マイナスの矛盾定義
昼時の食堂では、いつも人々がさざめていている。


今日は外国から来たパフォーマンス集団がダンスを踊っていた。



何を食べようか迷っていると、女のアタシから見ても可愛い顔をしたスタイルの良い男がこちらへ歩いてきた。赤い縁の眼鏡が似合っている。


この顔、どこかで見たような…。新しく入ってきた店員だろうか。



「ここって、犬とかいますぅ?」



……犬?どうしてそんなことを聞くのだろう。



「訓練犬ならいるけど…どうかしたの?」


「いやぁ、最近俺の犬がいないんですよねぇ。だから物足りなくてぇ」



初対面でこんな雑談をアタシに吹っ掛けてくる奴も珍しい。



「…もしかして逃げられた、とか?」


「んー、奪われたって方が正しいですかねぇ。俺がわざわざ逃がすわけないじゃないですかぁ。今別の場所にいるんですよぉ」



何か違和感を覚える。他の人に拾われたってこと…?



「もしかしたら本物の飼い主を待ってるかもしれないし、場所が分かるなら直接言いに行ったら?」


「勿論そのつもりですよぉ?――…直接奪い返してやる」



声のトーンが少し低くなっただけだというのに、ぞくっと鳥肌が立った。


……こいつ、ただ者じゃない気がする。



この組織に雇われているという証明書を見せてもらおうとした時、内部連絡用の携帯が鳴った。


代理の受付をしている子からだ。



男から少し距離を置き、電話に出る。



「何?」


『チャロ指揮官!1階に来てもらえませんか!外部の人間が大勢――…ウッ…ゴフッ…』


殴られたであろう声。相手の携帯が床に落ちる音がした。
受付には最低限鍛えられた人間を回している。


通話をしながらとはいえ、そう簡単にやられるはずがない…となると、余程の大人数…更には対策を取る隙も与えないほど上手いやり方で攻めてくる相手であると推測できる。


胸騒ぎがした。何かが起こる――動かなくちゃ。



この男の身元の確認は後だ、とりあえずここで待っているように指示を……。



「…え?」


振り向くと、いつの間にか男は消えていた。


辺りを見渡すが、どこにもいない。人混みに紛れたか…。


いよいよ怪しくない?


まぁ、何かしたわけじゃないからいいけど。


それより今は1階へ向かうのが先だ、と思いエレベーターへと走る。


あの怪しい男には後で探し出してきっちり話を聞かせてもらおう。






急いで向かったエレベーターは使用中だった。


しかも、1階から上がってくる様子だ。


おかしい。この時間帯に上がってくる使用者がそういるとは思えない。



と思うと、エレベーターは2階で止まった。



ざわっと身の危険を感じ、服から拳銃を取り出す。




エレベーターのドアが開き、銃を構えていたアタシの前に最初に現れたのは――1人の血だらけの仲間の姿。


仲間は怪我で動けないのかそのまま床に倒れ込み、その衝撃で小さな呻き声を上げる。


予想外の出来事に動揺した一瞬の隙に、中から出てきたもう1人の人間に持っていた拳銃を蹴り飛ばされた。



「…っ、」


別の武器を出そうとしたが、後ろから出てきたもう1人にその手を切りつけられた。


走って距離を置きながら素早く内部連絡用の携帯を取り出したが、


「おっと、勝手な動きは慎んでもらえるかな?」


先程蹴り飛ばしたアタシの拳銃を回収したらしい男が、それでアタシの携帯を撃った。



プライベートの携帯は上着と一緒に6階に置いてきてしまっている。
エレベーターのドアが閉まり、エレベーターはまた上へと向かう。


まだ中に誰かいたのかは分からない。こいつらの仲間がまだいたとすれば、上の階へ上がることを許してしまったということになる。


今すぐ各階の人々に警戒を促さなければ…!



しかし、不運なことに今日に限ってこの近くのファーストフード店には誰1人メンバーがいないようで。


この異常事態に気付いているのは、アタシと店で働いている店員だけだ。



侵入者は男女の2人組。



1人は髭の生えたボサボサの黒髪の男、刃物の所持を確認。


もう1人は長い銀髪を纏めたゴシックファッションの女、一見丸腰だが服の中にいくらでも武器を隠せそうだ。



エレベーターの前に倒れている仲間の傷がどの程度の物か見極めようとしていると、女がふっと笑った。


「あぁ…たまたまエレベーターの中にいたから入るついでに少々痛い目にあってもらっただけですわ。人間その程度では死にませんので安心してくださいまし。…といっても、リバディーに所属する方ならそれくらい分かると思いますが」





「チャロ指揮官!これは!?…グッ!」



銃声を聞いて駆けつけたらしい仲間の1人の声が後ろから聞こえたが、その瞬間喋っていた女が服から拳銃を出して発砲し、アタシが振り返った時には足から血を流し床に倒れ込む仲間の姿があった。


続いて仲間の両腕に2発の弾が的中する。



――バカ!防具も身につけてないのに突っ込んでくるな!



「あまり暴れないでよ、キャシー。ボクらがすることはあくまでもこの階にいる人間の足止めなんだから」



男が溜め息を吐きながら女をじと~っと見つめながら一歩踏み出す。


こちらに侵入してくる気だ。


奥に行けば人が沢山いる。特別な戦闘訓練を受けていない店員やウェイターも…。
「シャロン様にしては派手じゃないやり方ですわよね。建物ごと滅茶苦茶にするかと思ってましたわ」


「そう?ボクはこういう中からじわじわ侵食するみたいなやり方好きだけどね。…それに、今回はボクらのお姫様から誰も殺すなって要望出てるみたいだし、それでじゃない?」


「シャロン様ってば、アリスが言っただけで任務内容を変えるんですもの。最初は殺害オーケーのはずでしたのに…」


「まぁ、ここが死体の海になればアリスのトラウマになっちゃうでしょ」


「殺害が可能であればもっと短時間で制圧できますのに…シャロン様はアリスを気に留めすぎですわ」


「え?でもキャシーも大概アリスのこと気に留めてるよね?あの詐欺師の話聞いて一番怒ってたのキャシーだし、興味無かったリバディーのことを毎日調べるほど心配してたのもキャシーだし、本拠地への調査に率先して加わったのもキャシーじゃ…」

「あああああああうるっっさいですわ!!」



“キャシー”…?聞き覚えのある名前だ。


そういえば、この女の方どこかで見たような…。


――…まさかこの子、あの伝説の窃盗犯――確か、今は犯罪組織であるクリミナルズに属していると耳にしたことがある。


“シャロン”…“アリス”…?


ふと、さっき食堂で会った赤い縁の眼鏡をした男の顔を思い出す。


脳内で名前と顔が一致した――クリミナルズのリーダーの“シャロン”!?


しまった、顔は何度も資料で見たことがあったはずなのに、随分と印象を変えていたから分からなかった。



ちょっとちょっと、やばくない?


相手がクリミナルズとなると、そこらのちんけな犯罪者集団とは規模が違う。


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