マイナスの矛盾定義
つーか、アリスちゃん如きに負かされたまま終われるわけねぇじゃん?



「だから代わりに教えてよ。――“マーメイドプラン”って何なのかをね」




――…僕から逃げるなら、引き摺り戻してやる。
会員制のその部屋に入ると、約束の男は既に堅そうな椅子に座って足を組んでいた。


誰にも邪魔されず交渉できる場所を提供する、というのがこの店の売りだ。


犯罪者達にとっては有名な店らしい。


男は私たちが入ってきたことに気付いて、視線だけをこちらに向ける。



「早いな」



一見ひょろっとした狐顔の男は、そう言ってにやりと笑った。



「そっちの方が早いじゃない」



私とジャックはテーブルを挟んで男の向かい側に座る。


外からの音は完全に遮断されているようで、廊下に流れていた静かな音楽は全く聞こえてこない。


無論、こちらの会話も外には聞こえない仕組みになっているのだろう。



――あの祭りから数週間。


ジャックは私の頼みを聞き入れ、この男と連絡を取ってくれた。


この男が何を知っているのか、あるいは知らないのか。

まだ分からない。
隣のジャックは何も言わず、狐顔の男に目を向けている。


私は脳内で作り上げた会話の予定を実行するべく、最初の一言を放とうとした――が。



「本人確認だ、悪く思うな」



それよりも早く、男はニヤリとしてホルスターから拳銃を取り出し、その銃口を私に向けた。


即座に隣のジャックも自身の銃に手を掛けるが、私はそれを制止する。



「…いいわ。情報を得る為よ」


「あのな、」


「今は少しでも情報が欲しいの。私の邪魔をするつもり?」



初めてジャックに睨み返されたけれど、こっちだって譲れない。


この男が何のつもりなのかは分かる。


私を一度殺すつもりだ。そうでないと信用できるわけがない。



私は男の方を見据え、覚悟を決めた。



こうなっても仕方ないとはここに来る前から思っていたのだ。


死ぬことに戸惑いがないわけじゃない。


実験のことを思い出してしまうから、殺されることは今でも怖い。


でも、全ては目的の為。私には時間がない。
私が目を瞑ると同時に、乾いた発砲音が耳に響く。



遅れてやってきたのは――頬への痛み。



男が放った銃弾は、私の頬を掠めただけだった。



「…え…?」


「フン、なかなか勇気があるじゃないか。小心者なら少し遊んでやろうと思ったが、どうやらそうでもないらしいな。あんな研究の犠牲者なのだからこそ、もっと脅えるものだと思っていた」



感心したようにそう言って、男は銃を仕舞う。


ぽかんとしてしまったが、すぐにこの男は私を試しただけだということを理解した。



ジャックが隣で安堵を交えたような溜め息を吐く。



「こちらが敵ではないことを知らせる為に言おう。あんたをあの研究から逃れられるようにしたのは、おれだ」


「…どういうこと?」



私は頬から滴り落ちようとする血を拭い、できるだけ冷静に聞き返した。



「おれたちの軍の元上官は、敗戦後直ぐの日本に行ったことがある。そこで見たんだ。“Mermaid Plan”――あの狂った計画の内容をな」
昔使われていた研究所の1つで見つけたあの紙を思い出した。


研究が始まったのは、多分、日本国軍秘密特殊部隊があった頃。


その頃にあった大きな戦争で日本は負けた。


その後…日本は他国の占領下になったとバズ先生が言っていた。


この男がいた軍隊の人間は、その時日本へ行ったのだろう。



「人魚の肉は不老不死の薬、という話があるらしいな。それでマーメイドなんだろう」


「…そこまで知ってるのね」


「おれがあの研究について知ったのは、まだあんたが実験体として研究所にいた頃。上官が死ぬ間際におれに言ったんだ、――あの研究を止めろと。一時的な中止に追い込んだのは確からしいが、研究の根本を処理することはできなかったらしい。再開されている可能性が高い、とな」



何も言わずに見返すと、男は話を続けた。



「おれはそこまで高い地位にいたわけじゃない。だが上官はおれに委ねたのだから、おれは単独でも構わずに研究の邪魔をした。施設の爆破やデータの書き換え…そして、最重要実験体の逃げ道を作った」



監視が厳重なあの研究所で私の逃げ道をつくるなんて、簡単じゃないに決まってる。


私自身、何度も逃げだそうとして失敗しているのだから。


それをこの男は遣って退けた。
「あの時あんたが逃げられたのは、あんたに逃げる意志があったからだ。あんたに自由を求める気力がまだ残っていたからだ。おれだけの力では無理だった。…よく頑張ったな、感謝する」



頑張った、なんて言われたのは初めてだ。


私はこの男に、そしてシャロンに助けられて今ここにいる。


お礼を言うべきは私なのに。



「あんたはあの研究をどうしたい」


「……」


「本音を言ってみろ。可能か不可能かはどうでもいい。あんたの希望を言ってみろ」



幼い子供に問うように、男が私と目線を合わせる。


その碧眼から目を逸らせない。


気付けば言葉が流れ出ていた。



「……よく、考えてみたの。私が不老不死ではなくなることで、一体何が変わるのか」
どれだけの人間が使われているのか分からない。



「私は多分、今までずっと考えないようにしてきたんだわ。ひたすら私の中の毒を取り除くことばかり考えていた」



ヤモのような生物がどれだけ犠牲になっているか分からない。



「研究に関わる他の動物達のことなんて眼中になかった。私さえあの研究との関わりを断つことができればそれで良かった」



“救う”なんて所詮綺麗事だ。


もう戻ってこないものだって沢山ある。



でも、せめて。



「――私は、あの研究自体を中止に追い込ませたい」



人間が不老不死になったという事実ごと揉み消したい。


今後、二度とこんな研究が起こらないように。

不老不死が生まれない為に。






男は満足したようにベージュ色の上着のポケットから絆創膏の箱を取り出し、それを私に投げ渡した。



「なら今日からおれ達は協力者だ、アリス。おれは…」



少し考えるようにして、またにやりと笑う。



「そうだな、フォックスとでも呼んでくれ」
―――
―――――



フォックスと別れた後、私たちは誰かに尾行されていないか気を付けながら車へ向かった。


私の手元にはフォックスの連絡先が書かれた紙がある。


彼は協力してくれると言った。


私の頬には、彼から貰った絆創膏。


初めて自分の希望を口にした。

あんなこと、シャロンにも言っていない。




……というかそれより。


「どうかしたの?」



さっきフォックスと私との会話に入ってこなかったジャックは、ずっと険しい表情をしている。


ここまで協力しておいて、一体何が気に入らないのか。



じっと見つめると、ジャックは忌々しげに言葉を放つ。


「研究を止めるなんて、本気で言ってるのか?」



< 117 / 191 >

この作品をシェア

pagetop