マイナスの矛盾定義
「…どういう意味?」
「君の妹に毒を打ったのは、かつての俺らの仲間、クリミナルズのメンバーだった奴だよ。悪い癖があってねぇ。俺が目を離した隙に殺っちゃったみたい」
確かに、僕がベルを見つけた時、あの場に誰がいたというわけでもない。
しかしあの場にいた犯罪者共を仕切っていたのはこの男のはずで、誰が毒を打ったにせよ、指示したのはこの男だと思っていた。
様子からして嘘のようには聞こえないが、果たして本当だろうか。
「そいつの名前は」
「知らないよぉ。元々そこまで重要な幹部でもなかったしぃ、もう組織を出たから俺には関係ないしね」
「名前を、言え」
「聞こえてないのぉ?知らないってば」
「嘘だ」
この男が今嘘を吐いたと感じ取ることはできる。
薬を打ったのがこいつ本人ではないことと、犯人が組織を出たこと。これらは本当だろうが、名前を知らないのは嘘だ。こういう時、僕の勘は当たる。
犯人を庇ってる?知られたくない名前なのか?
「しつこいガキだねぇ」
「名前言えっつってんだろ!」
冷静さを欠いた後で我に返り、こんな奴に踊らされてたまるかと深呼吸した。
ヤブ医者はこれまた面倒そうに頭を掻きながら僕を見下ろす。
「大体、名前聞いたところでどうするわけぇ?俺の命を狙うことは止めてくれるの?」
「お前と僕の妹の死との関係性が薄いと判断できたうえで、有益な情報をお前が僕に与えるのなら、ね」
まぁ、間接的だろうが責任があるのなら、わざわざ殺しに行くほどでなくとも隙あらば殺す。
「復讐に自分の人生を捧げる奴って、哀れで見てらんないねぇ。そんなことしたってなんにもならないのに」
「…あァ?」
挑発するかのように嘲笑ったヤブ医者の胸倉を掴み、力任せに火の方へと押し飛ばす。
「……っ、」
僕が急に動いたことには対応しきれなかったようで、ヤブ医者はぐらりとバランスを崩す。
残念ながら体の一部しか火に触れず、じゅわっと腕だけが焼けていく――が、次の瞬間、僕は信じられない光景を目の当たりにした。
「…っは?」
思わず後退りしたところで蹴り飛ばされ、僕は床を滑るようにしてヤブ医者と距離を取る。
今ので立ち位置が変わり形勢逆転できたにも関わらず、ぞくっと寒気がした。
「あーあーあーあー…」
ヤブ医者の声はさっきよりも低くなり、不機嫌さを露わにしている。
ぱきっと指を鳴らし、殺意をも感じさせる目をこちらに向けてくる。
何だ、今の?腕が――…。
瞬時に頭に浮かんできたのはある1つの仮説。
まさか、こいつ……。
「…やっぱりアリスちゃんを騙してるのか」
ヤブ医者は何も答えない。
僕は初めてベル以外の人間に対して同情の念を抱き、目の前にいる1人の男を軽蔑した。
何故かあの夜僕のことを落ち着かせてくれたアリスちゃんの表情や温もりを思い出す。
“可哀想だ”なんて思うことが僕にもできるのだと初めて知った。
「アリスちゃんのことを何だと思ってるの?」
自分だって散々玩具として使ったというのに、こいつがアリスちゃんを道具として利用することには腹が立つ。
僕の玩具で遊んでいいのは僕だけだ。他の誰にも利用する権利はない。
同時に、薄っぺらい同情心を塗り潰すほどの分厚い感情――この男の弱みを握れたという優越感が沸き上がった。
責めたい。追い詰めたい。いかなるネタを使ってでも、今この男を踏みにじりたい。
「少しはアリスちゃんの気持ちを考えてやろうって、」
「――俺は」
ヤブ医者は、日本刀を火の中へと捨てた。
「俺はそれほどまでに優しい男にはなれない」
火で照らされるヤブ医者の顔は、開き直るようでいてどこか悲しそうだった。
――が、冷静にヤブ医者を眺めていられたのはそこまでだった。
「――…ぐはッ、」
横っ腹に激痛が走り、次に自分の身が勢い良く壁にぶつかる。
先程切りつけられた部分を容赦なく蹴られたのだ。
「アリスは武器を使うのが得意だけど、俺は何もない方が好きなんだよねぇ、器用じゃないし」
頭では大したことないと思っていても、体が痛みでなかなか言うことを聞かない。
最終手段として残しておいた逃走という手すら、この怪我ではできるかどうか分からない。
「“殺さないよう細心の注意を払ったが無理だった”」
「は…?」
「って俺が言えばアリスは信じると思わなぁい?」
…口封じに僕を殺すつもりか。
どうして僕は、こんなにも追い詰められた状況でさえ萌えてしまうのだろうか。かなりピンチだというのに、口元の緩みを抑えられない。
「大丈夫、俺はあいつみたいにわざわざ苦しめて殺す趣味はないよ」
あいつ…それは、ベルに毒を打った奴のことを指しているのだろう。
「――一思いに殺してやるから、感謝してねぇ」
がたがたがた、と大きな音が響く。この階にあるあらゆる物が焼け崩れる音だ。
こんなうるさい場所で死ぬのか。いやまだ死ねない。復讐の1つもしていないのに、ベルにどんな顔で会えというのか。
あぁ、でも、マジでやばいな。体が動かない。出血が多すぎる?一酸化炭素を吸いすぎた?
