マイナスの矛盾定義
「は…?まさか9階を爆破する気?あのガラス、爆発耐性くらいあるんじゃ…、っていうかそれ以前にシャロンがまだ中に、」


「焦んなって。俺もよく知らねーけど、クリミナルズで開発した爆弾でどっかーん!だろ。9階全部爆破するんじゃなくてあのガラス割って脱出するってだけだからな。9階に人がいたとしても死にやしねえ」


「そうだとしても、脱出はどうする気よ?私みたいに飛び降りるわけにもいかないでしょう」



そんなことを聞きながらリバディーの本拠地から距離を置いていると、上空に何かが見えた。




「ヘリ…?」


「そーそー。ああいった類のモンの操縦に詳しい便利な奴が仲間に加わったとか言ってたな。元軍人らしいぜ」



――フォックスだ。


あの男、私達の組織に入ったの?一時的に協力してるだけ?


私のいない間に何が起こったのかは分からないけれど、協力してくれるというのは本当らしい。



なるほど、あのヘリで逃げるってわけね。ヘリ自体を攻撃されないか心配だけど、どうにかできる自信があるからヘリで迎えるのだろう。その辺は信じていい。
それにしても、シャロンがヘリでって。


「あいつ、高いとこ苦手なのに…」


「え、そうなのか!?そりゃ面白…あ、いや、心配だな」


「脅えるっていうよりは不機嫌になるから面倒なのよね」



と――何かの視線を感じ、後ろを振り向くと、ライフルがこちらへ向けられているのが分かった。



思わず手を広げて陽の前に立ち、降ってくる弾を腹部で受け止める。


しかし痛みを感じたのはほんの一瞬のことで、次の瞬間には体から弾が飛び出て、傷口が治っていた。


自分の目を疑った。ジャックの持っていたあの薬を飲んでいないのに。


「……傷の…治りが早くなってる…」



次の瞬間後ろからぐいっと腕を引っ張られ、また走り出す。


「馬鹿か!!真っ向から当たりに行くな!!!」


「るっさいわね…!急に大きな声出さないで!」



陽は私を引っ張ったまま素早くビルの陰へと隠れるようにして入った。



「血は!?」


「出てないわ。すぐ治ったもの」


「……そうか…。できるだけ建物の陰に隠れて、人の多い所へ行くぞ」



陽はほっとしたように言い、私の腕を離した。



「あんま自分を犠牲にしないでくれよ?」



額に汗の流れている陽を見て彼が本気で焦っていたことが分かり、少しの罪悪感が芽生える。



私が今生きているのは、人を庇うことができるのは、こんな体だからだ。


本来なら死んでいてもおかしくはない。


そんなつもりはないけれど、こんなことではこの体に頼っていることになってしまう。



―――強くなりたい。



身にしみるような冷たい風が吹き抜けるのを感じた。
――数十分前、リバディー本拠地6階。
陽のことを、『ふざけた奴だが根は真面目な男だ』とボスは言っていた。


確かに陽はチャラチャラしていて、セクハラ野郎で、時にはどじだって踏むけれど…ふとした瞬間に見せる真面目な顔は、やはり“本物”の顔だった。




「……騙されてるの?」


バカ、アタシ。


こんな状況なんだ。


疑わしい者はすぐに処分しなきゃいけないはずでしょ?


さっきのは絶対にアリスちゃんだ。


陽がそう呼んでいたし、2人で他人の部屋から出てきていた時点で怪しい。


アリスちゃんを逃がしてしまった。早く追わなければ。


なのに銃を構えられない。


何年も同じ組織で共に歩んできた片思いの相手に銃口を向けることを、アタシは確かに恐怖していた。



「何か事情があるんでしょ?」



そんな深刻そうな顔しないでよ。


本当にスパイみたいじゃない。


いつもみたいにへらへら笑ってよ。



アタシの気持ちを無視するかのように、陽は何も言わない。


今目の前にいるこの人が、何年も前から知っているはずのこの人が、別の誰かのように見える。



訓練生だった頃、陽は言っていた。

『俺は組織が好きだ、俺のような人間は組織にしか居場所がない』と…それは一体、“どちら”の組織のことか。



陽がアタシの告白をなあなあに済ませてきたのは、スパイだから…?


でも、スパイなら、アタシの恋愛感情を利用することくらいするはずだ。


そうしなかったのは、少しは情があるってことなんじゃないの?
……馬鹿馬鹿しい。


考えるだけ無駄だ。私情は捨てろ。


今の状況からして、陽はスパイだと考えるのが妥当だろう。


ラスティ君が何かを意図してアタシに嘘の情報を教えた可能性は極めて低い。

そんなことをする必要がある状況なんて思い付かない。

あのラスティ君が誰かに内部連絡用の携帯を奪われるようなミスを犯すはずがないし…。



「手を上げて」



アタシは銃口を陽に向けた。自分の手が震えているのが分かる。


仲間の裏切り、最も深く付き合ってきた仲間の裏切りを経験するのは、これが初めてだ。


でも、アタシは1人の女である前にこの組織の指揮官だから。

この組織の一員として働くこと、それがアタシの選んだ道だから。



―――……じゃあ、引き金を引けないのは、何でだ。



「……っ」



陽は言う通り手を上げたまま、そんな指示は出していないというのにゆっくりとアタシに近付いてくる。



「…勝手な行動は控えてくれる?」



撃てないわけじゃない、まだ撃ってないだけだ。



先に足だけでも撃って逃げるのを困難にしてしまえば…などと考えているうちに、陽の手が銃を持つアタシの後頭部と背中に回っていて。
陽に抱き締められたのは初めてじゃない。


でも、今回だけは何か重大な意味が込められている気がした。



「ずっと好きだった」



ずっと聞きたかったその言葉に、きゅうっと胸が締め付けられた――刹那、弾丸がアタシの急所ギリギリを貫いた。




何故だろう、こうされることを心のどこかで分かっていた気がする。






「やっぱ、指揮官に戦闘は向いてねーな」



アタシの知っている陽は、こんなにも冷酷な眼をしていただろうか?



「この階も直に俺らの仲間が大勢攻めてくるはずだ。それ以上怪我したくなけりゃ物陰にでも隠れてろ」



アタシに向けられた言葉を発するその声は、いつもの物じゃない。“仲間”に対する声じゃない。


意識が薄れていく。まずい、出血を抑える薬を持ってきていない。


陽は時計を一瞥し、アタシを置いてエレベーターへと向かう。


エレベーターのボタンを押すその背中を見つめながら、痛みで何もできず、アタシはただ床に倒れ込んでいた。


痛いのが撃たれた箇所なのか心なのか分からない。


背を向けられることに既視感を覚えるのは、両親に捨てられた頃のことを思い出しているからだろうか。


見捨てられた子供のように、頬に涙が伝う。



さっきの言葉は……油断させるための嘘だと、嫌でも分かった。



――…アタシは、あの男性がアタシを好きにならないことを、心のどこかで分かってた。
――同時刻、リバディー本拠地2階。
「ふう…終わりましたわね」



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