マイナスの矛盾定義
「…それこそシャロン君が納得しなさそうだよね」
いや、シャロンだって分かってる。
私は元々普通に生きていた一般人で、犯罪に加担したことすら無かった。
今は犯罪組織に所属しているんだから犯罪に関わるのは当たり前だけれど、それはそういう組織でしか私は生きていけないからだ。
普通の人間に戻ることができたら、別の場所で穏やかに暮らしたいと思ってる。
……それにしても、私のことばかり聞かれるのは好きじゃない。
こっちが聞かれた分ジャックのことも聞いてやろう。
「私のことより、貴方のこと教えなさいよ。奥さんとはどんな感じだったの?」
「…え」
ジャックはちょっとだけ頬を紅潮させる。珍しい反応だ。
いきなり奥さんのこと聞かれたからびっくりしたのかしら?
「…言わなきゃダメ?」
「まぁ、気になりはするわね」
ブラッドさんを飼っていた女性でもあるみたいだし…。
ジャックが困ったような表情をして私から視線を逸らすけれど、私は逃がすまいと覗き込んだ。
「…楽しそうだね」
「困ってる貴方って面白いもの。…いや、照れてるのかしら」
そう言えば少し眉を寄せるジャックが可愛くて、思わずクスクス笑いが漏れてしまう。
ジャックは奥さんの話となると、何だか人間味が増す気がした。
「…そうだね。その話も、君には少ししておこうか」
そして、ジャックは諦めたように話し始める。
自らの過去を。
《《<--->》》
温もりの失われていく感覚が
《《<--->》》
手の中にこびり付いて離れない
俺達を買ったのは、大きな屋敷の主人だった。
大したことは要求されなかった。
もっと酷い扱いを受けるものだと思っていたが、寧ろ数年間働いたあの場所の方が過酷だったと感じる程だった。
俺達は比較的楽な場所に行き着いたらしい。
その屋敷では奴隷にタトゥーを与えるのは当たり前だった。
それを分かる場所に付けることで、“使用人”と“奴隷”の区別をつけていた。
生温い扱いを受けていたとはいえ、俺達がどれだけ酷いことをしても構わない存在であることは確かだった。
主人が機嫌の悪い日は、必ず俺かブラッドのどちらかが傷付けられた。両方の時もあった。
罵倒され、暴力を振るわれ、到底無理な仕事を任せられたりもした。
――そして、週に一度の日曜日。
それは、俺達のどちらかが主人の“趣味”に付き合わされる日だった。
「……っ、…う…」
抑えているというのに俺の口からは小さな呻き声が出る。
その様子を如何にも上質そうな椅子に座って、赤みがかったワインを飲みながら眺めてくる主人。
うつ伏せの状態で組み伏せられている俺の周りには、10人程の女。
大抵のことは慣れているはずなのに、これだけはどうしても慣れない。
心臓の辺りにどす黒くもわりとした塊が渦巻くような気分だ。
鎖に繋がれた首輪が俺の首を締め付ける。
もっと緩くできないのか、と俺の後頭部を押さえる手から逃れようと動く。
しかし、その途端もう1人の女に背中を叩かれた。
縛られている手首が手枷に擦れて痛い。
見上げれば、俺の姿を舐め回すように見つめてくる主人と目が合った。
自分では何もせずただ眺めているだけのその男は、くくっ…と低く笑って。
「どうした?さっきから全く反応していないじゃないか」
――…こんな状況で勃つわけないだろ。
そんなことを口に出せばどうなるか分からない。
きっとこいつは喜ぶだろう。そういうことが好きな男だ。
若い男の嫌がることをするのが好きなわけではなく、嫌がることをされている若い男が好きなのだ。
取り分け、こういう痛みを楽しめない男に限って。
「あぁ…やはり君のような子じゃないとね。僕は君の屈辱に塗れた表情が大好きなんだ。君のような、僕に対する反抗心を秘めている人間を無理矢理穢させるのが最高に気持ち良いんだよ。…その点、ブラッド君は面白くないな…何をされても平気な顔をして」
主人は高揚しながら一息に言った。
面白くない、ね。俺もブラッドのように振る舞えば飽きられるんだろうか?
