マイナスの矛盾定義
……私たちは敵同士。私にとっては最初からそうだった。



『でも、俺は君を追いませんよ』



ブラッドさんが付け足すように言った不可解な言葉に眉が寄る。



「私の味方をしてくれるの?」


『――獲物に獲物だと伝えたら、その獲物は逃げてしまうでしょう?』



……ちょっとでも期待した私が馬鹿だった。


思いっきり肉食獣の考え方じゃない。
大きな溜め息が出る。


ブラッドさんに対してじゃなく、本当に厄介な組織で失敗をしてしまった自分に対する溜め息。



「…そう。じゃあ私たちは改めて敵同士ってわけね」


『そういうことになりますね、残念ながら』


「私にわざわざ連絡してきたのはどうして?今いる場所なら教えないわよ」


『教えてくれるのなら今すぐにでも行きますけどね。それとは別に、少し聞きたいことがあって。君はキャシーと呼ばれていたと聞いたんですが――君の本当の名前は、一体“どれ”ですか?』


「――…」



ブラッドさんの言い回しに疑問が浮かぶ。


“どれ”?“どっち”じゃなくて?



「ちょっとごめんね」



と。私の思考を遮って、ジャックは私の腰を引き寄せ耳元に口を近付ける。




「やぁ、ブラッド。狡いじゃないか。俺からの連絡は無視するのに」


『……兄さん?どうしてそこに?』
「そっちこそ、どうして俺を避けようとする?」


『俺が質問しているんです。何故兄さんがアリスと一緒にいるんですか?』


「その前に答えてほしいね。俺を避けているのは、エマとの縁を切りたいからか?」


『……』



“エマ”という名前が出た途端、黙り込むブラッドさん。


一体何のことかは分からないけれど、とりあえず話が逸れていることに少しほっとしている自分がいる。



「安心しろよ。彼女は数年前に死んだ」


『……』


「聞いてるのか?」


『……アリスと一緒にいるということは、アランどころか兄さんも見ているんですね』


「え?」


『アリスの黒髪姿を』



真剣な声音で発せられたそれ。私の中に呆れにも似た感情が芽生える。


それはジャックも同じようで、「話にならないな…」と溜め息混じりに私を離した。





その時、ザザザッ…とノイズ音が走る。



『ア………ス…』



ブラッドさんの声が遠くなっていく。


通信が途切れた。
最初に言っていた通り、1分も持っていない。


たったそれだけの短い間。


結局私は質問にも答えていない。


労力の無駄だったわね、司令官さん。




「ブラッドは俺の言うことを全く聞かないね。君のことばかりで」



私はピアスから完全に音がしなくなったのを確認してから、そんなことを言うジャックに聞く。



「ずっと気になってたんだけど…貴方はブラッドさんに何がしたいの?」



さっきの会話から察するに、ジャックはブラッドさんに何度か連絡をしているみたいだ。


それでも無視されるから…ジャズバンドの団体を利用してまでブラッドさんを要求したのかもしれない。




「妻の墓場に来てほしいんだ。彼女は死ぬ前もずっと、ブラッドに会いたがっていたから」


「…もしかして、“エマ”って…」


「俺の妻であり、俺達を飼っていた女の子だよ」




予想より随分あっさり答えてくれたジャック。その表情は柔らかかった。


エマさんの話をする時はそんな顔するのね、と少しの関心を抱く。
どんどん彼らの過去に近付いていっている気がする。


もっと知りたいと思うのは、やっぱり私が知りたがり屋だからだろうか。




そんなことを思いながら、チュロスを1つ食べ終わった時。



「おねーさん見回りさん?」


可愛らしい声が下から聞こえてきた。


見下げると、猫の絵が描かれたピンク色のトレーナーワンピースを着ている女の子が立っている。見たところ10歳くらい。



「ええ、そうよ。どうかしたの?」



目線が同じ位置になるようにしゃがんだ。


私の問いに対して、女の子は明るい笑顔を向けてくる。



「あのね…パパとママとはぐれちゃったのー!」



迷子…それにしては元気だ。


何でこのくらいの年齢の子ってこんなに澄んだ瞳をしてるのかしら。


こんなあどけなさが自分にはもう無いことを思うと少し虚しい。
家族の定義にも寄るけれど、この組織にいる家族は少ないし…この子のご両親がこの辺にいるならすぐ探せるかもしれない。



「パパとママはどんな感じの人?服は何色か分かる?」


「ううん、いいの。いい機会なの。探してほしいわけじゃなくて…おねーさん達に一緒に遊んでほしいなって!」


「え?」


「パパもママも、折角お祭りなのにすぐ部屋に戻ろうとするんだもん。だから、あたしだけでももっと遊びたい!あたしのパパとママの代わりになって?」



“おねーさん達”と言って私とジャックを交互に見る女の子。


パパとママの代わりに…ジャックと私が?


一緒に祭りを楽しむのはいいけれど、ご両親に連絡も無しに連れ回して大丈夫かしら?




私が返事をするより先に、「良いよ。何がしたい?」と聞くジャックが隣にしゃがんでいた。ふわりとお菓子のような甘い香りが漂う。



「ちょっと…」


「いいじゃないか。この組織じゃ全員が家族みたいなもんだろ?」
「知った風な口利かないでくれる?」


「まぁまぁ、ご両親に会ったらその時伝えればいいさ。どうせ迷子なんだ、探すついでに遊ぼう」



返す言葉が見つからず、女の子の方を見る。


期待に満ちた目で私をじっと見ていた。私はその目から目を逸らし、溜め息を1つ。


……仕方ない。この子が言うように、折角の祭りだ。


ご両親が怒ったら私たちも一緒に怒られよう。



「分かったわ、遊びましょう。ただし、パパとママを見かけたら言うのよ?」



私は袋からもう1つのチュロスを出して、それを女の子に差し出す。




「わぁっ…チュロス?ありがとう、おねーさん!」


「俺にはくれなかったのに、狡いなぁ」



ジャックが唇を尖らせたが、可愛くなかったので無視しておいた。
―――
―――――



射的、スティックワッフル、ベビーカステラ…様々な店を回った。


たまに座って話をして、祭りももう終盤に差し掛かっている。


あっという間に時間が過ぎ、気付けば会場には外からの光で点ける必要の無かった灯りが点いていた。


女の子は自分の小さな財布からお金を出し、その可愛さで店番におまけしてもらったりもした。



「おねーさんおねーさん!あのお面取って~」



女の子が指す何かのキャラクターのお面を取ると、女の子はキャッキャとはしゃいで店番にお金を渡す。


こういうお面って、使いどころが分からないのよね。


ごっこ遊びでもする時に役立つのかしら?



そう思って眺めていると、肩をトントンと叩かれた。


振り返ると――鬼。
いや、鬼のお面を被ったジャック。



「これ、誰かを驚かすのに使えそうじゃないか?」


「…貴方、案外楽しんでない?」


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