マイナスの矛盾定義
いつもの声音ではないことにすぐ気付いた。
怒っているのかしら?少なくとも、あまり機嫌が良いとは思えない。



「冗談で言ってると思う?」


「“もし解毒剤なんかなかったら”って考えたりしない?」


「ないなら生み出してもらうだけよ。私の父親なら、つくれるかもしれない」


「そうだね。でも、君の父親だって神じゃない。不老不死になる薬を開発するのと同じくらい、その解毒剤をつくるのも難しいと思うけどね」


「何が言いたいの?」


「君の言っていることは夢物語だってことさ。自分の目的が果たせるかも分からない状況で他人のことを考えるなんて、馬鹿のやることだ。…君はもう少し賢い子だと思ってたんだけどな」



いつも甘い言葉ばかり吐くジャックの、辛辣な言葉。


私が無謀なことをしようとしていることに怒っているのだ。



「…そんな馬鹿を心配する貴方も、馬鹿よ」




そう言えば、ジャックは少しだけ悲しそうな顔をして――




次の瞬間、私を掻き抱いていた。








「何でそんなに頑張るんだよ…」



掠れるような声が鼓膜を震わせる。


間近で感じる、お菓子のような甘い香り。
驚きよりも何よりも、ブラッドさんとの違いを感じるのは何故だろう。


兄弟なのに抱き締められた時の感覚はこんなにも違うのだ。


ジャックのこの抱き締め方は、何かに迷っているようで。



「そうだね、俺はどうしようもない馬鹿だ。君ほど真っ直ぐになれないし、欲張りにもなれない。だから教えてくれ。俺はどうすればいい?君と居ると、自分の目的を見失いそうになる。――…俺は、」



抱き締めてくるジャックの腕の力が少し強くなった。



「俺の目的は――あの研究を推進させて、死んだ人間を生き返らせることなのに」



なるほど、とどこか冷静な自分が納得する。


何故ジャックがあんな研究に関わっているのか。

その答えが今分かった。





――でも、




「……あっそう」



興味ない。



「だから何?自分で答えを出せないほど悩んでいて、結論を私に問うて、“私がこう言ったから”を理由にこれからは全部私のせいにして行動するの?」
ジャックは腕の力を緩め、私の顔を覗き込んだ。


その表情は思っていたよりも真剣で。



「そんな簡単なことじゃない。俺はずっと目的のためだけに生きてきた。妻が死んでから、ずっとだ。危ないことだって沢山したし、そのせいで捕まりもした。死人を生き返らせるっていう目的は、生きる意味でもあった。…それを否定するのが怖いんだよ、俺は。今までの全てを0にしたくない。でも、過去と前向きに立ち向かおうとする君を見てると、自分がアホらしくなってくる。正直、目を逸らしたくなるほどにね」



目の前にいるのは、誰もが望むようなありきたりな願いを本気で叶えようとしている、1人の男。


あの研究だって、きっと最初はそんなありきたりな欲求から生まれたのだ。


それがどんなに他人を、そして自分を犠牲にするものであっても構わないと言わんばかりに。



私はジャックを見上げて…ゆっくり微笑んだ。



「じゃあハッキリ言ってあげる、諦めて?貴方の目的は私の目的の邪魔になる」



予想とは違う返答であったのか、ジャックはぽかんとして私を見つめる。



ここまでバッサリ切り捨てるとは思ってなかったのかしら?


何を期待していたのかは知らないけれど、私だって余裕があるわけじゃない。
「貴方の目的が何であれ、私はあの研究を中止に追い込ませるわ。貴方の目的ごと潰すことになる」



ジャックの頬に両手を添え、その瞳をじっと見つめた。



「0っていうのは存在しない物を数字で表しているだけ。どう足掻こうが、貴方は0みたいな都合の良い数字にはなれないわ。マイナスかプラスにしかなれない。貴方次第なんだから、どうせ転ぶなら自分にとってプラスの方向へ行きなさいよ。――私と一緒に」



頼んでいるわけでも提案しているわけでもなく、心からの命令。


今私がやっていることは、嫌がる子供を強引に私の元へ引っ張っているようなものだ。


でもやっぱり欲しい。無くすのが惜しい。


まだ信用しているわけじゃないけれど、ここ最近ジャックと会うことが多くなって、少しも楽しくなかったと言えば嘘になる。



「貴方の生きる意味を私に頂戴」



さっきあんな本音を吐露した分まだ心の蓋が閉まっていなくて、自分に正直になっているのかもしれない。


自分勝手でも、構わない。
ジャックは不意を突かれたかのような表情をした後、


「…敵わないなぁ」


諦めたように苦笑した。



「そうだね――俺は諦めよう。君と一緒に研究を中止させる側に回るよ」



いつもより涼しげな風が吹き、ジャックの無造作なブラックブルーの髪を揺らす。



「俺は妻を愛してる。その気持ちは彼女が死んだ今でも、これからもずっと消えない。…だけど少しだけ、今は君の挑戦を見届けてみたくなった」



ジャックはそう言うとにっこりと爽やかに笑って―――車のトランクを開け、中から大量の紙を取り出し私に渡してきた。


その紙1枚1枚にびっしりと、様々な単語が印刷されている。



「これから約束してた研究所に行こう。君の言う慰謝料もまだチャラにしてもらってないしね。着くまで時間が掛かるから、その間にそれを頭に叩き込んで。研究に関する質問を色んな言語に訳したものだよ」


「……え…」


「大丈夫、退屈はさせないから」


「……」


「できるよね?」



手に感じる紙の重みに自分の表情が強張ってしまうのが分かる。


ジャックを見上げると、何故か楽しそうに笑っていて。



「俺をこんなに振り回すんだから、君には必ず目的を果たしてもらわないとね」



容赦しないよ、と言外に含まれている気がした。
《《<--->》》
-rob-
「アリス、起きて」



柔らかい声音に目を覚ますと、外に立つジャックが車の窓から私を見下ろしていた。


酔わないように後部座席に寝転がって休憩していたらそのまま眠ってしまっていたらしい。



「俺から貰った物を抱っこして寝る子って可愛いよね」



ジャックから降ってきた言葉を疑問に思ったけれど、すぐに自分がジャックから貰った大量の紙を抱いたままであることに気付いた。まだ全部は覚えきれていない。


ぬいぐるみとかならまだ可愛かったかもしれないけど、こんな文字だらけの紙で可愛いって…。



車が止まってるってことはもう着いたのかしら?と思って起き上がると、バックミラーには不自然に何カ所も結ばれている私の髪が映った。しかも輪ゴム…。



「…何よこれ」


「ふふ、上手いでしょ?」


「……」



ジャックはにっこぉ、と笑っている。それはそれは楽しそうな悪戯っ子みたいな笑顔。
私は輪ゴムを乱暴に外し、ジャックを睨み付けた。


女の子には優しくするんじゃなかったのか、と文句の1つでも言ってやりたいところだけど…もう十分優しくされてるのは分かってるから、黙ってまず外の様子を確認する。


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