…いや、俺には無理だ。あいつと俺じゃ違いすぎる。
「彼は随分と無頓着でね。君も知っているだろう」
ブラッドがこういったことをされないわけではなかった。
でも――…俺かブラッドのどちらかならば、主人のお気に入りは間違いなく俺だった。
その屋敷の娘が、エマという少女だった。
当時ブラッドは14歳、俺とエマは17歳。
何の接点もなかったが、同年代ということもあって興味を抱いたのか――エマの方から俺たちに近付いてくるようになった。
男勝りな性格でもあり、しょっちゅう夜に出掛けて喧嘩をしては掠り傷を付けて帰ってくるエマ。
――でも、不意に見せる可愛らしさは、とても女の子らしかった。
彼女には人を惹き付ける不思議な魅力があった。
もっとも、それは俺だけが感じるものだったのかもしれない。
「ブラッド?」
いつものように屋敷の掃除をしていると、透き通るような若々しい声が俺を呼び止めた。
振り返ると、アッシュブラウンのふわふわしたミディアムヘアが目に入る。
本人も気にしている、意識的ではない鋭い目付きがこちらを見上げていた。
「俺はブラッドじゃないよ、エマ」
前にいるブラッドを指差すと、エマは興味深そうに俺とブラッドを交互に見た。
「凄いね、後ろ姿じゃどっちか分からないくらい似てる」
「そうかな?」
「うん。だって髪型とかも似てるし…背だってそう変わらないじゃない?」
「……」
少しだけムッとしてしまった。
俺の方が年上なのにブラッドと背が変わらないということに、だ。
…いや、その事実をエマに言われたことにかもしれない。
「ブラッドにこれからチェスしようって誘うつもりなの。ジャックも一緒にしよ?」
「…それは…」
周りが何と言うか分からない。
そもそも、エマ自身が俺達に頼んだ呼び捨てに対しても、この屋敷の人間は快く思っていない。
奴隷如きが主人の娘を呼び捨てにするなんてと嫌悪の目を向ける者もいる。
俺達はあくまでも奴隷だ。主人の娘と遊ぶわけにはいかない。
でも。
「私が頼んでるのに断るの?」
意地悪く笑うこの子には敵う気がしない。
仕方なく頷くと、エマはパァッと笑顔になって嬉しそうにブラッドの方へ走っていく。
「ブラッド、後で私達とチェスしよう」
「そうですね」
さり気なくブラッドに触れるエマと、素っ気なく答えるブラッド。
ブラッドはエマの言うことを何でも聞く。
それは奴隷である俺達にとっては当たり前のことだ。
「ねぇ、ブラッド」
「何か」
例えそれが、
「キスして?」
こんなお願いでも。
見ないようにしても、エマの普段は出さない妙に幼い甘え声が耳に付く。
エマはまだ14歳のブラッドにいつもこういう要求をする。
いや、シャロンだって分かってる。
私は元々普通に生きていた一般人で、犯罪に加担したことすら無かった。
今は犯罪組織に所属しているんだから犯罪に関わるのは当たり前だけれど、それはそういう組織でしか私は生きていけないからだ。
普通の人間に戻ることができたら、別の場所で穏やかに暮らしたいと思ってる。
……それにしても、私のことばかり聞かれるのは好きじゃない。
こっちが聞かれた分ジャックのことも聞いてやろう。
「私のことより、貴方のこと教えなさいよ。奥さんとはどんな感じだったの?」
「…え」
ジャックはちょっとだけ頬を紅潮させる。珍しい反応だ。
いきなり奥さんのこと聞かれたからびっくりしたのかしら?
「…言わなきゃダメ?」
「まぁ、気になりはするわね」
ブラッドさんを飼っていた女性でもあるみたいだし…。
ジャックが困ったような表情をして私から視線を逸らすけれど、私は逃がすまいと覗き込んだ。
「…楽しそうだね」
「困ってる貴方って面白いもの。…いや、照れてるのかしら」
そう言えば少し眉を寄せるジャックが可愛くて、思わずクスクス笑いが漏れてしまう。
ジャックは奥さんの話となると、何だか人間味が増す気がした。
「…そうだね。その話も、君には少ししておこうか」
そして、ジャックは諦めたように話し始める。
自らの過去を。
《《<--->》》
温もりの失われていく感覚が
《《<--->》》
手の中にこびり付いて離れない
俺達を買ったのは、大きな屋敷の主人だった。
大したことは要求されなかった。
もっと酷い扱いを受けるものだと思っていたが、寧ろ数年間働いたあの場所の方が過酷だったと感じる程だった。
俺達は比較的楽な場所に行き着いたらしい。
その屋敷では奴隷にタトゥーを与えるのは当たり前だった。
それを分かる場所に付けることで、“使用人”と“奴隷”の区別をつけていた。
生温い扱いを受けていたとはいえ、俺達がどれだけ酷いことをしても構わない存在であることは確かだった。