このままじゃ、本当にベルの為に何もしないまま……、
「俺の仲間から離れてください」
エレベーターの開く音には気付かなかったのに、なぜかその声だけは、騒音の中はっきりと響いた。
目だけで声の元を探れば、戦闘服に身を包んだぶらりんがエレベーターの前に立っている。
「何年ぶりでしょう?君と会うのは」
ぶらりんにとっちゃこいつとは殺されかけてから初の対面になる。
春ちゃんを撃ち殺した後その死体を持ち帰った男と、
春ちゃんに命を救われ恋に落ち彼女を追い続けた男。
そんな2人が今、数年ぶりに顔を合わせている。
「困るなぁ。さすがに2人も死人が出たらアリスに怪しまれるよ」
ぶらりんを覚えているのかいないのかは分からないが、ヤブ医者の方も多少の敵意は持っているようだ。春ちゃんのことを探し回っていたことくらいは知っているんだろうか。
顔を上げるのも辛く、ぶらりんの表情を見ることができない。
「…俺の立場では、アリスを危険に晒すことしかできません」
こいつらに共通する特徴を当ててやろう。人の話を聞かない。
でも、そうやってぶらりんが注意を引きつけてくれている間に隙ができれば……いや、やはりこの状態での反撃は無理だ。今は諦めて逃げることだけ考えるしかない。
ある程度冷静に打開策を考えていた僕は、次の言葉に、これは本当にぶらりんなのかと疑いたくなるほど驚愕した。
「だから君が彼女を幸せにしてください。彼女に危害を加える物全てから彼女を守ってください。この先一生です。彼女が平穏に暮らせるように」
「君の妹に毒を打ったのは、かつての俺らの仲間、クリミナルズのメンバーだった奴だよ。悪い癖があってねぇ。俺が目を離した隙に殺っちゃったみたい」
確かに、僕がベルを見つけた時、あの場に誰がいたというわけでもない。
しかしあの場にいた犯罪者共を仕切っていたのはこの男のはずで、誰が毒を打ったにせよ、指示したのはこの男だと思っていた。
様子からして嘘のようには聞こえないが、果たして本当だろうか。
「そいつの名前は」
「知らないよぉ。元々そこまで重要な幹部でもなかったしぃ、もう組織を出たから俺には関係ないしね」
「名前を、言え」
「聞こえてないのぉ?知らないってば」
「嘘だ」
この男が今嘘を吐いたと感じ取ることはできる。
薬を打ったのがこいつ本人ではないことと、犯人が組織を出たこと。これらは本当だろうが、名前を知らないのは嘘だ。こういう時、僕の勘は当たる。
犯人を庇ってる?知られたくない名前なのか?
