マイナスの矛盾定義
「あなたにはずっと直接会ってみたかった…。小さい頃から、あなたは研究所の画面の中でしか見ることができなかったから」



見たところ、如月は荷物を持ってきていない。


とはいえ、服のポケットから何か怪しい物でも取りだしてくるんじゃないかと思うとひやひやする。



「あなたは特別…。あなたのお父様の神薬によって、肉体の再生に働く何かがあなたの中に作り出された…未だにあの薬が効いた個体は貴方しか存在しない…つまり、あなたの中にだけ何か他とは別のシステムがあったってことじゃない…?それがたまたま、あなたのお父様のつくった薬と適合した…これって、相当な奇跡だとは思わない…?」



聞いてもいないのに、如月は少し早口になりながら話し続ける。



「私は知りたいの…あなたの中に何があるのか…試したいの…。あなたの身体は特殊なの…人体の神秘よね。あなたが研究所から逃げ出す前、まだこの国ではクローン技術が発達していなかった…でも、今ならあなたの細胞から人工的なクローンをつくって、遺伝子の同じ個体で試すことができる…」



嗚呼、これだから会いたくなかった。


あの研究に携わる人間なんて、みんなどこかネジが外れているに決まってる。
……でも、いつかは通らなくちゃいけない道だ。


こちらから探す手間が省けた、とでも思えば少しは気も楽よね。



「ね、良い考えだとは思わない…?あなたが実験体になりたくないのなら、代わりにあなたと同じ遺伝子の実験動物をつくることもできるの…。……まぁ、うまくいかなかったら、またあなたの力を借りることになるけど……」

「1つ聞かせてくれないかしら」



如月の話を遮るように、ハッキリした声で言った。



如月は少しきょとんとした顔をし、次に再び微笑を浮かべる。


「なぁに…?」


「私が不老不死の身体でなくなる方法があるとしたら、それはどういう方法だと思う?」



私の質問を聞いた如月は急に真顔になり、虚ろな目でぽつりと告げた。



「―――…だめ…それは、教えられない」



今日耳にした中で最も冷えた、あと少しで怒鳴りそうにも思える震え声。


いつ爆発するか分からない爆弾が目の前に置かれているような気分だ。




でも、


「…安心したわ」



私はどう思うかを聞いただけだ。


それに対して、如月は教えられないと言った。




「やっぱり元に戻る方法は存在するのね」


「――…、」



如月の顔が、微笑を浮かべていた綺麗な顔が、みるみるうちに歪んでいく。
「…どうして、そんなことを聞くの…?戻りたいの…?正常な人間に…。あなたは永遠に生きられる身体なのに。理解できない…その身体なら、優秀な実験動物でいられるのに…誰からも認められる存在価値があるのに。…ねぇ…どうして…?どうして?どうして?どうして?ねぇ…どうしてよ…?」



目を大きく見開き、瞬きもせず、こちらに迫ってくる如月。


その手が何かを訴えるように私の肩に伸びてきた――その時、


「触るな」



アランがその手首を掴んで静止させた。



「舐めたこと抜かしてんじゃねぇぞ。こいつは今俺達の管理下にある。手ぇ出すな」



如月の迫力に体が固まってしまったように動けなかった私は、魔法が解けたような気分で立っているアランの顔を見上げる。


これまでに見たこともないくらい険しい表情をしていて、少しどきっとした。



「どうして分かってくれないの…?この子のベストな使い道…あなただって思うでしょう?人の死に触れたくないって…その為にはこの子のような怪物を研究することが必要なの…何なら今すぐこの子をこちらに引き渡してくれてもいいの…人類全てがこの子のようになれるかもしれないの…私は、生物に秘められた力をもっと見たいの…見たくて見たくて仕方ないの…この体が朽ちるまでに、早く、全て…ッ!」


「……」



如月に憐れむような視線を向け黙り込むアランの横に、すっと静かにニーナちゃんが近付いてきた。


如月は同じ室内にいたニーナちゃんの存在に今気付いたかのような表情で、ぽかんと見上げる。



そんな如月を見下げ、ニーナちゃんは微笑み、


「不愉快なのでお帰りください」


いつもと変わらない声音で告げた。



「貴女はアリスさんのことを何だとお思いですか。自分の知識欲を満たす為に利用しようとしているのでしょうか。私には、人を人として扱わない貴女の方が怪物に見えます。この人は貴方達のための実験動物ではありません。ここにいる彼女は、貴女達のような良心の麻痺した人間という怪物の欲に巻き込まれた、まだ若い1人の人間です。これからいくらでも人生の選択ができるはずです。そんな彼女が、今後も実験体として理不尽な扱いを受けなければならない理由なんてどこにもありません。確かに彼女はスパイ行為を働きましたし、私達はそれを裁こうとしています。ですが、それは非人道的行為を行っている機関に彼女を引き渡す理由にはなりません」
その勢いに少し圧倒されたのは私だけのようで、


「ふふ。嫌われちゃった」


くすくすと楽しそうに微笑む如月は、ニーナちゃんに言われたことを気にする様子もない。



立ち上がり、はしゃぐ少女のように何故かくるりと一回転した如月は、ドアの方へ歩いていく。


如月が横を通った時、またふわりと香水の匂いがした。



「今日は短い間だったけど、また来る……。スケジュールがタイトだから、今日は口論している暇がないの…残念だけど…それじゃあね」



まるで親しい友人の家を出て行くかのような態度の如月が去った後、室内には私達3人だけが残された。


ほっとして、椅子の背もたれにもたれ掛かる。


気付かない間にかなり緊張してしまっていたようだ。
手が少し震えていた。



溜め息を吐いたのは、意外にもニーナちゃんで。


「あの人、また来るんでしょうか」


「来るだろうな。あの様子だと」


「面倒ですね」


「…珍しくねぇか?そういうこと言うの」


「人を人として扱わない人間は嫌いなんです」



あぁ、そうかと。


彼女には奴隷として働かされていた過去がある。


如月のああいう言葉は気に障って当然だ、と納得した。






「……俺も同じようなもんだ」



アランが私に手錠をつけ立ち上がらせながらぽつりと言ったその言葉は、おそらく私の耳にしか入っていない。


人間を何人も殺してきた自分が如月と同じだという意味だろう。


…アランがどう思っていようと、殺人はアランの仕事の一部だ。


私は否定も肯定もしなかった。
―――
――――――



「おっかえり~!どうだった?」



仕事部屋に入ると、気遣いの欠片もないラスティ君が真っ先に聞いてきた。


敵にこんなことを求めるのもおかしいが、どう見ても疲れているであろう私を放っておこうという気は少しでもないのか。それとも分かっていてテンション高く話し掛けてくるのか。



「……」



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