主人が機嫌の悪い日は、必ず俺かブラッドのどちらかが傷付けられた。両方の時もあった。
罵倒され、暴力を振るわれ、到底無理な仕事を任せられたりもした。
――そして、週に一度の日曜日。
それは、俺達のどちらかが主人の“趣味”に付き合わされる日だった。
「……っ、…う…」
抑えているというのに俺の口からは小さな呻き声が出る。
その様子を如何にも上質そうな椅子に座って、赤みがかったワインを飲みながら眺めてくる主人。
うつ伏せの状態で組み伏せられている俺の周りには、10人程の女。
大抵のことは慣れているはずなのに、これだけはどうしても慣れない。
心臓の辺りにどす黒くもわりとした塊が渦巻くような気分だ。
鎖に繋がれた首輪が俺の首を締め付ける。
もっと緩くできないのか、と俺の後頭部を押さえる手から逃れようと動く。
しかし、その途端もう1人の女に背中を叩かれた。
縛られている手首が手枷に擦れて痛い。
見上げれば、俺の姿を舐め回すように見つめてくる主人と目が合った。
自分では何もせずただ眺めているだけのその男は、くくっ…と低く笑って。
「どうした?さっきから全く反応していないじゃないか」
――…こんな状況で勃つわけないだろ。
そんなことを口に出せばどうなるか分からない。
きっとこいつは喜ぶだろう。そういうことが好きな男だ。
若い男の嫌がることをするのが好きなわけではなく、嫌がることをされている若い男が好きなのだ。
取り分け、こういう痛みを楽しめない男に限って。
「あぁ…やはり君のような子じゃないとね。僕は君の屈辱に塗れた表情が大好きなんだ。君のような、僕に対する反抗心を秘めている人間を無理矢理穢させるのが最高に気持ち良いんだよ。…その点、ブラッド君は面白くないな…何をされても平気な顔をして」
主人は高揚しながら一息に言った。
面白くない、ね。俺もブラッドのように振る舞えば飽きられるんだろうか?
…いや、俺には無理だ。あいつと俺じゃ違いすぎる。
「彼は随分と無頓着でね。君も知っているだろう」
ブラッドがこういったことをされないわけではなかった。
でも――…俺かブラッドのどちらかならば、主人のお気に入りは間違いなく俺だった。
その屋敷の娘が、エマという少女だった。
当時ブラッドは14歳、俺とエマは17歳。
何の接点もなかったが、同年代ということもあって興味を抱いたのか――エマの方から俺たちに近付いてくるようになった。
男勝りな性格でもあり、しょっちゅう夜に出掛けて喧嘩をしては掠り傷を付けて帰ってくるエマ。
――でも、不意に見せる可愛らしさは、とても女の子らしかった。
彼女には人を惹き付ける不思議な魅力があった。
もっとも、それは俺だけが感じるものだったのかもしれない。
「ブラッド?」
いつものように屋敷の掃除をしていると、透き通るような若々しい声が俺を呼び止めた。
振り返ると、アッシュブラウンのふわふわしたミディアムヘアが目に入る。
本人も気にしている、意識的ではない鋭い目付きがこちらを見上げていた。
「俺はブラッドじゃないよ、エマ」
前にいるブラッドを指差すと、エマは興味深そうに俺とブラッドを交互に見た。
「凄いね、後ろ姿じゃどっちか分からないくらい似てる」
「そうかな?」
「うん。だって髪型とかも似てるし…背だってそう変わらないじゃない?」
「……」
少しだけムッとしてしまった。
俺の方が年上なのにブラッドと背が変わらないということに、だ。
…いや、その事実をエマに言われたことにかもしれない。
「ブラッドにこれからチェスしようって誘うつもりなの。ジャックも一緒にしよ?」
「…それは…」
周りが何と言うか分からない。
そもそも、エマ自身が俺達に頼んだ呼び捨てに対しても、この屋敷の人間は快く思っていない。
奴隷如きが主人の娘を呼び捨てにするなんてと嫌悪の目を向ける者もいる。
俺達はあくまでも奴隷だ。主人の娘と遊ぶわけにはいかない。
でも。
「私が頼んでるのに断るの?」
意地悪く笑うこの子には敵う気がしない。
仕方なく頷くと、エマはパァッと笑顔になって嬉しそうにブラッドの方へ走っていく。
「ブラッド、後で私達とチェスしよう」
「そうですね」
さり気なくブラッドに触れるエマと、素っ気なく答えるブラッド。
ブラッドはエマの言うことを何でも聞く。
それは奴隷である俺達にとっては当たり前のことだ。
「ねぇ、ブラッド」
「何か」
例えそれが、
「キスして?」
こんなお願いでも。
見ないようにしても、エマの普段は出さない妙に幼い甘え声が耳に付く。
エマはまだ14歳のブラッドにいつもこういう要求をする。