手放した。
「え?シャロン君に言ってないの?」



私の言葉を聞いて、今日もこの施設に遊びに来ているジャックは驚いた顔をする。


今日は私がハイヒールを履いているから、視線の位置が少し違った。



「当たり前よ。そんなこと言ったら、シャロンは危険だって言って私を暫く外に出してくれないでしょうし」



――リバディーの優秀組の1人に偶然会ったことを、シャロンには言っていない。


キャシーがシャロンに報告するとなると隅々まで言われてしまうだろうから、報告は私がした。


まぁ報告と言っても「適当に済ませてきたわ」の一言で終わったけれど。


スパイ活動後ならともかく、ただの買い物じゃ大して報告することもない。




「じゃあ何で俺に?」


「貴方、闇取引してる人達とかに詳しそうじゃない?狐顔の男について知ってないかと思って」


「俺は一体どんな印象を持たれてるのかな?…まぁ、そういうことを言いそうな男は知ってるけどね」


「ほら、やっぱり」
「確かどっかの国の元軍人だったはずだ」



軍人…確かに近くで見ればガッシリしている方だったような。



「私、あの男ともう一度話がしてみたいのよね」


「へぇ、どうして?」


「まるで私の事情を知ってるみたいな口ぶりだったのよ。研究に何か関わってるのかもしれない」


「研究に?それは有り得なくないか?この国の人間でも、日本人でもないだろ?関係のない国の人間を国家機密レベルの研究に関わらせるとは思えない」


「そうとも限らないでしょ。ただでさえ情報が少ないんだから、可能性が少しでもあるなら調べなきゃ」



期待を込めてじっと見つめると、ジャックは難しい顔をした後、やれやれと諦めたように言った。



「…分かったよ。何とか連絡を取ってみる」



ジャックには何だかんだで色々お世話になっている。

利用するだけさせてもらおう。


時間がそう十分あるわけじゃない。



ついでに他にも何かお願いしておこうかしら…と考えているとそれを察知したのか、


「By the way, そのバッジ何?」


ジャックが私の紺色のフレアワンピースの襟に付いているバッジを見て話題を変える。
「今日は年に一度の夏祭りがあるのよ。この組織内でね。私はその見回り役の1人ってわけ」



ついでに笛も首からぶら下げている。


犯罪者集団である私たちの祭りではトラブルが起きないはずもなく、前もって毎年数十人の見回り役が用意されるのだ。



「トラブルになった人を宥めたり、危険物を取り締まるの」


「ふーん、君がそんなことをするとはね。シャロン君からの指名?」


「いいえ?私がしたいって言っただけ」


「意外だな。もしかして祭り好きなの?」


「時給制よ」


「……」



ジャックは納得だとでも言うように苦笑した。
誰も通らない廊下で話す私たち2人。


勿論いつもなら誰か通るのだけれど、今はみんなお祭り会場へ行っているのだろう。



「クリミナルズの祭り、ね。ちょっと興味あるな。何時から始まるの?」


「もう始まってるわよ。たまたまだけど、この施設には屋内競技場みたいな場所があるから、ここに来てからはそれを使ってるの」


「あぁ、だから人通りが少ないのか。みんなそこにいるんだね」


「もうすぐ私の見回りの時間が始まるわ。…貴方も一緒に来る?バッジ、一個余分にあるわよ」


「いや、俺は…」



断ろうとしたジャックに対して、即座に突き刺すような視線を向ける。



「“女性”が頼んでるのに断るの?」



ジャックの性分までをも利用する私。


これは研究には関係ないけれど、祭りでは色々な物が売られている。ジャックに奢ってもらえれば出費が減るはずだ。



「……君は少し俺の妻に似てるね」



予想外の言葉を口にしたジャックは、また困ったような苦笑を漏らしつつ私の隣に付いてきた。
―――
―――――




屋内競技場のような場所には、壁に沿って沢山の屋台が並んでいる。


人が大勢いるにも関わらず涼しいのは、設備が整っているからだ。


舞台では仲間がピアノ演奏を行っている。



――そんな中、さっそく刃物を指でくるくる回している男を見つけた。



「ちょっと」



男に近付き、その目の前に仁王立ちする。



「その刃物、しまうか預けるかしてくれないかしら。振り回すと危ないわ」


「あぁん!?チッ…見回りかよ。別にいいだろ、暇だから遊んでるだけだよ」


「その刃物で周りに怪我をさせたらどうするの?」


「大丈夫だよ。いちいちうるせぇな、祭りくらい好きにさせろ」


「何がどう大丈夫なのか、具体的な理由も付けて短く説明してくれるとこちらとしても納得できるのだけど」
「何だよ、女のくせに!いい加減にしとけよ!」



男は持っていた刃物を掴み直し、それを私の顔を目掛けて振りかざす。


視界の片隅でジャックが私を引き戻そうとするのが見えたが、私は逆に男に近付き、男の足にハイヒールの踵部分を軽く当てた。



「――いい加減にするのは貴方の方じゃないかしら」



動きを止め、足下に目をやる男。



「これほど狭い面積で圧力を加えられたらどうなるか…分かるわよね?」



男の顔が強張り、何か言いたげに自分の足下と私の顔に視線を往復させ、結局は振りかざした手をそっと下ろした。


あら、案外素直じゃない。



私は男の足から自分の足を退け、


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