マイナスの矛盾定義
「それを振り回してると貴方も危ないわ。今後はしないようにね」


そう注意して歩き出す。最後に視界に入った男は間抜け面だった。
こういう小さなことでも無くしていかないと、見回り役のいる意味がない。


何かあってからが仕事なのではなく、何かが起こる原因を潰すのがこの仕事だと私は捉えている。



ジャックは頭を抑えながらも横目で私を見た。



「ったく…君にはハラハラさせられるね。この組織の女王にでもなる気かい?」


「あら、それは良い響きね」


「…それにしても、あれは危険すぎる」


「あいつだってただの脅しのつもりだったはずよ」


「そうじゃなかったらどうするんだよ。怪我してたかもしれないじゃないか」


「大丈夫よ。痛みには慣れてるもの」



私の責めるような口調に、ジャックは黙り込む。


あんな研究に関わっている人間が、私に危険だなんて注意できる立場なの?と言外に含んだ。





暫く沈黙が続いた後、そろそろ許してやるか…と話題を変える。


「それにしてもあの男、“女のくせに”って言ってたわね。貴方とは正反対」


「俺はただ女性に優しくしたいだけさ」
「そうね。貴方のような人から優遇される事も多いし、寧ろ男性の方がって部分もあるけど、まだ女性を下に見ている人もいる。でも、それってできあがった常識の所為よね」


「どういう意味?」


「私にだって、女性は男性に比べて弱いものってイメージがある」


「確かに、男女を同じだとして生きるのは難しいだろうね」


「お互いを違うものだと認める方が簡単な気もするわ。ただ、それでどちらかが損をするならそれはあってはいけないことよ。女性だからと酷い事をするのは違うし、女性だからと気を遣って男性側が損をするのも多分違う」


「…それだと、君が俺に奢って貰おうとしているのも違うってことになるんじゃないか?」


「あら、私が言っているのは心が損をするって意味よ。無理矢理させられるわけじゃなく男性側が女性に優しくすることを選んだならいいじゃない」



貴方は私に奢ることを選ぶわよね?という意味を含めてにっこり笑ってみせれば、ジャックはやれやれという顔で私を見返した。





と、その時。



「やっほーアリス!巡回中?」


見知った仲間が屋台の奥から手を振ってくる。
どうやら今は店番をしているみたいだ。
手作りらしき可愛らしいエプロンを身に纏い、張り切っている様子。



「そうよ。ここは……チュロスを売ってるのね」



私はその屋台に近付き、並べられているチュロスを見て品定めする。



「食べる~?」


「そうね、2つ頂くわ。…ジャック、財布を出してくれるかしら」


「アリスってば、人を財布扱いしてるの?」



きゃははっと冗談っぽく笑いながらチュロスを2本紙の袋に入れ、金額を言う彼女。


ジャックはその額をきっちり渡し、袋を受け取る――と同時にさり気なく彼女の手を取り、じっと見つめる。


彼女はいきなりのことに驚き目をパチパチさせる。


ジャックはその反応を見てクスリと笑い、チュッとその白い手の甲に軽くキスを落とした。



「Merci Mademoiselle. 店番頑張って」



おまけにウィンクをかまし、彼女の手を離す。


女性に優しくしたいだけ…なんて言ってたけど、こういうところを見ると下心があるようにしか思えないわね。




戸惑いながらもこそっと私に聞いてくる仲間。



「い、今の何?フランス語?メルシーって…ありがとうって意味だよね?」


「何にせよナンパよ」
「ど、どうしよう!あれはやばいね。あんな男を財布にするとか、アリスもなかなかやるね!」



褒められている気がしない。


自分の手の甲を見てひゃ~と頬を赤らめていた彼女は、次のお客さんが来たことに気付き、すぐ店番に戻った。


私はジャックの傍に行き、袋を貰う。



黙ってもぐもぐ食べ始める私を見て、ジャックはふっと吹き出すように笑った。



「君って、美味しそうに食べるよね」


「食い意地張ってるって言いたいの?」


「うん。危なっかしいしこっちを驚かせるようなことばっかするし変に知りたがりだし…」


「…そんなに私に不満があるわけ?」


「でも、金さえ貰えば仕事もちゃんとするし、変なところで真面目だよね」


「そうかしら?常に楽して金を手に入れたいって思ってる人間だけど」


「褒めさせてくれよ」


「褒めてもチュロスはあげないわよ。2つとも私のだもの」


「…捻くれ者」
失礼な、自分の欲望に忠実なだけだ。


私はチュロスを頬張って、ふんと鼻で笑ってやった。



食べ歩きしながら周りに目をやり、変わったことがないことを確認する。


向こうの方も危ない奴がいないか見てこないとね…毎年そこまで大きな事故はないとはいえ、気を抜くことはできない。



そんなことを考えていると、ザザッ…とノイズ音が私の右耳のピアスから聞こえてきた。


こんな時に何かしら?


今日、つまり祭りの日のシャロンは忙しい。
私は見回りをしながら祭りを楽しむことができるけれど、それもできない。


リーダーである彼が祭りに来るのは毎年終わる前の数十分間だけ。


そんな彼から珍しく連絡…ってことは、何かを手伝えっていう命令?


チュロスを食べながら最初の言葉を待つ。


しかし、向こう側からは何も聞こえてこない。



「シャロン?」


そこに誰かがいる気配はするのに、いつものだらしない声がしない。


このピアス、故障してるんじゃないの?と指でコツコツ叩いた――その時。






『無理矢理接続しているので、あと一分も持ちませんね』



一瞬呼吸が止まった。
酷く落ち着いた声音。まるでこの事態が当たり前だとでも言うように。



「……ブラッドさん…?」



私が足を止めると、ジャックの足も止まる。


そんなはずはない。でも向こう側から聞こえてくる声は、絶対にシャロンの物じゃない。



『あぁ、覚えていてくれたんですね。俺の声』


「………」



さすが、と言っていいのかしら。まさかこのピアスから連絡を取ってくるとは。


とは言え捨てるわけにもいかないし、後で事情を話してシャロンのピアス以外からは接続しにくくなるようにしてもらおう。…いや、元々そうなっているはずだ。


それでも無理矢理繋げてきたんだから、恐ろしいとしか言いようがない。


技術的な意味でも執念的な意味でも。



「残念だったわね、私がスパイで。心配しなくても、今後貴方の組織に関わるつもりはないわよ。無能な司令官さん」



もう生きていることを隠す必要はない。


淡々とそう言ってやった。少し嘲笑うように。
私は貴方が思っていたような女じゃない。


貴方が必死にアピールしていた女はただのスパイだ。



『いずれ関わることになりますよ。君のした行為は俺達の組織にとって重罪ですからね。いくら君でも、地の果てまで追い掛けて拘束しなければならない』



ブラッドさんは、随分とあっさり言い放つ。



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