マイナスの矛盾定義
よくこれだけ撮ったわねと皮肉を込めて褒めてやりたいくらいだけど、被写体がキャシーじゃそうもいかない。
「この子、随分君んとこのリーダーを慕ってるみたいだね?」



こいつがこれから言うことは、きっとろくなことじゃない。



「僕ね。色々考えたんだ。どんな方法で復讐するのが一番萌えるかなって。毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日考えて、結局最初の結論に辿り着いちゃった」



ラスティ君の声が、いつも以上に悪魔の囁きのように聞こえる。



「単純な方法でね?」



上を向けば動揺を悟られてしまいそうで、キャシーの写真へ目を向けるしかない。



「あいつの大事なモノを、1つ1つ奪っていこうと思って」



―――…この、下衆が。



「残念ね。彼女は末端幹部だもの、シャロンとはあまり接触してないと思うわよ」



できるだけ冷静にそう答えた。


キャシーに手を出させるわけにはいかない。


それだけは絶対に許さない。



「へぇ?でもこの子、7億円窃盗事件にも個人として関わってるじゃん?この若さで、かなりのやり手だ」



7億円窃盗事件…何年か前にこの国で起こった未解決事件だ。メディアでもかなりの話題になった。


そう言えばあの時期、ちょうどキャシーがしれっとした顔で相当な額のお金を持って帰ってきたことがある。


キャシーが盗みを働くことは日常茶飯事だから特に掘り下げることはしなかったけれど、ラスティ君の言っていることが事実だとしたら、やはり彼女の盗みの才能は卓越している。



「これで末端?クリミナルズにはこれ以上に優秀な幹部だらけなんだね。羨ましいな」



誤魔化そうとする私を嘲笑うかのように、ラスティ君の言葉が私を追い詰めた。
「正式な任務が来てるわけじゃないからやりにくいけど、こっちが動けないなら向こうから動いて貰おうかな。アリスちゃんを使っておびき寄せる、とかどう?」



よくもまぁ、ここまで私の怒りを煽るのが上手いものだ。



「アランの話を聞いた限りじゃ、彼女は何かあった時アリスちゃんを見捨てる人間じゃない。それって、アリスちゃんを人質に取った時も同じだと思わない?」



不意にラスティ君の手が私の顎を掴み、上を向かされた。



「動揺してんのバレバレだよー?」



そのヴァイオレットの瞳が愉しげに細められるのをフロアランプの光が照らす。



そういうことね…ようやく納得がいったわ。


こいつらが私から情報を得ようとしないくせに此処に居座らせているのは、人質として使う為だ。



やり場のない怒りを感じ、唇を噛み締めた。



「アリスちゃんとこのリーダーは人選ミスだよね。スパイに大切な物はない方がいい。情が絡むと適切な反応ができなくなる」


「…言われなくても、分かってるわ」


「そう?ニーナちゃん見てたまに悲しそうな顔してるけど。アリスちゃんって情に脆いよね」



馬鹿にされているようで――否、実際に馬鹿にされている――イライラする。


いや、事実を言い当てられているからこそ苛立ちを覚えるのかもしれない。


自分でも分かっている自分の短所を他人から、しかも敵組織の人間から指摘されることに腹が立つ。
「あぁもしかしてあいつ、だからアリスちゃんをスパイにしてるのかな?やらしー」



何が“だから”なのよ?と聞き返そうとした時、ガチャリとドアが開いた。



そちらを見れば、これから寝るであろう格好のアランが立っていて。



「まだ起きてんのか。さっさと寝ろ」



いつもの如く、立っているだけでも妙な色気を発している。



そういえば、アランの部屋はこの部屋の隣だったはずだ。


この部屋からの物音も少しくらいなら聞こえるのだろう。



「アランこそまだ起きてるんだ?寝れなかったの?」



ニヤニヤしながらそう問うラスティ君に対しアランは面倒臭そうに舌打ちをして、


「これから寝るんだよ。お前らも寝ろ。明日も仕事あんだろうが」


ごもっともなことを言う。



ラスティ君はつまらなそうな顔をして、でも返す言葉が見当たらなかったようで、「はーい」なんて不服そうに返事をすると灯りを消して寝転がる。



「残念だけど、アリスちゃんいじめるのはまた明日だね」



私からしたら残念でも何でもないわ、と心の中で文句を言ってやった。
―――
―――――




ふと目が覚めた。



聞こえるのは、時計の秒針の音と――ラスティ君の呻き声。



酷くうなされているみたいだ。


こういう時は起こした方がいい。



でも、私にそこまでする義理はないし、手を使えないからどうにもできない。


放っておいて寝てしまおうと瞼を閉じてみたものの、呻き声が気になって仕方ない。


あまり眠たくもないし、このままだと眠れなさそう…少し待ってみようかしら。




暫くして、ふっとラスティ君が静かになった。


悪い夢からは解放されたのだろうか。


まぁ、何にせよ私が気にする必要ないわよね…と再び目を瞑る。



そのまま眠りにつく…はずだったけれど、1つの疑問が浮かび、それが気になってできなくなった。


………息、してる?


部屋は静かなのに、私以外の呼吸音が全く聞こえない。




思わず起き上がり、「ラスティ君?」と問い掛ける。返事はない。


ラスティ君の身体は、暑くもないのに汗を掻き、寒くもないのに震えていた。
寝てる?起きてる?もう、そんなことどうでもいい。


私は精一杯の力を振り絞り、ベッドに体当たりした。



ベッドが大きく揺れ、ラスティ君がこちらを酷く脅えたような目で見た。



「ラスティ君…?」



もう一度呼べば、ラスティ君の身体がビクリと過剰に反応する。


その虚ろな目はまるでラスティ君ではないようだった。


瞬きもせず、警戒するようにじっとこちらを見ているラスティ君は――やはり息をしていない。



「ラスティ君?落ち着いて。ゆっくり息を吸って」



どうも様子がおかしい。



私の声が届いたのか、ヒュー…と空気が抜けるような音がラスティ君から聞こえた。


身体の震えは収まらず、涙がシーツを濡らしていく。



「ご……め…なさ…」


「…え?」


「ご、めんなさ…ごめんなさい…僕は悪い子です、…僕は悪い子です…」



ブツブツと呟くように言うラスティ君は、突然声を荒げた。



「ごめんなさいッ…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ!!ガス室は嫌だ!!良い子にしてるから!!何でもするから!!あそこは嫌だ!!連れていかないで!!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!おねが…します……、お願い…お願いします…っ…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」



息を呑む。気が狂ったように喚くラスティ君だが、拘束されている私にできることはない。
「ごめんなさい…っごめんなさ…ッ…うっ…ぐっ…げほっ」



息をしづらいのか、咳き込みながら自分の首を押さえるラスティ君の手は、いつもよりずっと弱々しく見えた。



「――ラスティ君、」


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