マイナスの矛盾定義
見ると、女の子の左手にある青い入れ物の中には2匹の金魚。


店番のおじさんが「ありがとね。大事にしてやって」とその2匹を透明の袋に入れて女の子に渡す。



「あたし、金魚すくいの才能ないのかなー…」


「2匹で十分よ。沢山いても大変でしょう?」


「隣でやってたお姉さん、凄くうまかったんだよ」


「上手くなければ上手くなればいいだけの話よ。パパやママにコツでも聞いてみたら?金魚すくい得意かもしれないわよ」


「……」



女の子が黙り込む。それからすぐ、立ち止まった。


私も立ち止まり、その後でジャックも立ち止まる。



「……ごめんなさい。嘘、嘘なの」



女の子はか細い声で言葉を零す。
「嘘なの。パパとママはこの組織にいないの。……あたし、売られた子なの。一度でいいから家族みたいなことがしてみたかった」



俯いてそう言い、顔を上げて気まずそうに笑う。



「今日はありがとう。楽しかった。それに、新しい家族ができたから…」



女の子の手首にぶら下がっているのは、2匹の金魚。


ピンク色のワンピースの裾をゆらめかせ、女の子はキャシー達の元へ走っていく。



私は思わずその後ろ姿に向かって言った。



「貴女の世界は貴女のご両親の世界の中にだけあるわけじゃないわ」



女の子は少しだけ立ち止まり、そしてまた走っていく。



舞台では最後の団体の演奏が始まった。


1つでも多くの屋台を回ろうと歩き回る人々。


歩き疲れて休んでいる人々。


演奏を観に舞台の近くへ行く人々。



「この組織は曰く付きの子が多いね」



ジャックが言った。
「寧ろ曰く付きじゃない人なんてこの組織にいないんじゃないかしら」



そういう組織、そういう人々の逃げ場だ。


この組織は傷を負った人間に居場所を与える。


傷を消すわけじゃない。そんなことは不可能だ。


ただその傷を埋めようとする。間違ったやり方をしてでも。


目に見えない傷はどれだけ深くても他人には分からない。


でも、そういう人間だけがいる場所なら理解を得られる。


きっとそれが…シャロンの望む、この組織の在り方なんだろう。






「短い時間になるだろうけど、私たちは浴衣をレンタルしに行きましょうか」



女の子がキャシー達と一緒に歩いていくのを確認してから、私はジャックにそう言った。



「へぇ、君もちょっとは俺に優しくする気になった?」


「レンタル料を払うのは貴方よ」



当たり前だけれど一応言っておく。当たり前だけれど。



「それくらい分かってるよ」



私からのこういった扱いにはもう慣れてしまったのか、お得意の爽やかスマイルを見せてきた。


こいつ、なかなかやるわね。
と。



「どぉこ行くのぉ?」



だらしない声に振り返れば、そこには紺色の浴衣を身に纏ったシャロン。


すぐそこの店で買ったであろうわたあめを持っている。



「あら、いつ来たの?」


「さっきだよぉ。浴衣レンタルしてぇ、わたあめ買ってぇ、アリスを探してたぁ。これ、似合う?」


「まぁ…似合ってるんじゃないかしら」


「だろうねぇ」


「……」



冷めた眼で見てやると、シャロンはクスクス笑いながら自分のわたあめを私の口元に持ってくる。


大人しく端の方だけ食べた。うん、甘い。




「これからこの子に浴衣を着せに行くんだよ。シャロン君も来るかい?」


「当たり前だしぃ」



シャロンにも見られるのはちょっと抵抗がある。


……でも一度そういうつもりになったシャロンがやめるとも思えない。長年一緒にいるとすぐ諦めがつくようになってくる。
私は唇に残った甘さを舐めて残った反抗心も消した。


私の浴衣姿を見る気満々の2人の間を歩いて、浴衣レンタルをしている所へ向かう。



「アリスは暖色系が似合いそうだよね」


「はぁ?」


「ん?」


「何言ってんのぉ?アリスは寒色系でしょ」


「そうかな?赤とかピンク、薄い黄色とかも似合いそうだけど」


「アリスには紫が一番だよぉ」


「そういう色よりもっと明るさを出した方が良くないか?」


「分かってないなぁ。アリスは落ち着いた色が似合ってるのぉ」


「この若さで妙に大人っぽい色を選ぶより、可愛らしさを出すべきだと思うけどな」



2人の会話を聞いている限り、私の意見を取り入れるつもりは全くないように思われる。


私はこの人達の着せ替え人形か何かなわけ?
ふとブラッドさんとラスティ君に服を選んでもらった時のことを思い出した。


あの時もラスティ君は私がスパイだと気付いていたと思うと、自分が情けない。




入り口の近くに行くと、何人かの店番の人がいて、他のお客さんで手一杯の様子だった。


そろそろ終わるから、浴衣を返しに来る人が多いのだ。


この調子だと着られないかもしれないわね…まぁ、こっちが遅かったんだし、そうなっても文句は言えないけれど。



『ヨッ!ボス、さっき借りたばっかなのにもう返しにきたのカ?別に明日でもいいんだゾ?安く延長するしナ』



どこかから聞こえてくる機械音に声の主を探すと、存外近くにいた。浴衣掛けにぶらさがっている。


ヤモは今年も浴衣レンタルの店番なのね。


まぁ、女の子に似合う浴衣を選んであげるのは得意そうだ。



「違うよぉ。俺のを返しに来たわけじゃなくて、アリスのを借りにきたの。ねぇヤモ、アリスは絶対寒色系が似合うよねぇ?」


「ヤモ君、正直に言っていいんだよ?明るい色の方が似合うと思うよね?」



ヤモに意見を求める2人。


今思ったけれど、ジャックはヤモリが喋っていることについて何も言わない。


驚くという感情が欠如しているのか、――あの研究に関わる人物にとっては、この程度のことくらい見慣れているのか。
『ほうほう…なるほど、意見が食い違ってるってことだナ!分かったゾ、両方の意見を取り入れる!』



ヤモは器用に浴衣掛けから浴衣掛けへと飛び移り、ある浴衣の所で止まった。


それは、パステルブルーの浴衣。シンプルな縞模様が入っていて、上品な雰囲気がある。



「なるほど、寒色系で明るいね」


「ふぅん…まぁ、いいんじゃなぁい?」



ここまで私の意見は一度も聞かれなかったけれど、これなら別に文句はない。


時間もないので「じゃあ、これにするわ」と浴衣を持ち、ハイヒールを脱いで着替え室に入る。


正面に浴衣の着方がイラスト付きで貼られていた。これ、店番の人の手書きかしら?


紺色のフレアワンピースを脱いでいると、外から金の話が聞こえてきた。



「ヤモ君、何円?」


「何でアリスのレンタル代をお前が払うわけぇ?」


「俺が払うって前提で来たんだよ?」


「うるさい。俺が払うしぃ」



……端から聞くと奇妙な会話だ。
お金を進んで払おうとする気持ちが私には分からないけれど、まぁ彼らにも彼らなりの考えがあるのだろう…と、浴衣を着ながらそう収めた。


この着替え室は鏡がないのでどうなっているか確認できない。


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