マイナスの矛盾定義
エレベーターのドアが開くと、そこは3階だった。


3階は、確か治療室がある場所だ。おそらく負傷した仲間の様子、そしてどのような手でやられたのかを確認しに行くのだろう。








「―――…好き、でした」



泣きそうな顔で額にキスをされて、私は、彼が今私への恋情を捨てたのだということを察した。


きっともう二度とこの人に会うことはない。



私を置いて出て行く後ろ姿に、思わず言葉を投げかけようとして、止めた。



“貴方って、そうやって人間味のある表情もできるのね。…ちょっとだけ素敵よ”なんて。




そんな残酷なことを、気を持たせるようなことを、それが本心でも――私は言えない。
―――
――――――



1階に着くと、まさに戦場だった。


血の臭い、銃声、硝煙。壁にはヒビが入り、この階自体が弱り切っているように見える。


人が密集していて、敵も味方も分からない。


目立たないように人と人との間を走って通り抜け、物陰に隠れる。


物陰といってもすぐ見つかるような場所だ。


隠れている人間がいればいくら制服を着ていようと怪しまれるだろうし、できればもっと安全な場所に行きたいんだけど…分かりにくすぎる場所にいても陽が困るだろう。


とりあえずどこか他に良い場所はないか目立たないように歩き回って探すしかないわね…と思い足を動かそうとした時。







「待てよ」


――…あぁ、何故だろう。こいつはいつも私を見つけてしまう。



「……何?」



私は冷静に問い掛け、着ている服のポケットの1つに手を入れた。


リバディーのメンバーの誰かが着ていたはずの服だ。何らかの武器が入っていてもおかしくはない。



意地でも逃げ切る気で振り返ったが、


「行くのか」


その声は思いの外落ち着いていて、私を見下ろすグリーンの瞳は敵に向けるそれではなかった。


手を伸ばせば届くであろう距離にいるのに、アランの手に拳銃はない。


今撃てば確実に当たるのに。



「…余裕なのね。例によって余程私を捕まえる自信があるってことかしら?」


「その自信はあるが、今はそうじゃねぇ」



服の中に武器はない。陽が来るまで何とか時間を稼がなければ…と思考を巡らせながら、ふとアランが真剣な表情をしていることに気付く。




その表情が今まで見た中で一番男らしくて、妙にどきっとした。





「お前が好きだ」
――正直とても驚いた。


今ちょうど1人の男が私への気持ちを捨てたばかりだというのに、今度は別の男が私への好意を表している。



いやいやいやいや……何か目的があるはずだ。



「……敵である私を混乱させる為に言っているんでしょう」


「そうだよ。隙あらば撃つつもりだ」



アランのグリーンの瞳が私を静かに見下ろしていた。






「って言ったら、がっかりしてくれるのか?」



……っ構ってられない!


アランを通り過ぎようとしたが、案の定腕を掴まれた。



「なぁ、もう会えねぇの」


ぞくんと体が奥が反応するほど色っぽい声。



「動揺させる為に言っているの?」


「動揺してくれたのか?」



こんな戦場で口説かれている。状況に似つかわしくない。




「好きだとか、本心ならこんな場面で言わないでしょ?もうこんなにこの施設が壊されてるのに、」


「じゃあ次いつ会えんだよ」



私の腕を掴むアランの手の力が強くなり、焦りを覚えた。


……もしかして、こいつ本気?



「いつって何よ。親しい友人と別れる間際みたいに言わないで。貴方の顔を見ることはもう二度とないはずだわ。何度も言うけど、私は敵組織の人間よ?」


「敵を好きになっちゃいけねぇなんてルール、この組織にねぇだろ」



やっぱりこの組織の3人組は全員滅茶苦茶なんだわ。


第一こいつ、私を好きなんて素振り一度も………いや、そう言われてみれば思い当たる節はいくつかある。



「…悪いけど、私はあなたのことそんな風には…」


「知ってる。だからこれから落とす」


「もう会うこともないって言ってるでしょ…!?」



話聞いてないのかしらこいつ。



「会えるとしたら?」


「は?」


「どの組織に所属してるとか関係なく、会えるとしたらいつになる」
落ち着け私。相手はあの意地悪なアランよ?対象外のはずでしょ。女として見られてたからって動揺してどうするの。



「…追われる理由が無くなった時、かしら」



具体的なことなんて言ってやらない。


約束なんてしてやらない。


一瞬でも組織の立場の違いを考慮せず1人の人間として嬉しいと思う自分がいたことを認めたくなかった。



「じゃあ待ってる」


「……え」



私が敵組織の人間だと分かっていても好意を示す人間は、変わり者だ。



「待ってるからな」



そんな変わり者がどうやらここにもいたらしい。




言い返せずにいると、



「――アランさん!」


陽のよく響く声が後ろから聞こえてきた。



「2階が大変なことになってるんすよ。応援に行ってくれませんか」


「…分かった。お前は?」


「この階にいるメンバーを指揮します。早く行ってください」



いかにも切羽詰まっているような陽の声音に、アランはちゅっと私の頬にキスをしてから、エレベーターへと走っていった。







アランが見えなくなると、陽は私を一瞥しすぐに出口へ向かって走り始めた。私もその後を付いていく。



「アリスちん、やっぱアランさんとはそういう仲だったのか」


「ちっがうわよ。ニヤニヤしないで」


「まんざらでもなさそうだったけどなー?」



そりゃ嫌われるよりはマシだし、嫌な気はしないけど。



「まぁ、んなわけねーか。相手はリバディーの人間だし」



…釘刺された?…いや、今のはきっと…。


ふっとチャロさんの顔が頭に浮かんだ。恋仲じゃないかと思われている部分もあったみたいだけど、やっぱり利用していたんだろうか。
外へ走り出たが、いつもは近くなら歩いているはずの一般人が驚くほどいない。というか見える範囲では全くいない。


危険を察知して逃げたのかしら。シャロンの命令でみんなが非難させたのかもしれない。



「言い忘れてたけどな、リバディーの本拠地が見えなくなるまで狙撃には十分気を付けろ。人がいない分狙われやすい。もし俺が撃たれたら迷わず見捨てろ。走れ」


「分かったわ、即死だったらね」


「いや、生死の確認をしてる暇はないはずだ。たとえ生きていても俺に注意を向けるな。足を止めるな。俺のせいでアリスちんが逃げ損ねたら、ボスに合わせる顔がねーよ。死ぬのと同じようなもんだ」



確かにシャロンは近しい仲間が死ねば怒るだろう。でも、仲間なのは陽も同じ。


私の手助けをしてくれるのは嬉しいけど、そこまで体張らなくてもいいのに。



「それに、一刻も早く離れないと危ねーぞ?そろそろ9階の防弾ガラスの破片が飛んでくるはずだしな」


< 164 / 261 >

この作品をシェア

pagetop