マイナスの矛盾定義
奇襲したとはいえ相手はあのリバディーの幹部達だ、思ったより手こずってしまった。


手足に傷を負ったし、お気に入りの服も返り血で汚れてしまっている。


この階にいた敵の幹部は全員戦闘不能にした。脅えていた一般人らしき従業員は麻酔銃で眠らせておいた。



傷はバズ君が手当てしてくれましたから大した痛みではないですけれど、早めに帰るのが得策ですわね。



「キャシー、パンツ見えてるよ」


「はっ!?」



そこまで燃えはしなかったはずではと焦りながらもすぐにスカートを確認したが、下着が見えるほどではなかった。



「……またからかいましたわね」



睨み付けると、やっぱりバズ君は笑っている。


私の反応を見て楽しんでますのね。なんてやつ。



その時、こちらへ向かってくる靴音が聞こえた。


そちらに顔を向けると、ただ者ではない雰囲気をもつ男がポケットに手を突っ込んだまま歩いてくる。



この男、あの時の…闇取引の場にいた男ですわね。



隣のバズ君がナイフを手に取る。私も銃に手を伸ばした。



「お前ら、アリスの仲間か」



男は武器を出す様子もなく、ただそう聞いてきた。
この男が強いことは理解している。


先程までの戦闘で体力を消耗していますし、今下手に挑発したらこっちがやられかねませんわね…。



「…仲間だったらどうするんですの?」



警戒しながら返事をしたが、男は歩みを止めず、しかし武器も出さず、私達に近付いてくる。



「愚問か。お前はアリスと一緒にいたところを見たことがある」


「……、」



接近してから攻撃を仕掛けてくるつもりかと身構えていた――けれど、男は何もせず私を通り過ぎていく。



「あいつを頼む」


そんな言葉を残して。





足音は遠ざかり、振り向けば、男が奥にある食堂へと入っていくのが見えた。





「あ…あれは……」



ぷるぷると自分の指先が震えるのが分かる。



「恋をしている男性の目ですわーーーっ!」


「キャシー、うるさい…」



つい大きな声が出てしまった私に、バズ君は顔を顰めて耳を押さえる。


おっと、私としたことが…新たなロマンスの予感につい興奮してしまいましたわ。



「どうやらこちらに危害を加えるつもりはないようですし、ただでさえアリスには味方が少ないんですから、嬉しく思うのは当然でしょう。あの男性には以前会った際無礼な振る舞いをされた覚えがありますが、まぁ、アリスの陰の味方なら問題ありませんわ」



敵組織の人間とはいえ、アリスに理解を示してくれる人間が1人でも増えるに越したことはない。


予想に過ぎませんが、きっと彼にもアリスの境遇の悪さについて何かしら思うところがあったのでしょう。



「キャシーってなんだかんだでアリス思いだよね」


「…思ってなんかいませんわ。恋敵です。嫉妬しているくらいですのよ、あんなにシャロン様に守ってもらえて」



アリスはシャロン様から過度に守られることを嫌がる。


私から見れば、それってとんでもない贅沢ですのよ?
「リーダーが守ってるのはアリスだけじゃないと思うよ」



そんなことはバズ君に言われなくたって分かっていますわ。


シャロン様は、クリミナルズを唯一の居場所とする方々全員を守ろうとしている。


でも、アリスに向けているのはきっと、それに加えた何か他とは違う感情――…。



「それで足りないなら、キャシーのことはボクが守ってあげる」



……珍しく格好良いことを言ってくれやがりますわね、この男。



「守ってもらわなくて結構ですわ。私は強いですしね」



もしかしたら私のこんな言葉も、バズ君を想う誰かにとっては贅沢なのかもしれない。


こんな意地悪な人を好きになる人がいればの話ですけれど。




「…あっ!アリスがもしあの男性を好きになれば恋敵が1人減りますわ」



大事なことを忘れていました。あの男性には是非アリスを口説き落としてほしいところですわ!



「んー。ボクとしては、それは困るな」



バズ君が考え込むような仕草をするので、何が困るのかと聞こうとしたけれど、問う前に答えられた。



「キャシーの恋がうまくいったらボクが困る」



やっぱりバズ君は意地悪ですわ。少しくらい応援してくれてもいいんじゃないんですの?



「ふん、私の恋がどうなろうとバズ君には関係ありませんわ」


「関係あるよ。ボク、キャシーが好きだし」



冗談も大概にしてくださいましと言おうとして、バズ君の方を見て、何も言えなくなった。


いつもの私を虐めて楽しもうとしている時の笑顔じゃない。


ど、どっちですの…?いつもの冗談?私をからかおうとしているだけ?それとも…。



「さて、そろそろ帰ろっか」


「えっ?はっ?え、は?」


「何その返事。ウケでも狙ってるの?何の動物の真似?」


「ちっがいますわ!失礼ですわね!」



くすくす笑いながらエレベーターへと向かうバズ君の背中を追い掛ける。


…よかった、いつもの意地悪なバズ君ですわ。今のも冗談に決まってる。


……でも本気だったら?さっきの表情、冗談って感じでは…。


私はどうすればいいんですの。



…そうなれば、今まで“あのこと”を言わなかった私にも責任がある。文句は言えない。


意図的に言わなかったわけじゃない。言う必要がないと思っていた。



私と、バズ君を拾ったシャロン様しか知らない事実が、クリミナルズでは皆等しく仲間なのだからどうだろうと大した違いはないと忘れかけていた事実が、今になって重要性を増し始めた。




バズ君の母親は日本人。私の母親はこの国の人間。…父親は、同じ。




―――バズ君は、私の腹違いの兄ですのに。
――数分前、リバディー本拠地9階。
背中に熱を感じる。火の粉も飛び交っている。


煙で気分が悪くなってきた。目の前の男にやられた傷が痛む。これ以上戦ったら死ぬかもしれない。


不利な状況にあるとはいえ、ここまでやられたのは初めてだった。


こいつ、この若さで何千人もの犯罪者を統括する能力があるだけじゃなく、戦闘力も十分ある。


かつて僕らが幼くして優秀組になった頃、周囲は僕やベルのことを化け物と喩えた。…彼らもこんな気持ちだったんだろうか。


化け物め、と呟くと同時に視界が霞み、僕は背中を壁に預けて座り込んだ。


今の僕にこいつに攻撃するだけの余裕はない。


その気になればこの場から逃げることくらいはできるだろうが、そうすることも腹立たしい。



「…何故僕を殺さない…?」



ヤブ医者の持つ日本刀には僕の血が付いている。対してヤブ医者には掠り傷1つない。



「俺だって殺してやりたいよぉ?でも、うちの子がこの組織の人間は殺すなって言うからさぁ」



……アリスちゃんか。これほどの奇才が、女の子1人の言いなりになっているというのもなかなか笑える。



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