「しつこいガキだねぇ」
「名前言えっつってんだろ!」
冷静さを欠いた後で我に返り、こんな奴に踊らされてたまるかと深呼吸した。
ヤブ医者はこれまた面倒そうに頭を掻きながら僕を見下ろす。
「大体、名前聞いたところでどうするわけぇ?俺の命を狙うことは止めてくれるの?」
「お前と僕の妹の死との関係性が薄いと判断できたうえで、有益な情報をお前が僕に与えるのなら、ね」
まぁ、間接的だろうが責任があるのなら、わざわざ殺しに行くほどでなくとも隙あらば殺す。
「復讐に自分の人生を捧げる奴って、哀れで見てらんないねぇ。そんなことしたってなんにもならないのに」
「…あァ?」
挑発するかのように嘲笑ったヤブ医者の胸倉を掴み、力任せに火の方へと押し飛ばす。
「……っ、」
僕が急に動いたことには対応しきれなかったようで、ヤブ医者はぐらりとバランスを崩す。
残念ながら体の一部しか火に触れず、じゅわっと腕だけが焼けていく――が、次の瞬間、僕は信じられない光景を目の当たりにした。
「…っは?」
思わず後退りしたところで蹴り飛ばされ、僕は床を滑るようにしてヤブ医者と距離を取る。
今ので立ち位置が変わり形勢逆転できたにも関わらず、ぞくっと寒気がした。
「あーあーあーあー…」
ヤブ医者の声はさっきよりも低くなり、不機嫌さを露わにしている。
ぱきっと指を鳴らし、殺意をも感じさせる目をこちらに向けてくる。
何だ、今の?腕が――…。
瞬時に頭に浮かんできたのはある1つの仮説。
まさか、こいつ……。
「…やっぱりアリスちゃんを騙してるのか」
ヤブ医者は何も答えない。
僕は初めてベル以外の人間に対して同情の念を抱き、目の前にいる1人の男を軽蔑した。
何故かあの夜僕のことを落ち着かせてくれたアリスちゃんの表情や温もりを思い出す。
“可哀想だ”なんて思うことが僕にもできるのだと初めて知った。
「アリスちゃんのことを何だと思ってるの?」
自分だって散々玩具として使ったというのに、こいつがアリスちゃんを道具として利用することには腹が立つ。
僕の玩具で遊んでいいのは僕だけだ。他の誰にも利用する権利はない。
同時に、薄っぺらい同情心を塗り潰すほどの分厚い感情――この男の弱みを握れたという優越感が沸き上がった。
責めたい。追い詰めたい。いかなるネタを使ってでも、今この男を踏みにじりたい。
「少しはアリスちゃんの気持ちを考えてやろうって、」
「――俺は」
ヤブ医者は、日本刀を火の中へと捨てた。
「俺はそれほどまでに優しい男にはなれない」
火で照らされるヤブ医者の顔は、開き直るようでいてどこか悲しそうだった。
――が、冷静にヤブ医者を眺めていられたのはそこまでだった。
「――…ぐはッ、」
横っ腹に激痛が走り、次に自分の身が勢い良く壁にぶつかる。
先程切りつけられた部分を容赦なく蹴られたのだ。
「アリスは武器を使うのが得意だけど、俺は何もない方が好きなんだよねぇ、器用じゃないし」
頭では大したことないと思っていても、体が痛みでなかなか言うことを聞かない。
最終手段として残しておいた逃走という手すら、この怪我ではできるかどうか分からない。
「“殺さないよう細心の注意を払ったが無理だった”」
「は…?」
「って俺が言えばアリスは信じると思わなぁい?」
…口封じに僕を殺すつもりか。
どうして僕は、こんなにも追い詰められた状況でさえ萌えてしまうのだろうか。かなりピンチだというのに、口元の緩みを抑えられない。
「大丈夫、俺はあいつみたいにわざわざ苦しめて殺す趣味はないよ」
あいつ…それは、ベルに毒を打った奴のことを指しているのだろう。
「――一思いに殺してやるから、感謝してねぇ」
がたがたがた、と大きな音が響く。この階にあるあらゆる物が焼け崩れる音だ。
こんなうるさい場所で死ぬのか。いやまだ死ねない。復讐の1つもしていないのに、ベルにどんな顔で会えというのか。
あぁ、でも、マジでやばいな。体が動かない。出血が多すぎる?一酸化炭素を吸いすぎた?
このままじゃ、本当にベルの為に何もしないまま……、
「俺の仲間から離れてください」
エレベーターの開く音には気付かなかったのに、なぜかその声だけは、騒音の中はっきりと響いた。
目だけで声の元を探れば、戦闘服に身を包んだぶらりんがエレベーターの前に立っている。
「何年ぶりでしょう?君と会うのは」
ぶらりんにとっちゃこいつとは殺されかけてから初の対面になる。
春ちゃんを撃ち殺した後その死体を持ち帰った男と、
春ちゃんに命を救われ恋に落ち彼女を追い続けた男。
そんな2人が今、数年ぶりに顔を合わせている。
「困るなぁ。さすがに2人も死人が出たらアリスに怪しまれるよ」
ぶらりんを覚えているのかいないのかは分からないが、ヤブ医者の方も多少の敵意は持っているようだ。春ちゃんのことを探し回っていたことくらいは知っているんだろうか。
顔を上げるのも辛く、ぶらりんの表情を見ることができない。
「…俺の立場では、アリスを危険に晒すことしかできません」
こいつらに共通する特徴を当ててやろう。人の話を聞かない。
でも、そうやってぶらりんが注意を引きつけてくれている間に隙ができれば……いや、やはりこの状態での反撃は無理だ。今は諦めて逃げることだけ考えるしかない。
ある程度冷静に打開策を考えていた僕は、次の言葉に、これは本当にぶらりんなのかと疑いたくなるほど驚愕した。
「だから君が彼女を幸せにしてください。彼女に危害を加える物全てから彼女を守ってください。この先一生です。彼女が平穏に暮らせるように」