マイナスの矛盾定義
優秀組のメンバーはそれぞれの部屋へと戻り、今日はニーナちゃんと2人の夜。


薄暗い部屋の中で、寝ようとする私とは裏腹にニーナちゃんはじっと立ったまま。


こちらを直視しているわけではないけれど、しっかり視界には入れているのだろう。


この子は私が寝ている間も起きて見張っておくつもりなのかしら。



「…疲れないの?」


「お構いなく、と言ったはずですが」



冷たくあしらわれてしまった。


まぁ、当たり前よね…敵組織の受け付けの子を私が気にする必要もない。
寝返りを打ち、壁の方へ身体を向ける。



部屋が深い静寂に包まれ、その沈黙を破ったのは、意外にもニーナちゃんだった。



「…全部、嘘だったんですね」



か細い声でそう言ったニーナちゃんの方へ顔だけを向ける。


暗闇だから見えないはずのニーナちゃんの瞳が悲しげな色をしているように見えるのは、私の気のせいだろうか。



私は壁に目を移し、言い訳のような台詞が口から出そうになるのを抑えた。



「……そうね。私はこういう人間よ。あなたが見破れなかっただけ。あなたもまだまだってことよ」



わざと突き放すようにそう言えば、ニーナちゃんは少し間を置いて。



「私の何が分かるんですか?」



その声は、低く冷たい。


いつだったか、ジャックにも同じようなことを言われたことを思い出した。





仕事部屋に再び静寂が訪れる。


ニーナちゃんももう話す気がないのか、何も喋らなくなってしまった。



――“スパイに感情なんていらないんだよ?”


嗚呼、本当にその通り。



……人を裏切った時、こういう悲しみは付き物なのだ。
「すみません、エリックから今夜は戻ってこいとの命令が…」



ニーナちゃんが申し訳なさそうにラスティ君とアランにそう言ったのは、ブラッドさんが仕事で出掛けた日の夕方だった。



私は不在のブラッドさんから予め与えられていた夕食を食べながら、これは逃げるチャンスではないかと思案する。



しかしラスティ君がいちごミルクのパックをデスクに置き、


「じゃあアリスちゃん、今夜は僕の部屋で寝る?」


とんでもないことを言い出した。



私に問い掛けているにも関わらず、既に決定しているような言い方だ。



「おい、勝手なことすんな」


「何かあったら困るでしょ。ぶらりんのいない間に逃げられたら、僕達の責任になるじゃん?」


「お前が何かする場合もあるだろうが」



そうそうそう。そうよ、アラン。その通り。


私は大きく頷いて全力で同意するが、ラスティ君はお構いなしでニヤニヤするばかり。
「ねぇアラン、何の心配してるの?こいつは敵組織の女だよ?僕が何かしたところで、問題無いでしょ?」



小首を傾げる仕草がちょっと可愛らしいことに腹が立つ。



「イイ人だよね~アランは。敵まで心配するなんてさぁ」



挑発するように、わざとらしくそう言うラスティ君。


実際は心配ではなくブラッドさんへの忠誠心からの言葉だったんだろうけど…


「……勝手にしろ」



不幸なことに、アランへの効果は抜群だった。



「ありがとうございます。では、私はこれで…。明日の朝には戻ってきますので、よろしくお願いします」



淡々とそう言ってぺこりと頭を下げたニーナちゃんは、静かに部屋を出て行った。



あれからニーナちゃんとはずっと喋っていない。


ずっと隣にいるけれど、分厚い壁があるように思う。



………一度裏切った人間と関わるのは、苦手だ。
―――
―――――



ラスティ君の部屋には初めて来た。


ガラステーブルやロータイプのフロアソファ、クローゼット…物は少なく小綺麗で生活感がない。


全体的にシックなインテリアで統一されている。


ラスティ君は適度に暗い方が好きなのか、シングルベッドの隣にあるフロアランプのオレンジっぽい光だけが部屋を照らしている。




「ふ~、サッパリしたー」



タオルで髪を拭きながら機嫌良く部屋に戻ってきたラスティ君は、大浴場かシャワールームに行ってきたみたいだ。


ベッドに腰を掛けるラスティ君から、ボディソープの良い匂いがした。



こいつはこれからこのいかにもふかふかそうなベッドで心地良く眠るのね……私はベッドの脚に鎖を繋がれているから、冷たい床に座っているしかない。



「んふふ~良い眺め」



ご機嫌なラスティ君は素足で私の額を踏み付けたかと思えば、ぺちんと足の甲で頬を叩いてきた。



「ねぇ、アリスちゃん」



その眼が、至極愉しそうに細められる。



「僕の足に口付けて?」
未だかつて私にこれほどふざけたことを抜かす奴がいただろうか。



眼前にあるラスティ君の足は細くて白く、骨張っている。



「残念だけど、ぶらりんに拷問は禁止されちゃってるからな~。この程度の遊びしかできないんだよね。あぁ、でも勘違いしないでね?その気になればバレないように恐怖を植え付けることくらい簡単だからさ。肉体に痕が残らないようにいたぶればいい。僕に逆らえなくなるまで徹底的にね。……あぁでも、すぐ壊しちゃうのはつまんないよね。お楽しみは最後まで取っておかないと。アリスちゃんならきっと、もっともっとイイ壊し時があると思うんだ。だから、今日はこれで許してあげるよ?――なぁ、さっさとやれよ」



こいつのご機嫌取りの為にここに口付けるなんて私のプライドが許さない。


でも、それを分かっているからこそラスティ君はこんなにも活き活きしているのだろう。


私に屈辱的な思いをさせたいのだ。


誰の邪魔も入らないこの状況はラスティ君にとって絶好のチャンスと言える。



――とは言え、私だってそう簡単にこのクソガキの思い通りになってやるつもりはない。



ラスティ君の足の甲にキスを…と見せかけて、少し顔を傾けて足の裏にふーっと息を吹き掛けてやると、


「んぁ…っ」


ラスティ君はビクッとして足を引っ込めた。


何変な声出してんのよ、こいつ。
「足の裏が弱いっていうのは本当なのね」



ラスティ君を見上げて感想のようにそう言えば、ゴミを見るような目で見下げられた。



「……マジ生意気」



今ので相当苛立ったのか、声がいつもより低い。


何よ、そっちが仕事中に堂々と弱みを暴露してたんじゃない。


私はただそれを利用しただけ。





暫く睨み合いが続いた後、ラスティ君が不意に何か面白いことを思い出したように言う。



「いいもの見せてあげよっか、アリスちゃん」



そして、ベッドの横にあるナイトテーブルの引き出しから数枚の写真を取り出し、私の前の床へ落としてみせた。



「アリスちゃんがアランと出くわした時に一緒にいた女の子、調べさせてもらっちゃった」



そこに写っているのは全て、ふわふわの銀髪をした、ゴシックファッションの女の子――…キャシーだ。


闇取引をしている姿や、仲間とお茶をしている姿や、どこかの宝石屋へ入っていく姿が撮られている。


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